昨日はバーベキュー班の雑談の中で、LGBTのことが話題になった

 昨日の11月24日は曇天だったが、気温は20℃を超え、風もなかった。
 私は市の公園のバーベキュー場でアルバイトをしているが、シーズンオフが近づいていることが名残ほしいのか、31サイトのうち、27サイトがバーベキューを楽しむ人たちで埋まっていた。
 私は午後1時から5時半までの勤務であった。
 昨日は家族連れが多かったので、食材が切れても芝生広場で遊んだりしているので、午後3時を過ぎても帰り支度をするグループはなかった。
 午後からの班が忙しくなるのは利用者が帰り支度を始めてからで、それまでは4人のバーベキュー班の男性メンバーが交替で、自転車やバイクの乗り入れやドローンを飛ばしたりしていないか、公園内やバーベキュー場を巡回したりしている。
 残りの2人のメンバーは電話や窓口対応をしている女性メンバーとコーヒーやお茶を飲んだりして、待機している。
 昨日はその雑談の中で、ひょんなきっかけからLGBTのことが話題になった。
 私はその話の自然の流れの中で、自分の経験について、2つの話をしていた。

 私は中学1年の頃、名古屋に映画を観に行った折、最終電車に乗り遅れて、総合待合室で翌朝の始発電車を待っていたことがあった。
 そこへ30代の男性がやって来て、始発電車の時間まで自分のアパートに来ないかと誘われ、私が首を振ると「メシだけでも付き合えないか」としつこく言ってきた。私は翌朝の始発電車の時間を考えると憂鬱になってきたので、「ごはんだけなら」と思い、付いていった。
 駅裏の中華料理の店で、中華そばを食べた。それを食べ終わると、またしつこくアパートに来ないかと誘われたが、私は頑として首を振り続け、小走りに総合待合室に帰っていった。30代の男性は追ってこなかった。
 成人になってから気付いたことだが、その30代の男性は、性別を問わない児童性愛障害者だったと思われる。そのまま付いて行ったら、どうなっていたのだろうか。

 そして、私は12年ほど前、このブログにも書き込んだことがあるが、高校時代に一度だけ、男からラブレターというか、告白の手紙をを貰ったことがあった。
 私は1960年、愛知県立刈谷高校に入学し、1年3組に編入された。
 担任の先生が勝手に学級委員を決めていき、私はそのときクラスの書記に指名された。同じように会計に指名された男子生徒が、学食で昼食のうどんを食べている私のところに来て、自己紹介をしながら話しかけてきた。
 彼はその後、何かにつけて、私と行動をともにしようとする。生協へ行くにも、学食で食事をするときにも、いつも私の後を付いてくる。私は地元の中学校出身だから、知り合いが多かったが、彼の中学から入学した同級生は少なく、確かクラスの中に2人でだけであった。
 どうも同じ中学を出ても余り親しくなかったようなので、私に近づいてきたことは新しい友だちを作りたいと思ってのことだったようだ。私も中学時代、孤独を味わったこともあり、ある種の同情を覚えながら、彼と付き合うことにした。
 彼の家は名鉄三河線沿いで、今はトヨタ自動車で有名な豊田市となっているが、その頃は挙母(ころも)市と呼ばれていた鄙びた市に住んでいた。
 何度も誘われ、彼の家に遊びに行った。彼は別棟に自分の部屋を持っていた。
 彼は小中学校の通知表や趣味の絵画を、私の意志など確認することなく、披露してくれた。私の家にも来ると言ったが、私の心の中では、まだそれほどの友だちにはなってないとの思いがあり、彼が来るという希望を拒み続けた。
 彼は映画が好きだったが、私も映画に関してはマニアに近かった。
 彼はカメラの腕も相当なものであり、著作権がうるさい時代ではなかったこともあり、彼は映画館で吉永小百合や栗原小巻の印象的なシーンをカメラに収めてくる。私はその写真がほしくなり、彼に頼んだがとうとう一枚も私に譲ってくれなかった。
 ネガさえ貸してくれれば、焼付けは自分でやってくるつもりだと説明しても、彼は頑として首を縦に振らなかった。
 そのことがあり、彼への気持が萎んでいき、私の中では彼との関係は急激に冷えていった。
 高校2年の中間試験が終わった頃、私が読書雑誌「学鐙」に投稿した作品が文学クラブの先輩の目に留まり、後輩たちの推薦もあり、私は文学クラブの部長をやることになった。
 あるとき、文学部の女生徒と学校から最寄りの駅まで歩いているとき、偶然彼と遭ってしまった。
 彼は吃驚したような顔つきで私の方を見ていたが、次の日、体育館前に呼び出され、封筒に入った分厚い手紙を渡された。これで友だち付き合いは終わりだと捨て台詞のような言葉を残し、彼は去って行った。
 恐る恐る封筒を開いてみると、高校入学の頃からの彼の思いが綴られており、その中には、自分は女性には全く興味がなく、同じクラスになった私が生涯の友だちだと思い、付き合ってきたが、私が文学クラブの女生徒と仲良くしているのが我慢できなくなってしまい、付き合いを止める決心をした。
 だから、自分が友情の印として渡したものはすぐ廃却してほしいとか、これからは口も聞かないようにするが、気にしないでほしいとか、私には目を疑うような言葉が便箋5枚に几帳面な文字で書かれてあった。
 私は衝撃で眩暈を感じるほどであった。だが、彼の手紙がなかなか捨てられず、私の最も古い本箱に閉まってあったはずだが、今はもう見当たらない。引っ越しのときになくしたのであろうか。
 私は若いうちに、性同一性障害の同級生と付き合ったお陰で、今日に至るまでLGBTの人たちに対して、偏見を持つことはいっさいなかった。
 彼は愛知教育大の数学科を出て中学の先生になったと、一度だけ手紙を貰ったことがあるが、今、私は彼の消息を知らない。
 私の話を聞いていた5人は、一様に吃驚していたが、これは本当の話である。

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