タイサンボクは大きな花である

 6月21日は父の日であった。
 嫁に行った娘は、ダンナから「お父さんから、いつもみんなが本を借りて来るのだから、父の日には図書券を持って行ったらどうか」と言われたので、近いうちに行くからねと電話をよこした。だが、今日になっても娘はやって来ない。
 先だっての中日新聞の夕刊コラム「夕歩道」に次のような文章が載っていた。
 <母の日に比べれば、うんと影の薄い父の日だから、周囲から「そんな日も、あったっけ」と、あきらめたような、すねたような声もちらほら。だがご同輩、今年は期待できるかも。プレゼント−。
 コロナ禍のテレワーク。身近で仕事に励む父親の姿に触れて「見直した」という、お子さんたちも多いとか。自粛明けの百貨店も、いつにも増して「父の日商戦」に力を入れているようなので−。>
 どうも父親という者は娘には弱いようだ。
 そう言えば、私の小学生の頃、美空ひばりさんの「「波止場だよ、お父つぁん」という歌が流行った。1956年のことだ。この歌に対抗するように1957年、島倉千代子さんの「東京だョおっ母さん」が発売され、大いにヒットした。
 この時代は父親も母親も同レベルの愛情をもって語られていた。
 残念ながら、それ以後は圧倒的に母親に関する歌が多くなっていった。
 母の日がつくられたのは1947年で、父の日は余り定かではないが、1972年と言われている。その年数の差のように、父の日は世の中に余り定着せず、忘れがちになっていた。
 バブル時代は仕事が面白いこともあって、私の帰宅はいつも午後10時を過ぎていた。半年ごとの客先との単価改訂の時期には、朝から休日出勤することもあった。
 そんな状況では、子どもたちには父親という存在は自ずと影の薄いものとなっていったに違いない。
 アメリカには「結婚をしたら、半分目を閉じよ」という格言があるそうである。私には「娘をよそにやったら、半分目を閉じよ」と言う教訓のように思えてくる。
 娘の家族はダンアと子ども3人の5人、ダンナの両親がいて義父の母親も同居している。
 何かと忙しいのは分かっている。
 そこへ持って来て、娘は介護センターに勤めながら、センター長に薦められ、介護福祉士の資格を取ろうと研修に通っていることを女房から聞かされている。
 介護福祉士とは1987年に制定された「社会福祉及び介護福祉士法」によって定められた国家資格で、専門知識と技術を生かして、利用者の身体上・精神上のケア、現場の介護スタッフに対する教育・指導などの役割を担う資格だそうである。
 それなら、仕方がない。娘が来るのを根気よく待つしかない。

DSCN6167 (2).JPG 一昨日の公園のバーベキュー場のアルバイトは午前7時半から12時までであった。
 6月19日からバーベキュー場は再開されたが、ウィークデイということもあり、利用者は一組だけであった。
 その一組をバーベキュー場に案内したあとは、手持無沙汰となったとなった。そこで以前、管理事務所の女性メンバーにタイサンボクの花を撮影してほしいと頼まれていたことを思い出し、出掛けて行った。
DSCN6171 (2).JPG タイサンボクは「市民の森」という散策道に開園当時に植えられた木で、記念樹でもある。開花時期は6月初旬から7月の10日ごろまでで、原産は北アメリカの東南部とのことだ。
 背丈がかなり高くならないと花が咲かず、花、葉、樹形などが大きいことから、また花の形を大きな盃に見立てて「大盃木」と書いたり、「泰山木」や「大山木」と言ったりするようになった。
 花が大きいせいか、花は群がって咲くことはない。せいぜい1本の木に2、3個の花が付く程度で、1が月の間に花は散っては咲くを繰り返している。
 いずれにしてもタイサンボクは大きな花である。

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