耳を澄まして、じっと自分の声を聞くことです

 私は去年の11月にペースメーカー植え込み手術を受けるために21日間入院したが、そのとき、退屈しのぎに18冊ほどの単行本を病室に持ち込んだ。
 そして、真っ先に読みだしたのが、蓮見圭一氏の『水曜の朝、午前三時』であった。
 と言うのは、私はそれより先に蓮見氏の『ラジオ・エチオピア』を読んでいて、いずれはこの本を読んでみたいと思っていて、病室とトイレを行ったり来たりする人間にとっては、これ幸いとばかりに真っ先にこの本を選んだのだが、その選択は間違いではなかった。
 私がこの本を手にしたとき、もうすでにこの本はベストセラーで、ネット上では数多くの人の読後感がUPされていたので、<何を今さら私が>という気持もあって、自分の読後感をこのブログに載せる気持にならなかったが、今月に入って、自分の来し方を振り返っているうちに急に再読したくなり、読んでみた。
画像 何故、急に読みたくなったかの理由はいくつかあるが、何を差しおいても挙げなければならない理由の一つは、小説の背景の年代が1970年であり、そのクリティカルなシチュエーションが大阪万博にあったことである。
 つまり、1970年と言えば、私の26歳のときのイベントで、この小説のヒロインも同年代の23歳という設定であり、奇しくもリアルタイムで大阪万博の熱気を肌で感じた年代だということが、真っ先にこの本を読みたいと思った理由であった。
 ちなみに大阪万博の入場者数は6,400万超とのことで、中には数多くのリピーターがいたとしても、その数たるや驚きの一言で、当時の熱気がいかに凄かったかが分かる。
 物語は、ひとりの女性が脳腫瘍で亡くなるところから始まる。享年四十五歳。翻訳家や詩人としても知られる彼女は、亡くなる前に病床で娘にあてて、4本のテープに自分の遺書を吹き込んだ。
 その内容は娘にとっては衝撃的であり、その結婚相手である“僕”がテープを起こして取りまとめる。
 従って、物語の大半はヒロイン直美の一人称で進行し、彼女の人生を振り返ることになる。
 ヒロインの直美は旧家の娘として、厳格ではあったが順調に成育して、親の薦めるまま大学に入り、就職もする。彼女には許婚者があったが、その彼女は一大決心をして会社を辞め、大阪万博のコンパニオンとなるために、大阪に旅立っていく。親元を遠く離れたがために漸く自我に目覚め、やがて臼井礼という男性と恋に陥る。
 それはまた、その後のおよそ二十年間にも及ぶ密やかな愛の始まりでもあった。ふたりの密やかな愛は当時の多くの恋愛がそうであったように、ふたりは互いの気持に配慮しつつ、飽くまでもストイックな恋愛感情を持ち続けるものとなる。
 万博も終わりに近づきつつある頃、相手の男性の同僚から、彼が朝鮮半島の共和国のスパイであることを知らされる。そこで物語は大阪、神戸、そして京都、舞鶴へと展開して行き、やがて男性の失踪が明らかになる。
 日本の高度経済成長の時代を背景に自分の気持に素直に生きて、若くして亡くなった悲運の女性を描いた、どちらかと言えば重いテーマの作品ということもできる。だが、実は作者はヒロインの発する言葉をを借りて、自分の思い描く人生観を語らせているのではないだろうか、― 再読してそんなふうに思えてきた。
 テープの最後の方でヒロインは娘に向かって、次のように語りかける。
 <この人生に私が何を求めていたのか ― ここまで根気よく付き合ってくれたなら、もう分かったでしょう。私は時間をかけて、どこかにあるはずの宝物を探し回っていたのです。ただ漫然と生きていては何も見つけることはできない。でも、耳を澄まし、目を見開いて注意深く進めば、きっと何かが見えてくるはずです。
 四十年以上の歳月をかけて、では私はどんな宝物をみつけたのでしょう?訊ねられたとすれば、こう答えます。私は臼井さん(恋愛相手)を見つけ、主人やあなたを得た、と。その結果、途方もない感情の激しさを経験することができた、と。人が聞けばがっかりするかもしれないけれど、それだけでも大したものだと自分は思っているのです。
 さあ、今度はあなたたちの番です。何も難しく考える必要はありません。人生は宝探しなのです。嫌でも歩き出さなければならないのだし、それなら最初から宝探しと割り切った方が楽しいに決まっているではないですか。そう、楽しめばいいのです。
 (中略)
 何にもまして重要なのは内心の訴えなのです。あなたは何をしたいのか。何になりたいのか。どういう人間として、どんな人生を送りたいのか。それは一時的な気の迷いなのか。それともやむにやなれね本能の訴えなのか。耳を澄まして、じっと自分の声を聞くことです。歩き出すのはそれからでも遅くないのだから。>
 この【人生は宝探し】という母から娘へのメッセージはそのままストレートにずしんと私の胸に迫ってくるものがある。ひょっとするとその宝物は自分の足元にあり、ただ、多くの人は気付かずに遣り過ごしているだけなのかも知れないと思えてくるのだ。
 そんなときには、【耳を澄まして、じっと自分の声を聞くことです。歩き出すのはそれからでも遅くないのだから】と、時には冷静に自分を俯瞰してみることも人生には必要だよと作者は提言しているように思えてくる。
 ヒロインが若くして亡くなるというシチュエーションなのに、意外にも自分が落ち込んだときに、ポンと背中を押してくれる気がする小説であった。

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