市営駐車場の管理人のときは、よく外山滋比古氏の著書を読んでいた。
私は市営駐車場の管理人のアルバイトをしていたときには、よく外山滋比古氏の著書を持込み、読んでいた。
外山氏の著書の中には専攻が英文学ということもあって、『ユーモアのレッスン』『英語辞書の使いかた』『英語ことわざ集』など、英語に関するものが少なからず、出版されている。
市営駐車場の管理人のアルバイトをしていた2年間、私は勤務の合間を縫って、英語を学ぶために名古屋にある外国語学校I.C.NAGOYAに通っていた。
市営駐車場の管理人の仕事は一日中、忙しいわけではなく、管理事務所ではテレビを観るのは禁止されていたので、手持無沙汰のときには私は外山氏の英語に関する著作を読んでいた。
その中で、真っ先に読んだのが、『ユーモアのレッスン』というエッセイであった。
このエッセイはまずユーモア(Humour)の語源から始まっている。
Humourをそのまま読めばヒューマーとなるはずが、日本ではなぜユーモアとして定着している。この著作はまず、その解説から始まっている。
イギリスの古風な発音では語頭のhを落として、ユーモアと発音されていたが、その後にhを発音するようになり、現代ではヒューマーと発音するようになった。
だが、日本にこのHumourという単語が入ってきたときは、イギリスではまだユーモアと発音していた時代で、坪内逍遥にしても“ユーモア”と訳して使用していた。その逍遥の訳が現代まで引き継がれてきた。
私は大学時代、第二外国語としてフランス語を2年間学んだことがある。
そのときにフランス語の基礎として「有音の h(アッシュ)」「無音の h(アッシュ)」をまず習った。
フランス語ではhは発音しない。
だが、語頭がhで始まる単語の中で、実際に耳には聞こえないが、便宜上hを発音しているものとみなす単語と、端から発音していないとみなす単語をフランス語では区分している。
その区分のうちで前者を「有音の h(アッシュ)」と呼び、後者を「無音の h(アッシュ)」と読んでいる。
なぜ、わざわざそんなややこしい区分をしなければならないかと言えば、「有音の h(アッシュ)」で始まる単語と「無音の h(アッシュ)」とでは、単語の前に置かれる冠詞が異なるからである。
英語でもhを発音していなかった時代があったが、その後にhを発音する単語も出現するようになった。そうした象徴的な単語の一つがHumour(ヒューマー)なのである。
話は飛ぶが、私の大学時代、つまり今から60年ほど前も、ユーモアとウィット、そしてジョークの違いは何かを議論したものである。
会社をRetireしてから、職業訓練で通った外国語学校I.C.NAGOYAでも、ユーモアとウィット、そしてジョークの違いがたびたび話題になった。
だが、Nativeの英会話講師に聞いてもやはり、はっきりした説明をしてくれなかったし、外山氏の『ユーモアのレッスン』の中でもそうした疑問に対して明解な答えを与えてくれてはいない。
それほど、この3つの言葉の定義は難しいということなのかも知れない。
ただ、外山氏はユーモアにはペーソスが含まれていた方がいいというマーク・トウェインの言葉を全面的に支持している。
私見だが、ユーモアというのは実際の人生に照らし合わせたり、オーバーラップさせたりすることで、そこはかとなく人の心を和ませる性質をもった言葉なのかも知れない。
暇に任せて、ユーモア(Humour)、ウィット(Wit)、ジョーク(Joke)を英々辞典で引いてみると、次のようになっていた。
Humour:the quality in something that makes it funny.
Wit:the ability to say things that are clever and amusing.
Joke:something that you say or do to make people laugh.
