テーマ:自分史

私が臨時担任をしたクラスの中の一人が看護師となった

 私は最近、自分の蔵書を整理し出したが、高校時代の本棚から、何やら藁半紙の束のようなものが出てきた。  私は20歳の9月初旬から3週間、隣り町の東浦中学校で教員免許取得のために教育実習を行ったが、そのときの臨時担任をしたクラスの生徒に、私のことについて書いてもらった感想文の束であった。  蔵書の整理をほっぽり出して、再び読んでみると…
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実父がどんな人だったのか、このまま分からず終いになりそうである

 私は今年、満77歳になる。  最近、私は実父がどんな人だったのか、思い巡らすときがある。  私は1歳になるかならないうちに養子に出された身だが、実父も私が生まれてから1年ほど経って、胃癌で亡くなったと実の姉から聞かされている。  実父と実母は互いに子持ち同士の再婚で、そのためか、実父の実家とは折り合いが悪く、2人はその実家を飛び…
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50年という歳月はさまざまな人の感情を洗い流してくれる

 私が通っていた高校では、喫茶店に行くことは禁止されていたが、私はあとから同人誌を出すことになる友だち3人と2、3回こっそり行ったことがある。  その喫茶店に名は「Mocha」で、国鉄刈谷駅の東側にあった。その喫茶店は駅口の階段を降りて、東に向かって歩いていくと「明治用水」という農業用水路があり、その喫茶店はその用水路を渡り切ったとこ…
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養父のことを思い出して懐かしむのは、もう息子の私しかいない

 私はこの10年ほど、家にいるときは居間に置いてあるリクライニングチェアーに座っている。  この習慣は12年前にアキレス腱を断絶してからでる。  このリクライングチェアーはもともと女房が買ったものだが、私がアキレス腱断裂という事故を起こしてしまい、今では女房の思惑とは違い、私がリクライニングベッドを使うようになった。  人生は思わ…
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【友だち以上恋人未満】の女性とはもう会わないと心に決めていた

 私は【友だち以上恋人未満】という関係で10年以上も手も握らず、当然、肉体関係もなく付き合っていた女性がいた。  だが、62歳で会社をRetireしたとき、年金生活に入ったことやビジネス英語を学びたかった外国語学校への授業料を支払いもあり、付き合いを止める決心をした。  それより何より、私がサラリーマン時代によく行っていた小料理屋の…
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私はしばらく涙が止まらなかった

 今日、私が乗っている大衆車が車検となり、刈谷市の整備会社に車を持ち込んだ。  新車で購入してから、丸7年になるので整備する個所が多くて、整備担当者によれば、車検代が25万円もかかるということである。  25万円のうち、重量税、自賠責保険、印紙代、車検代行料の合計金額100,504円は現金で支払ってほしいとのことで、現金を引き出しに…
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彼はサラリーマンとして、順調に階段を上っていったようである

 今月の初め、サラリーマン時代に付き合いのあった会社から、九州博多の「明太子」が送られてきた。  私が会社をRetireしてから、15年も経つのに、まだこうした贈り物が届けられる。送り手は従業員20名の会社社長である。  15年目とキリがいいので、もう気遣いはいいからと会社に電話を入れた。  ところが、相手の声は目的相手の声ではな…
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交通標語『狭い日本、そんなに急いで何処へ行く』が流行った時代

 私は現在76歳で、後期高齢者である。  75歳以上の後期高齢者の運転者がスピード違反や信号無視等の一定の違反行為があった場合には、認知機能検査を受けなければならないことになっている。  恥ずかしい話だが、38年間のサラリーマン時代に何度も更新したが運転免許証がゴールドになったことがない。  私はせっかちな性格である。営業担当の任…
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今年はバレンタインデイのチョコを受け取ってくださいね

 私は現在、市の公園で男性10名、女性4名と共に、1ヶ月で12日から14日間ほど働いている。  昨日、女性4名の中に1人から、私のパソコンに「2月14日のバレンタインデイにチョコレートを持って行くから受け取ってくださいね」というメールが入っていた。  そう言えば、去年のバレンタインデイのとき、私は男性メンバー全員にチョコレートを渡す…
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遠いあの日の『たしかさ』が、やっぱり今も住んでいる

 私は何でも残しておく性格である。もったいないという気持ではさらさらなく、単純に整理整頓が下手だからである。  その性格は後期高齢者になっても変わらない。  そのどうしようもない性格のために、2階の私の部屋は自治区やコミュニティ推進協議会のときの広報誌の書類や写真、そして4年間、シルバー人材センターの理事をやってきたので、その都度、…
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その後、二度と呉服屋の若旦那とも同級生の娘とも会うことはなかった

