やがて訪れるバブルの崩壊を暗示しているように思えてならなかった

 私は昭和19年生まれで、今年の12月で満78歳になる。  昭和、平成、令和と3つの元号を生きてきたことになる。  NHKは数年前、無作為に抽出した全国の18歳以上の男女合わせて6000人を対象に郵送で、次のような世論調査を実施したことがある。  その59%に当たる3554人から回答が得られ、次のような結果を発表した。  【平成…
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以前の「駅裏」というイメージとは程遠いものになっていた

 私は77年間、大府市に住んでいるが、これまで名古屋との縁もかなり深かった。  私は東北大学の受験に失敗して、名古屋駅の西口側にあった予備校「河合塾」に1年間、通っていた。昭和38年のことである。  当時の「河合塾」は名古屋駅太閤通りのうらぶれた商店街を抜けて、烏森神社近くにあった。  商店街付近は通称「駅裏」と呼ばれ、薬問屋が多…
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今の私には、こうしたことも楽しい時間となっている

 私は68歳のとき、自治区長をしていた中学の同級生に頼まれて、任期の2年間、自治区の広報部長をやってきた。  広報部長の主たる役目は機関紙「自治区だより」の発行で、自治区主催の行事やイベントはすべてカメラに収めて、記事も書いてきた。  「自治区だより」は自治区管理事務所に勤務していた女性はWordとExcelにたけていて、私のために…
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私は最近のプロ野球選手の名前が出てこない

 私は2011年から、国立長寿医療研究センターには月に1度か、2度は通院している。  国立長寿医療研究センターは、旧外来棟跡地で進めていた新病棟の建設を2022年2月に終えて、第2診療棟として開棟している。  旧来の第1診察棟とは2階の通路でつながっている。第1診察棟から、第2診察棟を眺めると、「もの忘れセンター」の受付カウンターが…
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息子さんを失ったその人の気持を慮ると胸が詰まってくる

 私は50歳のとき、大腸にポリープができて、それを除去するために国立長寿医療研究センターの消化器外科でカテーテル手術をしてもらった。  1週間後、そのポリープが悪性かどうか、判明するというので、また国立長寿医療研究センターの消化器外科まで出かけて行った。幸い、ポリープは良性であった。  その担当のほっとした表情が今も忘れられない。 …
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私は5年前から市のシルバー人材センターの理事をしている

 私は5年前から市のシルバー人材センターの理事をしている。  理事になったのは、共に地域コミュニティ推進協議会の役員をしていた顔見知りの前理事の推薦を受けたからである。それと理事はシルバー人材センターの運営にどう関わっているのかも興味があった。  それも理事の任期は3期を超えてはならないという規定があるので、来年の総会で新しい理事が…
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姉と私の血は、妹の血とは決して混じり合うことはなかった

 私は1歳になるかならないうちに、養子に入った身である。それから77年の月日が流れている。  私の実の父親と母親はともに再婚で、すでに父親には4人の子どもがおり、母親にも2人の子どもがいた。  再婚後に生まれた子どもは4人で、私はその4人の中で、3番目の子どもである。  父親が50代で亡くなってから、母親は折り合いの悪くなった父親…
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その女性は、私が元気がよかった頃の飲み友だちであった

 今から7年ほど前、私が市営駐車場の管理をしているときのことである。  帰りがけにJR駅前の東ロータリー広場を歩いていたとき、一般車の乗降場のエリアに停車していた車から、女性に声を掛けられたことがあった。  「イッサさん、わたし、わたし、覚えてる?」  顔を見て、私は一瞬戸惑ってしまった。  その女性は、私が以前、まだ元気がよか…
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私にとって競馬は趣味であり、ギャンブルではない

 私は50年来のJRAの競馬ファンである。  そのきっかけは、私が社長から三菱重工の営業担当に任命され、資材課の発注担当者に誘われて、はじめて中京競馬場に行ったときからである。  そのとき、私はたまたま運が良くて、馬券が当たり、当時1カ月の給料が7万円の時代に1万円を超える金額を手にすることができた。  以来、私はほかのギャンブル…
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もうしばらくは我慢が続くようである

 以前、ネットで次のような記事に出会ったことがある。  【高齢者の生活は、どれだけの収入があり、支出があるのかを「平成26年全国消費実態調査」のデータで見てみますと、2人以上世帯で、世帯主の年齢が65歳以上の高齢無職世帯の1世帯当たり実収入は23万9545円です。その内訳は、厚生年金などの社会保障給付が20万512円、その他が3万90…
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久しぶりにあちこち歩く回ったので、足がパンパンに張れていた

 私は8月6日(土曜日)と8月7日(日曜日)に開催された大府夏まつり大会に夏まつり実行委員会広報班撮影係として参加した。3年ぶりであった。  私は大府自治区広報部長として、平成27年と平成28年の夏祭りに参加した。  また平成29年からは大府コミュニティ推進協議会の広報副部長として、夏まつりの写真撮影を担当してきた。  コロナ禍で…
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私は今でもスマホの文字入力には苦労している

 以前、中日新聞の地方版に【自宅に男訪問、偽物とすり替え 大府、武豊でカード窃盗】という見出しの記事が載っていた。  【知多地域で12日、ニセ電話の後、自宅を訪れた男にキャッシュカードをすり替えられる窃盗被害が2件発生した。各署が注意を呼び掛けている。  大府市では午前10時40分ごろ、70代女性宅に金融庁職員を名乗る男から「市内で…
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2006年に私はI.C.NAGOYAで3ヶ月間、英会話を習った

 私はハローワークの職業訓練の一環として、2006年の6月から3か月間、I.C.NAGOYAのグローバルビジネス科で英会話を習った。  その英語の講師の中にMrs. Nakataという日本人の女性講師がいた。  その女性講師の授業はPhonics(初歩的な綴り字と発音の関係を教える教科)で、そのLessonは英語の母音、子音の基本的…
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ペンネームを「かずみっちゃん」にしたおかげかも知れない

 私の名前は「一三」と書いて、「かずみ」と読む。小学校の低学年の頃、両親に名前の由来を訊くと、子どもが書くのには苗字の画数が多く、せめて名前だけは早く書けるように「一三」と名付けてということだった。確かに早く書ける。  だが、何かの折に戸籍謄本を取ってみたら、すでに石田古市と富士子の五男として、「一三」と記載されており、そこには養子先…
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私は普通の中学生に戻っていた

 中学3年のときのクラスの中で、私と今でもLINEで繋がりがあるのは、ノリコさんとトヨコさんだけである。  先だってもトヨコさんは、共にブログを続けようと約束していた中学のときの男友だちが、突然、ブログの記事がUPされなくなったことを心配して、LINEで間接的にその友だちの様子を訊いてきた。  枯葉十二指腸潰瘍で入院していて、もうす…
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彼は順天堂大学の医学部に受かり、東京へ旅立って行った

 高校3年の同じクラスに忘れられない2人の男友だちがいた。  1人はと言うと、以前にこのブログにも書いた「かずみっちゃん」であり、もう1人は父親が医院を経営していた「堀尾くん」である。  高校3年の中間試験が終わったあと、堀尾くんが急に唐突な提案をしてきた。  堀尾くんの家は愛知県碧南市で医院を経営していたが、別棟の古い病室が空い…
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歌声喫茶で「北帰行」を聞いてから、60年近くの時が流れている

 私は仙台の国立大学の入学試験を受けた。  数学と物理の問題にてこずり、半分の問題が解けずに大学受験に失敗し、もう1度だけ、同じ大学にトライするために、浪人することを決めた。  そんな浪人時代に刈谷市駅近くに住む友だちの家に行き、ほかの友だち2人も呼んで酒を飲んだりしていた。私を除く、ほかの3人は大学受験に成功していたが、私を気遣っ…
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「イッサくん、頑張ったよ」の声に振り替えると、そこには美佐子ちゃんの笑顔があった

 私は性懲りもなく、今日も中学時代にかかわった女の子のことを書こうと思っている。  私は中学1年の2学期から、大府中学校から刈谷南中学校に転校した。  転校した1週間後、刈谷南中学校の校長先生に、同じ学年には成績が常に学年1位の女の子がいるから、君もイタズラばかりやってないで、その女の子に見習って勉強するようにと言われた。  私は…
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イッサくん、曲球ばかりで打ち返さないでよ

 私は昨日、このブログに中学時代に印象に残ったアケミちゃんとの思い出を書いた。  私は中学1年生の2学期から、刈谷南中学に転向したが、それから卒業までの2年半には、そのほかにいくつも思い出があった。  私が中学2年のとき、クラスが一緒だったノンちゃんのこともいまだに脳裏から消えずにいる。  私が通っていた中学校は、俯瞰図を描い…
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後期高齢者になり、中学生のころのことを懐かしがるようになった

 私は後期高齢者になったためか、中学生のころのことを懐かしがるようになった。  毎回、出席していた中学のクラス会に、このところ顔を出さなくなったアケミちゃんのことを今日も思い出していた。  私は、そのアケミちゃんとは特別な思い出がある。  「愛知県刈谷市南中学校では、中学2年生になると体育の時間に『オクラハマ・ミキサー』の音楽…
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