この英々辞典では、ユーモアはその中に可笑しくさせる性質を内包したものであり、ウィットは知的で楽しませることを幾つも言える能力であり、ジョークとは本人が何か言ったりやったりして、人々をバカ笑いさせるものだと説明されている。
だが、そういう解説がされていても、未だに私はその違いを峻別できないでいる。
「ユーモア」「ウィット」「ジョーク」、どれを言うにしても、礼儀として人を傷つける言質だけは避けた方がよさそうである。
外山氏の著書の中には専攻が英文学ということもあって、『ユーモアのレッスン』『英語辞書の使いかた』『英語ことわざ集』など、英語に関するものが少なからず、出版されている。
市営駐車場の管理人のアルバイトをしていた2年間、私は勤務の合間を縫って、英語を学ぶために名古屋にある外国語学校I.C.NAGOYAに通っていた。
市営駐車場の管理人の仕事は一日中、忙しいわけではなく、管理事務所ではテレビを観るのは禁止されていたので、手持無沙汰のときには私は外山氏の英語に関する著作を読んでいた。
その中で、真っ先に読んだのが、『ユーモアのレッスン』というエッセイであった。
このエッセイはまずユーモア(Humour)の語源から始まっている。
Humourをそのまま読めばヒューマーとなるはずが、日本ではなぜユーモアとして定着している。この著作はまず、その解説から始まっている。
イギリスの古風な発音では語頭のhを落として、ユーモアと発音されていたが、その後にhを発音するようになり、現代ではヒューマーと発音するようになった。
だが、日本にこのHumourという単語が入ってきたときは、イギリスではまだユーモアと発音していた時代で、坪内逍遥にしても“ユーモア”と訳して使用していた。その逍遥の訳が現代まで引き継がれてきた。
私は大学時代、第二外国語としてフランス語を2年間学んだことがある。
そのときにフランス語の基礎として「有音の h(アッシュ)」「無音の h(アッシュ)」をまず習った。
フランス語ではhは発音しない。
だが、語頭がhで始まる単語の中で、実際に耳には聞こえないが、便宜上hを発音しているものとみなす単語と、端から発音していないとみなす単語をフランス語では区分している。
その区分のうちで前者を「有音の h(アッシュ)」と呼び、後者を「無音の h(アッシュ)」と読んでいる。
なぜ、わざわざそんなややこしい区分をしなければならないかと言えば、「有音の h(アッシュ)」で始まる単語と「無音の h(アッシュ)」とでは、単語の前に置かれる冠詞が異なるからである。
英語でもhを発音していなかった時代があったが、その後にhを発音する単語も出現するようになった。そうした象徴的な単語の一つがHumour(ヒューマー)なのである。
話は飛ぶが、私の大学時代、つまり今から60年ほど前も、ユーモアとウィット、そしてジョークの違いは何かを議論したものである。
会社をRetireしてから、職業訓練で通った外国語学校I.C.NAGOYAでも、ユーモアとウィット、そしてジョークの違いがたびたび話題になった。
だが、Nativeの英会話講師に聞いてもやはり、はっきりした説明をしてくれなかったし、外山氏の『ユーモアのレッスン』の中でもそうした疑問に対して明解な答えを与えてくれてはいない。
それほど、この3つの言葉の定義は難しいということなのかも知れない。
ただ、外山氏はユーモアにはペーソスが含まれていた方がいいというマーク・トウェインの言葉を全面的に支持している。
私見だが、ユーモアというのは実際の人生に照らし合わせたり、オーバーラップさせたりすることで、そこはかとなく人の心を和ませる性質をもった言葉なのかも知れない。
暇に任せて、ユーモア(Humour)、ウィット(Wit)、ジョーク(Joke)を英々辞典で引いてみると、次のようになっていた。
Humour:the quality in something that makes it funny.
Wit:the ability to say things that are clever and amusing.
Joke:something that you say or do to make people laugh.
この英々辞典では、ユーモアはその中に可笑しくさせる性質を内包したものであり、ウィットは知的で楽しませることを幾つも言える能力であり、ジョークとは本人が何か言ったりやったりして、人々をバカ笑いさせるものだと説明されている。
だが、そういう解説がされていても、未だに私はその違いを峻別できないでいる。
「ユーモア」「ウィット」「ジョーク」、どれを言うにしても、礼儀として人を傷つける言質だけは避けた方がよさそうである。
"市営駐車場の管理人のときは、よく外山滋比古氏の著書を読んでいた。" へのコメントを書く