そんなことはやり過ごせばいいという気持になっている

 女房は市の老人会が主催している陶芸教室、シルバー人材センターが講師を招いて開いているネクターリフォーム教室、書道教室、手芸・洋裁教室に通っている。
 そのほかにもJAから自家菜園も借りて野菜つくりをしているので、私は昼食をよそで食べることが多くなっている。
 今日も女房は陶芸教室に行っているので、私は散歩がてらに市庁舎のリニューアルされた食堂で昼食を摂りに行った。
 私は市庁舎の1階フロアの展示物を見学してから、エレベーターで6階に上がった。
 エレベーターを降り、ガラス戸の自動扉を出て、食堂に向かう途中、男子トイレ入口のところに「清掃中」という二股看板が立ててあるのが目に入った。
 急に昔のことが頭に浮かんできた。
 私はサラリーマン時代から、「~中」という言葉が嫌いだった。
 それには少し、前置きが必要のようだ。
 私は部下を持つようになってから、業務連絡用の手書きのデータを手渡して、女性の部下にパソコンでグラフを作ってくれとたのむことが多くなった。
 恥ずかしい話だが、私たちの時代は一太郎花子のソフトウェアの時代で、JR名古屋駅前の大名古屋ビルジング内の三菱電機で、約1ヶ月半の間、毎週日曜日にそのソフトウェアの講習を受けたが、結局、そのスキルをマスターすることはできなかった。
 また自分専用のパソコンが与えられたのは、そのあと1年後であったため、せっかく教えられたスキルは用をなさなかった。
 仕方なく、私はパソコンに精通した女性の部下を頼ることになる。
 そのとき、私は必ず、いつまでに完成させてくれと念を押して、データを手渡すのだが、私の頼んだ期日になっても書類がなかなか出来上がってこない。そこで「書類は出来たのか」と尋ねると返事は決まって「作成中です」という答えが返ってくる。自分の部下ながら、情けなくなってくる。
 返事の仕方も間違っているし、それより何より、私が期待している答えになっていない。書類が必要なタイムリミットもあるし、私は「いつまでには出来ます」という返事がほしかったのである。
 間に合わなければ、上司としての責任で、次に打つべき手を考えなければならないからである。
 偏見かも知れないが、私は自分のスキルのなさを恥じることもなく、「~中」という言葉を聞くと反射的に苛立ってくる。
 「~中」という言葉は冷たくあしらわれているような響きを持っている。
 市長が市民サービスを声高に叫ぶのであれば、せめて、「清掃中」ではなく、「ただいま、清掃しています。少々お待ちください」というぐらいの市民に対する言葉の気遣いがあってもいいのではなかろうか。
 今、私は平気でこんなことを言っているが、学生の頃、私は母親に何か用事を言いつけられると、「今、勉強中」「食事中」「入浴中」とか、それほど気にもせずに「~中」という便利な言葉で、相手の意向を拒むような返事を繰り返していた。
 今から思えば、せめて、「今、勉強しているから」「食事をしているから」「風呂に入っているから」程度の返事が出来なかったかと悔やんでいる。
 「~中」という言葉の主語が人間ならば、まだ冷たい言葉使いで済むが、そうでない場合に使われているとやはり、むっと来る。
 最近、公共施設の自動販売機によく「故障中」という看板が貼られている。故障という言葉は、何かの状態を表わしている言葉で、能動的な意味はどこにも含まれていない。
 明らかに、「清掃中」「勉強中」「食事中」「入浴中」の主語は人間だが、「故障中」の主語は無機質な機械で、前者とは異質の言葉である。
 もし丁寧に、お客様である利用者に伝えたかったら、「今、この機械は壊れています。いつまでには直る予定です」というぐらいの表示が親切というものである。
 いずれにしても、分り易さのために言葉を短縮するにしても、利用者を冷たく拒むような「~中」という言葉は避けた方がいいのではなかろうか。
 最近では齢を取ったせいか、そんなことはやり過ごせばいいという気持になっている。

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