覚悟をすれば、人は人に対して優しくできる

 明日は、今年始めてのアルバイト先の出勤日で、しかも1時間半の早出の日でもある。年明け早々、体調不良で休みなどということにならないようにと、私は今日は1日じっと家に閉じこもっていた。
 最初、今日1日、本でも読んで過ごそうと思っていたが、なかなかその気になってこない。女房が未だに左肩が上がらないのに、兄弟たちが母親の供養で弟の家に集まるというので、無理して車で出掛けて行ったことが、妙に気になって、落ち着いていられないのだ。
 そんな折、たまたまテレビで『徹子の部屋』を観ていたら、ゲストに吉永小百合と笑福亭鶴瓶が出ていた。おそらく、二人揃っての出演は、山田洋次監督の次回作 『おとうと』の宣伝のためなのであろう。
 山田監督は、故市川昆監督の作品 『おとうと』に傾倒していて、市川監督の描いた姉弟の設定をそのまま現代に置き換えたらという発想のもとで、しかも姉を吉永小百合、弟を笑福亭鶴瓶というキャッティングを前もって決めてから、脚本を書いて、山田洋次監督が生涯のテーマとしている「家族愛」を描いた映画だと言う。

 多くの親戚の中には、常識破りの行動をしたり、親戚の人たちに迷惑を掛けて疎んじられ、厄介者扱いをされる人がいたりする。私の養父の甥っ子にもそんな人はいたし、養母の従兄弟もまた、全国を気ままに放浪して、親戚中にお金を借りまくり、何度も迷惑を掛けていた。名前を「ヨッさん」と言った。
 養母の従兄弟については、私も影響を受けていて、この私のブログで2、3度書き込んだことがある。
 私が小学5年から高校生まで、養母の従兄弟であるヨッさんはは必ず言っていいほど、正月3日になると我が家にやって来て、1週間ほど泊まっていく。そのたびに、養父も養母も愚痴をこぼしながらも決して二度と家に来るなと言ったのを私は聞いたことがない。むしろ、正月になると我が家にやって来るヨッさんを待っていたのではないか、今になって考えてみるとそんな気がしてならない。
 どちらかと言うと大食漢で、ずいぶん滞在中はお金も掛かったように思うが、養父母から、そうした愚痴も聞いたことがない。あるとき、ヨッさんが出ていったあと、隣りの部屋から養父母の話し声が聞こえてきた。
 「ヨッさんは親戚中の厄介者だが、帰ってきたときぐらいは、誰かが受け入れてやらなければ、どこかで野垂れ死んでしまうかも知れない」私はそんな養父母が好きだった。
 ヨッさんは、まるで山田洋次監督が描く「フーテンの寅さん」のモデルのような人だった。ただ違う点と言えば、フーテンの寅さんの職業は啖呵売で物をうるテキ屋だが、ヨッさんは腕のいい表具師だったところである。
 立て板に水のごとく、その話し方は歯切れもよく、心地よいリズムがあり、気が付くと相手を説得してしまっている。性格も明るくて、人を楽しませることにかけては天才だと言っていい。
 実は私もこのヨッさんが大好きであった。どうして、この人が親戚の厄介者なのかが分らなかった。
 私が23歳のとき、養父が亡くなった。そのとき、ヨッさんは誰から聞いたのか知らないが、四国の高知から跳んで来てくれた。ヨッさんは養父の亡骸にすがったまま、長時間動こうとしなかった。
 それが、私がヨッさんを見た最後であった。と同時にそのとき、ヨッさんの本名が「義一(よしかず)」だということを知った。
 色々な言葉をヨッさんから教えてもらった。年明けでいきなりビロウな話だが、その中でも印象に残っているのが、「屁だ屁だと、隔(屁だ)ててみても憎からず、身から出たと思えば親子同然、行方知れずは、尚可愛い」という言葉で、ヨッさんが言うには、人間ちゅうものは、自分の屁のことは棚に上げて、人の屁は臭いと思ったり、隔てたり、遠ざけたりするものだ。人間って、所詮そんな浅はかなものだと思ってしまえば、人は人に対して優しくできるものなんだ。
 それがヨッさんの生き方だったような気がする。
 この歳になってみると、ヨッさんの考え方は正しいと思える。だが、同時にそんな智恵の詰まったヨッさんの頭に、なぜギャンブルの誘惑を遮断する制御装置が付いていなかったのであろうか。祭壇の前で長い間、養父の亡骸にすがっていたヨッさんの後ろ姿を思い出すたびに、そんな考えが離れようとしない。
 山田洋次監督の映画 『おとうと』は1月30日一般公開だと言う。たぶん、私のことだ、一人こっそりと観に行くに違いない。

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