ふと見上げると「SUNSHINE SAKAE」ビルの観覧車にネオンが灯っていた

 私は昔の面影を追いに名古屋の街に行くたくなるときがある。
 コロナ禍になる前にも初恋の人との思い出が胸をよぎり、衝動的に名古屋に出かけたことがあった。

 名古屋駅全体の雰囲気は、60年前とさして変わりはないが、駅ビルはJRツインタワーに建て替えられ、その周囲はホテルやレストラン、ショッピングモールなどの商業地域として、驚くほどに変貌を遂げている。
 初恋の人と待ち合わせの場所にあった通称大時計は取り除かれているが、場所自体は今もそこにあり、昔の大時計の前にはJRツインタワーに向かうエスカレーターが設置されている。今もやはり、そのエスカレーターの乗降口は待ち合わせ場所になっている。
 改札口やプラットホームなどは、60年前と余り変わらない。
 初恋の人と初めて名古屋に出たときも、その通称大時計前のフロアで待ち合わせた。
 栄に向かい、当時と同じ道を歩いてみた。
 60年前には、名古屋駅を正面に出ると、交差点の向こうにジャズ喫茶「ラテンクオーター」の看板が見えた。だが、今は当然ない。
 名古屋駅を南に向けて歩くと、笹島の交差点に出る。その交差点を左に曲がり、広小路通りを栄方面に向かっていく。5分ほど歩くと今度は柳橋の交差点に出る。その交差点の上を名古屋高速の高架が見える。
 60年前は、柳橋はただ広いだけの交差点で、当然、名古屋高速の高架もなく、人もまばらであり、午後5時を過ぎると、通りは癒しを求めるサラリーマン目当ての屋台で、ひしめき合っていた。
 その高架の下を抜けると、納屋橋に出る。
 当時は納屋橋を渡る前の河岸沿いの左側に、ストリップ劇場があった。夏の暑い時期には、まだクーラーのない時代で、涼を求めるため、劇場の中川運河側のカーテンが開けられていた。納屋橋の上に立つとそのカーテンの隙間から、ストリップショーが垣間見えていた。今はその劇場も創作料理のレストランに変わっている。
 納屋橋を渡り終えると、広小路通の右側には映画館が数件立ち並んでいた。
 初恋の人と私は、その映画館の一つ、名宝スカラ座でルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」という映画を見た。今はもう、その名宝スカラ座もない。そのスカラ座のあとには、ヒルトンホテルが建っている。
 さらに広小路通りを更に栄に向けて歩いていく。御園座のある伏見通りを横切り、しばらくすると初恋の人と2回目に待ち合わせた松坂屋の本屋「丸善」の看板が右側に見えてくる。「丸善」で待ち合わせることになったのは、初恋の人も私も共に本が好きで、待っている間に本を立ち読みしていれば、相手が来るのを気にせずに、間が持つと思えたからであった。
 だが、今は「丸善」はなくなっている。
 そのとき初恋の人と私は一階の「丸善」で待ち合わせしたあと、近くの住吉町プリンセス通りにあったアベック喫茶「エリーゼ」に行った。
 喫茶「エリーゼ」は、当時、一階二階は普通の喫茶店であったが、三階はアベックシートと呼ばれた背もたれが高く、2人用の席があるだけであった。
 私は、改めて60年の年月の長さを感じていた。時代は確実に変わってしまった。
 今になれば、初恋の人とのことは、初めて握った手の感触と彼女の左唇の下にできる小さなえくぼだけである。
 その日は秋の気配が近づいていて、落日が早くなった。
 私は家路に着こうと、広小路通りから錦通りに出て、栄の地下鉄の入り口を目指して、歩き出した。
 ふと見上げると「SUNSHINE SAKAE」ビルの観覧車にネオンが灯っていた。
 私はそのとき、眩くネオンがもうそろそろ、初恋の人との思い出は捨て去ってもいいのではないか、私に向かって、そんなふうに訴えかけている気がしていた。

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