 私の22歳のころ、父親が肺がんとなり、安城厚生病院に長期入院をしたので、私は昼間は鉄工所で働き、夜は愛知県刈谷市にある雀荘に半年間ほどアルバイトをしていたことがある。  働く時間は通常午後7時から11時までである。但し、昼間の会社が休みである隔週の土曜日と日曜日は午後3時から店に出ていた。  毎週水曜日、いつも私の到着を待っていて…
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私は少しずつ、英語教師の使う日常の英会話に馴染んでいった

 私は満62歳で会社をRetireした。  60歳で定年を迎えて、会社から定年延長の要請を受けたが、私は2年間という期限付きで了承した。満62歳になると厚生年金が満額支給となるからだ。  そして、私は名古屋にある南山大学を5年で中退したので、会社をRetireするとすぐ、同じ文学部に再入学が可能かどうかを教務課に尋ねに行くと「それは…
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今、彼女は子育て奮闘中とのことである

 私は2006年の6月から3ヶ月間、ハローワークの職業訓練の一環として、外国語学校I.C.NAGOYAでビジネス英語を学習した。今から15年も前のことである。  その中に28歳の女性がいた。名前をKanae(歌苗)さんと言った。  喫煙仲間ということもあり、他のクラスメートより本音で話し合うことが多かった。  彼女はグローバルビジ…
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その後、女将さんの浮いた話は一度も聞くことはなかった

 私は30歳から45歳ぐらいまで、隣の市の刈谷市の土日市場の居酒屋に飲みに行っていた。  今は規模が縮小されているようだが、当時の土日市場は、月の土日曜日に肉、野菜、魚などの市が立ち、近隣の市町村から、かなりの人が集まり、市場として盛況を呈し、どの週も人出で賑わっていた。  市場の敷地の片隅にプレハブで建てられた居酒屋が6軒並んでい…
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上海のガーデンブリッジを歩いているのは、私一人だけであった

 私は2003年3月から2006年3月にかけて放送された英語トークバラエティー番組「英語でしゃべらナイト(毎週月曜日23:15 - 23:45)」を毎週欠かさず、観ていた。  その2006年1月3日に放送された「英語でしゃべらナイト」は上海スペシャル版で、和平飯店の「上海オールドジャズバンド」のことが話題に上っていた。  その放映を…
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学生同士の「同棲」は即結婚に結びつかない

 女房の弟の息子が2月28日に結婚式を挙げる予定になっていたが、弟からコロナの影響で6月に延期するという連絡があったとのことである。  女房曰く、その子たち、もう6年も同棲していたとのことである。  今の時代、付き合っている男女が同棲するというのは、そんなに珍しいことではないようである。相性が良くないとわかれば、合意のもとで同棲を解…
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後期高齢者になった今でも、心はあの頃の青臭さのままである

 私は最近よく、ある歌を思い出すことがある。「我が良き友よ」である。  私にはどうしても避けては通れない時代があった。  その時代とは、私が大学受験に失敗し、友だちの中で自分一人だけが浪人をしていた時代である。  私が浪人していても、中学高校時代の友だちS、T、Mと私の4人が、さしたる用事もないのに自然と集まり、近くの居酒屋や家で…
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あれから60年の歳月が流れている

 女房はどこから聞いてきたかは知らないけれど、唐突に「堀尾先生、新川でまだ元気で診察しているわよ」と言ってきた。  堀尾先生というのは、高校3年生のときに一緒のクラスであり、共にやんちゃな遊びをした仲であり、名古屋の高校で、桂枝太郎師匠を講師に迎えて「落語研究会」を立ち上げたという話を聞き、自分の高校でも「落語研究会(落研)」を立ち上…
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去年は中学のクラス会を開催する年になっていた

 去年は中学のクラス会を開催する年になっていた。  だが、降って湧いたようなコロナ感染防止のために中学のクラス会が開かれることはなかった。  私は2017年から市の公園で働いているが、私は去年の誕生日で満76歳になり、後期高齢者となった。公園で働く除草班の後期高齢者のメンバーがこの2年間で4人も亡くなり、同じくこの2年間で、体調不良…
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私と東浦町は切っても切れないほどの縁で結ばれていた

 1月8日に私が住んでいる大府市に隣接する東浦町の於大公園に出かけて行った。  東浦町は知多半島の付け根に位置しているが、これまでの私とは、何かと縁が深かった町でもある。  私は刈谷市にある公立高校に通っていたが、サッカー部に所属する同じクラスの男子から、同じ刈谷市にある商業高校に通う女子高生とは友人を介して知り合いになったが、彼女…
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グローバルビジネス科の3か月間は、まるで10数年を圧縮したような充実した期間であった

 私は62歳で会社をRetireしてから、いわゆる職業訓練の一環として外国語学校I.C.NAGOYAの筆記試験と面接試験に合格して、2006年6月8日から授業を受けることになった。  最初の1か月間は外国人教師だけでなく日本人教師もいたが、まったく日本語が話せない状態の授業が続いて、クラス全体が少々ノイローゼ気味になっていた。  そ…
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他人のことながら、改めて宮仕えの辛さを感じたものである

 私は現役サラリーマン時代には取得済の運転免許証のほかに、入社後の5年間にわたり、フォークリフト免許、床上操作式クレーン運転技能講習修了証書、玉掛け技能講習終了証書、危険物取扱者保安講習修了証書、品質管理検定(QC検定)2級資格を取得した。  本社では倉庫管理者が不在のときには、床上操作式クレーンを運転したり、フォークリフトを運転した…
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第一回懇親会(The First Get-Together)のProgramがクラスメート全員に配られた

 私は満62歳の誕生日を迎えた月を最後に会社を退職した。  60歳の定年を迎え、会社から定年延長を求められたとき、1年契約で、もし年度途中で退職を希望すれば受理するという条件付きで、会社の要望を受け入れた。  私は定年延長2年後の誕生日に会社に退職届を出して、サラリーマン生活を終えた。  3社から再就職をしないかという声をかけても…
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生きがいのある生活を早く見つけてほしいと、私は心の中で願っていた

 グローバルビジネス科のクラスメート8人の2006年当時の印象 ― その ⑦  Mikaさんは、私がFACEBOOKを立ち上げた当初から、熱心に「いいね!」を付けてくれている。先だってはコメントもしてくれた。  私は新婚当時のMikiさんのお宅で、グローバルビジネス科の新年会をやることになり、電車で出かけていったことがある。そのMi…
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かけがえのない思い出としてこれからも生きていきます

 今日は2020年の大晦日である。  今しがた、年越しそばを食べて、2階の自分の部屋にやって来たところである。  ここ10年ほどの大晦日はテレビの特別番組や紅白歌合戦を見ることもなくなった。  市営駐車場の管理人の仕事をしていたときには、年末年始も仕事が入っていたし、そのあとに女房がアルバイトをし出して、同じように年末年始も仕事で…
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ダンナさんの態度はEtsukoさんに対して、メロメロだった

 グローバルビジネス科のクラスメート8人の2006年当時の印象 ― その ⑥  Etsukoさんも2012年8月から始めた私のFACEBOOKに「いいね!」を何度も付けてくれた。  名古屋にある外国語学校I.C.NAGOYAのグローバルビジネス科で、ビジネス英語を学んだのは2006年の6月から8月までの3か月間だけなのに、クラスメー…
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だが、自分のサラリーマン人生に悔いはなかった

 会社には「攻め」の社員と「守り」の社員がいる。  私はと言えば、自分で言うのはおこがましいが、典型的な「攻め」の社員であった。  私がまだ営業の駆け出しの頃、客先の購買部の次長が無類の将棋好きで、商談が昼に掛かってしまうときなどは、その次長と食事をしたあと、必ず将棋の相手をさせられた。  トータルな将棋の腕前ははるかに客先の次長…
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現在、私のFACEBOOKを見てもらうだけでもありがたいことである

 グローバルビジネス科のクラスメート8人の2006年当時の印象 ― その ⑤  Hirokoさんとは、グローバルビジネス科で英語を学んだ3ヶ月間で一度も近くで授業を受けたことはなかった。  私は教壇に向かって左側のいちばん後ろの席であり、Hirokoさんは窓側、右からの2番目の席に座って、いつも授業を聞いていた。昼食時のグループも私…
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グローバルビジネス科の名簿を生きた証しとして、今も大事に保管している

 グローバルビジネス科のクラスメート8人の2006年当時の印象 ― その ④  グローバルビジネス科のクラスメートの頃のYukieさんは40代で、常に冷静な判断を下すインテリジェンスを内包している人であった。  クラスの中でYukieさんは、還暦を超えてもやんちゃで、非礼とも言える行動に出る私を「それってやり過ぎです」と、いつもたし…
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グローバルビジネス科のクラスメート8人の2006年当時の印象 ― その ③

 グローバルビジネス科のクラスメート8人の2006年当時の印象 ― その ③  私は2012年8月からFACEBOOKをやり始めたが、その初っ端の記事に「いいね!」を付けてくれたのはMihokoさんであった。  今でも私のFACEBOOKにときどきアクセスしてくれていている。  今日、改めてI.C.NAGOYAのグローバルビジネス…
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