女房の尻に引かれるぐらいが丁度いいと、自分に言い聞かせている

 1階にある居間で、グリーンチャンネルのJRA競馬中継を観ていたら、台所の方から、注ぎ口に笛吹きがついているケトルが鳴り出した。
 私は慌ててガスコンロのスイッチを切った。
 台所には女房がいたはずなのにその姿が見えない。
 玄関の方向に目をやると、引き戸が5分の1ほど開きっぱなしになっている。
 微かに家の前の道路方面から、女同士の話声が聞こえる。また、向かいの奥さんと世間話をしていて、女房は台所のガスコンロで湯を沸かしていたことをすっかり、忘れてしまっているようだ。
 私は玄関の戸を開けながら、向かいの奥さんに気取られぬように声を殺しながら、女房に向かって「奥さま、何かお忘れではありませんか?」と呼びかけてみた。
 女房は急に思い出したのか、女同士の会話を中断して台所に駆け込んでいった。
 すでにガスコンロの火は消えていたのを確認すると私に向かって、「また、やっちゃった!」と照れ隠しの笑いを浮かべる。
 実は、私のところの女房はおっとり型でなかなか物事に動じない性格をしている。
 天ぷらは台所が汚れるからとスーパーで出来合いの物を買ってくるから、これまで大事にならずにすんでいるが、それでも湯を沸かすときとか、肉ジャガとか、ブリ大根など煮物を作るときには、これまでも年に数回の割合で、鍋の中の物を焦げ付かせてきた。
 そこで、女房が刈谷市にある総合病院を定年退職してから、家で料理を作る機会が多くなり、ガス会社の薦めもあり、無料ということもあって、都市ガス警報器・住宅用火災警報器を台所に据え付けた。
 そのことが返って災いしたのか、これまでより頻繁に煮物を焦げ付かせる回数が多くなってしまった。だが、火災報知機が1度も鳴ったことはなかった。
 ところが、今年になってから、電気料金とガス料金をセットした料金システムに変更したことにより、ガス会社が設置してくれた火災報知機を取り外されてしまった。
 女房も後期高齢者になり、健忘症になったのか、気を付けているようだが、こうしたケトルの湯の沸騰とか、鍋の焦げ付きとかの回数が増えてきた。
 私は女房が台所で食事を用意するときには、私は必ず、台所の隣の居間にいることにしている。
 ケトルが鳴るたびに、とみにひどくなった自分の健忘症を棚に上げて、「アホか、いつも同じことを繰り返して。もっと学習しろよ」とついつい声を荒げる。
 すると、女房は私に負けまいと「アホだから、43年も持ってんの!」と言い返してくる。
 短気で自分勝手な私と43年も夫婦生活をしてこられたのは、自分がアホで嫌なことをすぐ忘れてきたからだと言うのである。
 確かに、女房の言うことにも一理ある。

 結婚は個性も生い立ちも違う男女が裸で向き合い、共に日常生活を営む。
 そして、それぞれが育った家の固有の文化を色濃くひきずっており、折に触れて、その固有の文化が衝突する。しかも、その生活文化は幼少期からそれと気付かぬほどに深く、互いの意識に沁み込んでいているから、容易に改まるものではない。
 ときには互いを傷つけ合い、自身もうんざりするほど何度も諍いを繰り返し続けることにもなる。
 だが、私には結婚という形態はそうした衝突、諍いを通して、やがて、一つの生活スタイル、新しい家の文化が作り上げていくものだと私は結婚当時から割り切ってきた。
 嫌な事はすぐに忘れて、相手の欠点をあげつらわず、いつも妥協点を見い出しながら、夫婦だけの家の文化を築いていく、それが当たり前の夫婦生活なのだと悟りきってしまえば、次第に諍いはなくなっていく。
 女房が<自分がアホだから、これまで持ってきたのよ>と言うのは、私の偏屈さに合わせていくには、過ぎ去ったことをすぐに忘れるという方法しかなかったと、暗に私に伝えているのだ。
 亭主は女房の尻に引かれるぐらいが丁度いいと今日も自分に言い聞かせている。

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