自分が使う言葉にコンプレックスを持った瞬間でもあった

 今日の公園の勤務は午後1時から5時半までであった。
 午後からの勤務は女性2人と私を含めて男性2人である。私を除いた他の3人は他県の生まれで、女性メンバーの2人は北海道と宮城県生まれ、もう1人の男性メンバーは山口県生まれである。
 宮城県出身の女性メンバーの40年前に大府市に引っ越してきたが、その当時の話題となり、いつしか聞きなれない名古屋弁の話となった。
 名古屋弁の語尾の多くに、「みやぁ、みやぁ」という音が入っていることや「~して頂戴」という表現が「~してチョオ」という言い方になるとか、その言葉遣いに吃驚したと口々に語る。
 おそらく、他県の人が今の名古屋弁を聞いたら、何と汚い、田舎じみた言葉だと思ったに違いない。
 この地方のとても品がいいとは言えない方言のほかに、さらに田舎じみて聞こえるのは、名古屋地方には『あ』という母音が2つあることに起因していると思われる。
 名古屋近郊の人は日頃の会話の中で、自然とその2つを使い分けることができる。
 その1つは日本人が通常に使う母音の『あ』だが、もう1つは、名古屋生まれの多くの人が無意識に使う『あ』で、正に「みやぁ、みやぁ」というときの語尾に聞こえてくる母音の『あ』である。
 英語の単語を例に取ると、Cat(猫)を発音するときの母音の『あ』に似ている。この『あ』の音は聞いていて、名古屋近郊の人にはそうでもないが、他県の人にとっては不快感を誘う、汚い母音となる。

 50年以上も前のことだが、私は現役での大学受験に失敗し、1年浪人して、再び仙台にある東北大学の入学試験を受けに行ったとき、旅館に同宿した受験生たちに、名古屋弁をひどく馬鹿にされたことがあった。
 そのことがトラウマになって、長い間、標準語というか、東京弁をしゃべる人に距離を置いて、なかなか、相手に溶け込むことができなかった。
 さすがに、サラリーマン時代、営業担当を命ぜられたときには、そんな我儘は許されず、時間は掛かったが、少しずつ、私の偏見は解消されていった。
 だが、名古屋弁を馬鹿にされたあのときの事は、今でも忘れることができない。
 それは素性も名も知らぬ受験生4人が、仙台のある旅館に泊まったときのことである。
 夕食のあと、4人で風呂に入ったが、私は自分専用のタオルと石鹸で、体を洗い、備え付けのシャンプーがなかったために、仕方なく石鹸で髪を洗い終わり、湯をかけてから、さらに石鹸で頭髪を洗おうとしたら、手元にあった石鹸が湯で流されてしまった。
 石鹸が目に沁みて、目を開けられないまま、私は手探りで石鹸を捜そうとしたが、自分の手の届く範囲には石鹸はなく、なかなか見つけることができなかった。
 そして、私は思わず、名古屋弁でこう言った。
 「あらへん、あらへん。石鹸があらへん。どこに行ってしまったんだろ。風呂場のあんな隅にあるぎゃあ」
 標準語に直してみる。
 「ない、ない。石鹸がない。どこに行ってしまったんだろう。風呂場のあんな隅のところにあるじゃないか」
 他の3人の同宿者たちには、私の言っている意味が全く分らなかった。
 彼らの出身地を聞いて、私の名古屋弁が分らなかった理由が理解できた。1人は生粋の東京育ち、もう1人は横浜で、3人目の同宿者は新潟出身であった。
 その後、タモリさんが名古屋弁を誇張し、ユーモアを込めてからかったり、テレビドラマ「赤かぶ検事奮戦記」などで、名古屋弁に近い言葉が紹介されたりして、少しは名古屋弁が全国に知られるようにはなったが、その当時はテレビもそれほど普及しておらず、全国的に名古屋弁が知られている訳もなく、【名古屋の人間は、そんな汚い言葉を使うのか】と呆れられてしまった。
 自分が使う言葉に、コンプレックスを持った瞬間でもあった。
 今は名古屋近郊に住む人もテレビの影響か、何の躊躇もなく標準語を話している。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント