そこまで女房が言うのなら、来週あたりに行ってみようかなと思っていた

 昨日、コミュニティ推進協議会広報部会の部会長から、相談したいことがあるので、公民館の事務所まで来てほしいというショートメールが入った。
 午後7時ごろなら行けると返信すると、じゃあその時間に合わせて、公民館で行っているからと再び携帯電話にショートメールが入った。
 時間通りに公民館に行ってみると、すでに広報部長は来ていて、第一会議室に引っ張り込まれる。
 相談というのは、次のような内容であった。
 来期、自分はコミュニティ推進協議会の監事に就任するので、広報部長を辞任することになる。そこで、次期の広報部長をパソコンに長けた40代の男性にやってもらおうと交渉したところ、私がこれまで通り広報部会に残るという条件ならば、引き受けてもいいという返事だった。来期もまた、行事やイベントの写真撮りと記事を書いてほしいと要請される。
 コミュニティ推進協議会の広報部会員は、地域自治区の組に割り当てられたコミュニティ委員の中から、14人が選出される。コミュニティ推進協議会からは広報部長1人と副部長2人、そして編集長が広報部会員として選ばれる。
 地域自治区から選ばれた広報部会員の任期は1年で、コミュニティ推進協議会からの広報部会員については、再任は妨げないことになっている。中には15年以上も広報部会の編集長や副部長をやっている人もいる。
 私と現広報部会長は今期で3年目となる。
 私も去年で後期高齢者となり、夏まつりや運動会など、終日動き回る写真撮りや記事の取材は少々きつくなっている。
 来期も広報部会の副部長として残る条件として、現広報部長も広報部会員の一員として、イベントや行事の取材に協力してくれるなら、来期も副部長をやるからと提案した。すると即刻、了承したとの声が上がる。
 来期もまだまだ忙しくなりそうである。

 家に帰ると、女房も「アライブ がん専門医のカルテ」の録画を観ていたようで、突拍子もなく「お父さんがいつも行っていた名古屋のラウンジのママも癌の手術をしたことがあると言っていたけど、今どうしているの?」と訊いてきた。
 そう言えば、10年以上も店には顔を出していない。
 そのラウンジのママとの出会いは、今から40年近くも前になる。
 得意先の課長の馴染みの店で、いつもその課長との待ち合わせ場所として、そのラウンジを利用していた。
 得意先の課長が転勤になったあとは、私の接待後の疲れを癒す場所になっていき、いつしかママとは接待という共通項で結ばれた戦友のような感情を抱くようになった。
 いつ頃だったろうか、得意先を接待する前にママと一緒に食事をしていると、女性特有の更年期障害のような症状が現れ、やたらと汗を拭くような仕種をするようになった。
 私が心配そうに眺めていると「ごめんなさい、私はもう女じゃなくなってしまったの」と始めて、ママは子宮体がんの手術をしたことを私に打ち明けた。
 それは今から20年ほど前のことである。
 子宮体がんの手術で、ママは子宮と両側付属器(卵巣・卵管)を取り除いてしまっている。なぜか、これからはさらなる戦友として、話し相手になってやらなければという気持になっていた。
 おそらく、ママの消息が気になるようなので、女房にもそのことを話したことがあるようである。
 女房が「1度顔を出してみたら」と提案してくる。
 「オレはアルコール厳禁を言い渡されている身だぞ」と言うと、「得意のノンアルコールでも飲めば、いいじゃないの」と切り返される。
 そこまで女房が言うのなら、来週あたりに行ってみようかなと思っていた。

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