早晩、姉と私の父母のことは誰の口の端にも上ることはなくなる

 私は1歳になるかならないうちに養子に出された身である。
 高校1年生のとき、実の姉は私の養父の紹介で、私と同じ地域の司法書士の事務所に勤めることになった。それから、実の姉との付き合いが始まり、すでに60年以上が過ぎている。
 だが、姉の私に対する感覚は、今になっても高校生のときのままである。
 1月2日に娘夫婦が孫を連れて我が家に来たとき、娘が「お父さんとお姉さんはよく似てるね」と話を振ってきた。
 私が「姉は母親似だが、オレは父親似と聞いてるぞ!」と言うと、実のお父さんの顔を見たことがあるのと詰め寄ってくる。
 私は1944年生まれで、父親は1947年に亡くなっており、1歳で養子に出されているので、顔などまったく見たことはないし、写真も見たことはない。
 そう伝えると、娘は「何で、父親似なって言えるの?」と食い下がってくる。
 それには私なりの理由があった。
 私が中学3年のとき、養母が本当の母親に会いたいだろうという思いやりから、本当の母親を家に招いて対面させた。「父親そっくりで、びっくりした」とそのときの印象を実母が語っていたことを、私は姉から聞かされていたからである。
 私は今日、姉の家を訪問して、そのことを確認した。
 やはり、私が父親におそろしいほど似ていたので、びっくりしたことを、実母は姉に告げていた。
 続いて、姉に父親の顔を覚えているかと尋ねると、幼かったので顔は覚えておらず、写真も見たことがないということだった。
 父親にとって、娘は血の繋がった孫ということになる。娘が嫁いでからもうすぐ20年になる。子どもたちを見ていて、自分に流れる血脈のようなものが気になり出したのであろうか。

 姉は夢か現か、分からないが、父親と一緒に地震で地割れした道を歩き、崩落した家の街並みを彷徨していたことが、映像として頭に残っていると語る。
 私がそれって、昭和南海地震のときの記憶じゃないのと訊いてみる。姉は分からないと言い、ひょっとするとニュース映像かも知れないと告げてくる。
 昭和南海地震の被害は、幼い頃に養母から、愛知県、静岡県、三重県の3県に集中し、津波による被害は三重県の海岸が顕著だったと聞かされている。
 私はしつこく1946年12月21日に発生したマグニチュード8.0の昭和南海地震のときじゃないのかと、姉に訊いてみるが、やはり首を振って、繰り返しはっきりしないと答える。
 ちなみに父親が癌で亡くなったのは1947年なので、昭和南海地震直後ということになる。
 さらに昭和南海地震をネットで調べると【戦時下の地震で、厳しい情報統制があったため、被害資料が十分に残されておらず、被害状況は十分には把握できていません。公表資料によると、地震による死者は、総計1,223人と言われています。県別では、愛知438人、三重406人、静岡295人、和歌山51人、岐阜16人、大阪14人、奈良3人となっています。被害は東海から近畿に広がっていますが、被害の中心は愛知、静岡、三重の3県でした。】と載っている。
 姉の話によると、父親と母親は再婚同士の理由からか、実家の両親に結婚を反対され、互いの連れ子と共に三河湾に面した土地に移り住んでいたようで、そのときに家族は昭和南海地震を体験したものと思われる。
 姉の記憶はニュース映像などではなく、実体験だったのではなかろうか。私の中で次第にそれは確信となっていく。唯一の救いはそのときの父親は優しかったと姉が語ったことである。
 早晩、姉と私の父母のことは、誰の口の端に上ることはなくなるに違いない。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント