また無我夢中で自主映画つくりに奔走してしまうようである

 3月20日と21日は市の愛三文化会館(勤労文化会館)で開催された「おおぶ映画祭2021~映画の可能性は、あなたの可能性~」に出かけて行った。  全国から応募のあった69の自主制作映画の中から5作品と招待作品の合計10作品が2日間に渡って上映された。  この「おおぶ映画祭」は今年で4回目となるが、私は去年に引き続いて2回目となる。 …
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誰にも自分の人生の結果が予測できないのとよく似ている

 私は社長から命ぜられて、28年間、三菱重工の営業担当をやってきた。  私はそれまで中央競馬の馬券を購入したことはなかったが、最初に自分の会社の担当として面会した資材課の主任に突如、誘われて、初めて5000円の軍資金を持って中京競馬場に行ったのが競馬に関わった最初である。  競馬にお付き合いをしたあと、帰りにどこかで食事をしようと別…
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そんなことはやり過ごせばいいという気持になっている

 女房は市の老人会が主催している陶芸教室、シルバー人材センターが講師を招いて開いているネクターリフォーム教室、書道教室、手芸・洋裁教室に通っている。  そのほかにもJAから自家菜園も借りて野菜つくりをしているので、私は昼食をよそで食べることが多くなっている。  今日も女房は陶芸教室に行っているので、私は散歩がてらに市庁舎のリニューア…
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親しい大切な人を呼ぶときは「固有名詞」で呼ぶのが、私流の二人称の呼び方である

 今月16日に我が家にやって来た娘が「わたし、お父さんみたいな人と結婚したくないとずっと思っていたけど、近ごろ、うちのダンナがお父さんに似てきて、困っている」と突然、嫌味を言ってきた。  娘がちゃんと自分のことを「わたし」と言っていることに気付いて、やっと大人になったなと感じていた。  娘は二十歳過ぎまで、会話の中で自分のことを「わ…
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落語「授業中」を聞いて、私なりに出した結論はまた別であった

 今日、本棚を整理していると「声に出して読みてゃあ名古屋弁」(二代目勤勉亭親不孝著、すばる舎)という本が出てきた。  東海市の古書店で購入した本である。  私はその本を購入するとき、<勤勉亭親不孝>という芸名が受け継がれていることに驚いていた。  その懐かしい芸名に触れたことで、私の気持は一気に56年前の自分に戻っていった。  …
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今日も市の公園の同僚たちはゴルフ談議で盛り上がっていた

 ゴルフというスポーツは、一度その楽しみを味わったら、なかなか抜け出せないものらしい。  私は現在、月に60時間から70時間、市の公園で働いている。仕事は公園全体の管理事務とバーベキュー場サイトの貸出業務である。  メンバーは私を含めた男性10名と女性4名である。その男性の中で、5名がゴルフを趣味にしている。休憩中の雑談の多くはゴル…
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それが私が酒を飲むときに自分に課したルールであった

 私は結婚してから人並みに晩酌をやっていたが、あることを契機に30代後半ぐらいから、晩酌を断った。  私が勤めていた会社は、今から40年ほど前に愛知県半田市に新工場を建てて、私が営業担当していた製品をその新工場で生産・出荷することとなり、新工場稼動とともに、私は半田市に転勤することになった。  新工場の工場長は、私が師と仰ぐ本社の常…
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一刻も早くコロナ感染症が終息してほしいと願うばかりである

 今朝7時に起きたときには、もうすでに女房はJAから借りている「自家菜園」に出掛けて行ったあとだった。  前日にその旨を聞いていたので驚きはしなかったが、いつものヨーグルトにバナナという朝食を止めて、今朝は自分で目玉焼きを作ろうと思い立った。  だが、オリーブオイルが見当たらず、ちょっぴり残念という気持のまま、子どもの頃のように卵か…
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これからも女房に頭の上がらない日々が続くことになる

 13日の土曜日、市の公園の午後1時までの勤務を終えて家に帰ると、机の上にメモ書きがあり、JAから借りている「いきいき農園」で採れた鏑と大根を持って、妹のところに行っているから、昼食は自分で用意して済ませるようにと書かれてあった。  以前は、女房が出かけていると台所に行って生麺のラーメンを茹で、白菜とネギをきざんでから、ラーメン汁に入…
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それが、私が普通電車で名古屋に行く理由である

 私はコロナ禍で、この2年間、名古屋に出かけることを控えていた。  最近、名古屋に行きたいという気持がひとしお募ってきている。  名古屋には中学高校時代には、毎週のようにJR名古屋駅東口にあった名古屋東映や納屋橋の名宝スカラ座に映画を観に行っていた。  大学受験に失敗して1年間だけ、JR名古屋駅西口側にあった予備校河合塾に通ってい…
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それが、当時の私の結論であった

