作者にとって この作品は感慨深いのではなかろうか

 今日、重松清氏の小説『四十回のまばたき』を読み終えた。画像
 重松氏は文庫本のあとがきで、この小説を書き始めた当時は29歳で、本書を上梓した年には30歳になっていたと言う。つまり、敢えて歳のことを上げたのは、この小説の主人公の翻訳家圭司と自分が同じ年であり、その主人公の悩みがそのまま重松氏の悩みに直結していると氏は語りたかったように思える。
 粗筋を書いてみる。
 <取り立てて、これと言った荒波もなく、結婚七年目を迎える翻訳家の圭司は、ある日突然、事故で妻の玲子を亡くす。
 玲子には妹の耀子がいて、彼女は冬になると毎年、主人公夫婦の家にやって来て、まるで冬眠するかのように食事以外の時間は眠って過ごす。彼女は季節性感情障害に罹っているのだ。
 妻の葬儀が終わり、主人公はふとしたことから、妻の不貞を知る。妻がなぜ不貞に走ったのか、圭司には思い当たらない。やりきれない思いで悩んでいる主人公圭司は、妻の玲子から誰と出も寝ると聞かされていた妹の耀子と一晩共にする。
 その一度だけのつもりであったが、数ヵ月後に耀子は、いつもの年と変わらぬ様子で主人公の家に冬眠をしにやってくる。しかもそのお腹には誰の子かも分からぬ子どもを宿している。
 あるとき、主人公圭司は定期的に翻訳の仕事を回してくれる編集者の要望で、アメリカでは全く無名の小説家の作品を翻訳する。だが、思わぬ売れ行きに編集者は有頂天となり、その無名作家を日本に呼び寄せることを企画する。そして、翻訳した主人公に会わせて、日本訪問記とか対談記事とかを雑誌に掲載しようと企てる。
 だが、そのアメリカの無名作家“セイウチ”は粗野で品位のカケラもなく出没するあちこちで、暴力沙汰を起こす。だが、京都の懐石料理を共にした圭司は“セイウチ”とは相通じる気持を潜在的に抱いていることを知る。それ以後、二人だけにしか分かり得ない奇妙な二人の付き合いが始まる。
 やがて、主人公が見守る中、耀子は赤ん坊を産む。>
 この作品は私がこれまで読んできた重松氏の作品の中で、ストーリーにもっともリアリティーが感じられない作品であった。設定されている状況が遠すぎて実感が伴ってこないのだ。
 冬が来ると冬眠するという義理の妹の季節性感情障害という病気も決して身近にある病気ではないし、無味乾燥なさまざまな取り扱い説明書などを翻訳する仕事や編集者が持ち込んでくる随筆などが生活を維持できるほど収入があるとは思えない。
 妻の不貞の理由も曖昧で、主人公圭司の感情の起伏のなさも、義理の妹の耀子が誰の子かも分からないのに、なぜそうまでして子どもが産みたいのかも、もう一つ私には分からなかった。
 ただ、読み終わってみて、重松氏が「家族とは」という意味を自分自身に向かって突き詰めたかったのではなかろうか、そんなふうにも思えてきた。
 結局、7年も一緒に暮しながら、不貞という事実を突きつけられて、主人公圭司は妻の玲子とは共有しているものを何ひとつ持たなかったと悟る。翻訳者という立場でアメリカの無名作家“セイウチ”と付き合っていくうちに、自分の思いを素直に表現することができず、泣きたいときに上手く泣けない性格故に、彼が家族から孤立してしまったのではなかろうかと思い当たる。そして、“セイウチ”の妻へのただならぬ思いに気づく。
 翻って、自分が妻と築いていかねばならない「家族」関係とは、自分と子どもとを繋ぐ「血縁」関係とは、重松氏は悩みつつ、この作品を仕上げたことで、それ以後の自分が取り組むべき小説のテーマの幾つかを探り当てたのではなかろうか。
 私の勝手な思い込みと言われそうだが、この作品は重松にとって感慨深い作品にような気がしてならない。
 尚、『四十回のまばたき』とは英語の口語体で、うたた寝を表す言葉だそうである。

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