 私にはグルメ嗜好がまったくない。  私は36歳のときまで、生産管理課という部署に所属していて、主に協力工会社(下請け)に部品を発注していた。  その協力会社への発注権や単価の交渉権は課長に裁量権があり、私は単に協力会社に発注した部品の進捗管理をしたり、特急品が発生すると協力会社に貼り付いて、完成すると同時に得意先へ納品したりしてい…
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実父がどんな人だったのか、このまま分からず終いになりそうである

 私は今年、満77歳になる。  最近、私は実父がどんな人だったのか、思い巡らすときがある。  私は1歳になるかならないうちに養子に出された身だが、実父も私が生まれてから1年ほど経って、胃癌で亡くなったと実の姉から聞かされている。  実父と実母は互いに子持ち同士の再婚で、そのためか、実父の実家とは折り合いが悪く、2人はその実家を飛び…
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私の忘れられないメニューはすべて1000円にも満たないものばかりであった

 私が会社をRetireしたとき、女房は刈谷市にある総合病院で、現役の看護師をしていた。  その女房が病院の三交替勤務で家にいないときなどには、よく一人で食事に出かけたものだが、自分はRetireしたのだから、<これからは、贅沢はできないぞ>と戒めていた。  私はサラリーマン時代、愛知県大府市にある本社で10年、半田市にある工場で2…
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50年という歳月はさまざまな人の感情を洗い流してくれる

 私が通っていた高校では、喫茶店に行くことは禁止されていたが、私はあとから同人誌を出すことになる友だち3人と2、3回こっそり行ったことがある。  その喫茶店に名は「Mocha」で、国鉄刈谷駅の東側にあった。その喫茶店は駅口の階段を降りて、東に向かって歩いていくと「明治用水」という農業用水路があり、その喫茶店はその用水路を渡り切ったとこ…
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NHK-BS1のザ・ヒューマン「止まらない男~噺家 柳家小三治」を視聴して

 昨日、DVD録画してあったNHK-BS1のザ・ヒューマン「止まらない男~噺家 柳家小三治」を再生して観ていた。  そう言えば、1週間ほど前、本棚や机の上に乱雑に積まれている古い書籍を整理していたら、境田昭造氏の『快人噺家十五面相』という単行本が出てきた。その15人の噺家の中には17人抜きで真打となった柳家小三治師匠も入っていた。 …
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韓国技術者の技術に対する打ち込み方など、頭が下がる思いがしていた

 私は38年間、サラリーマンとして働いてきたが、35歳の時に社長から三菱重工の営業担当を任された。  当時、三菱重工枇杷島工場の中では、三菱自動車のカーエアコンのユニットを組み立てていた。  営業担当を任されて1年後、三菱自動車のミニカのカーエアコンのコンプレッサーブラケットの競合見積に参加することになった。ミニカは当時、月産1万台…
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それって、自分の我がままでしかないと即座にその思いを打ち消していた

 私には今年の7月で43歳になる娘がいる。  娘は24歳で知多市の自営業者の長男のところへ嫁に行き、翌年の5月、上の孫娘の出産の折には2ヶ月ほど我が家に留まったあと、知多市のダンナのもとに帰っていった。  ときどき、娘はその孫娘を連れて我が家にやって来る。  上の孫娘が今年の4月から大学生になるので、18年も前のことになる。  …
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母親の親戚と言えば、養子の兄の子である甥と姪の2人と祖父の子である従兄弟だけであった

 私の母親は一人っ子だったので、祖母は母親より2つ年上の男の子を養子に迎えたが、第二次世界大戦で、男の子と女の子を残し、若くして戦死してしまった。  そのために母親の親戚と言えば、その養子の兄の子である甥と姪の2人と祖父の子である従兄弟だけであった。  私は母親の従兄弟を【おじさん】と呼んでいた。【おじさん】私と同じ齢の養女をもらい…
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来年度も私は広報部会の副部長として名を連ねている

 私は満68歳のとき、地域自治区の区長代理をやっている高校時代の同級生から、来年度から区長をやるので手助けしてほしいと頼まれ、翌年度から広報部長をやることになった。  それから2年の任期を終え、シルバー人材センターから市営駐車場の管理人の仕事はどうかと提示されて、就業するようになった。  市営駐車場の管理事務紙はJR大府駅の東側と西…
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養父のことを思い出して懐かしむのは、もう息子の私しかいない

 私はこの10年ほど、家にいるときは居間に置いてあるリクライニングチェアーに座っている。  この習慣は12年前にアキレス腱を断絶してからでる。  このリクライングチェアーはもともと女房が買ったものだが、私がアキレス腱断裂という事故を起こしてしまい、今では女房の思惑とは違い、私がリクライニングベッドを使うようになった。  人生は思わ…
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