私の成長とともに、麦ご飯が消えて銀シャリとなっていった
今年の12月で、私は満77歳になる。
この真夏の暑さで、気力が萎えたのか。体がだるくて仕方がない。
最近、夜中にふと考えることがある。
日常の時間というものが余りにもさりげなく通り過ぎていき、過去をどこまで遡れば自分が見えてくるのか、哀しいが、今の自分の立ち位置では、その過去はおぼろげになっている。
いかにすれば、去りゆく時間の流れの中で自分の生きた証しというものをいかに残せるのか。
もう一人の私が呟く。
【一人の人間の生きた証しなんて、大仰なことを言うな、自分を何様だと思っているんだ。そんな考えは取るに足らないみみっちい野心で、そんなものは捨てた方がいい。ままよ、先人の羅針盤が役立つはずもなく、このままでいい。】
私はいつしか、思考停止になってしまっている。
だが、自分の中に自分だけの時間の座標軸のようなものが存在しているのは確かなようである。
私は一人っ子で育っているが、小学生の高学年の頃に同じ町内に住んでいたお年寄りの女性にとても可愛がられたが、その記憶が未だに消えない。
その人の息子は司法書士をやっていて、当時、その女性は70歳を超えていた。
その女性はもうずいぶん前に90歳で亡くなったが、今はその家は洋風に建て替えられたが、変わりなく豪邸がそこにある。
確か、昭和20年代の後半か、昭和30年の初めだったように思うが、近所で真っ先に司法書士の事務所と居間にテレビを買ったほどだったから、町内では指折りの裕福な家庭だったに違いない。
その70歳を超えたおばあちゃんは広い家屋の離れで、一人で住んでいて、夕食が終わると「カズちゃん、一緒にテレビを観ましょう」と私の家にやって来て、両親の許可を取って、私をテレビのある居間に連れてやって来る。
おぼろげながら、そのおばあちゃんと一緒に「私の秘密」とか「お笑い三人組」とかの番組を観た記憶が残っている。
それよりも私の記憶に鮮明に残っているのは、そのおばあちゃんが、「御一新」とか「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」とか、私に語った言葉であり、天地をひっくり返したような恐怖だったと話してくれたのは、関東大震災のときの様子であった。
ただ、私の記憶に鮮明に残っているのは、おばあちゃんの言葉の響きだけで、小学校の高学年の私にはイメージとして、まったく頭に浮かんでこなかった。
昭和19年生まれの私が辛うじて映像として記憶に残っているのは、名古屋の繁華街の四つ角に立ち、行き交う人に頭を下げて、首から義援金の箱を下げた傷病兵の姿であり、同級生の父親が復員してきたときの兵隊姿であった。
今、そんな話を自分の娘や息子にしても、心には届かないと思われる。
何を言いたいかと言えば、エンドレスで流れる時間の中では、人は生まれた年代、もっと極端に言えば自分の誕生日がいつの年だったかで、それぞれ異なった時間の座標軸を持っていると言いたかったのである。
上述のおばあちゃんの時間の座標軸は関東大震災が起きた年であり、私の娘や息子はせいぜい平成に入った年代に起きた出来事が座標軸になっているのではなかろうか。
私の場合は、やはりオリンピックの年が時間の座標軸の中心にあるような気がする。
テレビのカラー放送が始まり、東海道新幹線が走り、そしてオリンピックが開催された。そのオリンピックをさかいにして、世の中が急激に高度成長期に突入していった。
やがて、麦ご飯が消えて、銀シャリとなった。
哀しいかな、私はどんな歴史の転換期よりも、実際に自分の生きてきた70年の方が重く印象付けられており、その分、時間が経過した今でも、おぼろげながらもイメージとして残っている。
それこそ、私の生きた証しとなっている。
だが、自分の生きた証しとは、自分の座標軸だけにひっそりと記されるものなのかも知れない。
この真夏の暑さで、気力が萎えたのか。体がだるくて仕方がない。
最近、夜中にふと考えることがある。
日常の時間というものが余りにもさりげなく通り過ぎていき、過去をどこまで遡れば自分が見えてくるのか、哀しいが、今の自分の立ち位置では、その過去はおぼろげになっている。
いかにすれば、去りゆく時間の流れの中で自分の生きた証しというものをいかに残せるのか。
もう一人の私が呟く。
【一人の人間の生きた証しなんて、大仰なことを言うな、自分を何様だと思っているんだ。そんな考えは取るに足らないみみっちい野心で、そんなものは捨てた方がいい。ままよ、先人の羅針盤が役立つはずもなく、このままでいい。】
私はいつしか、思考停止になってしまっている。
だが、自分の中に自分だけの時間の座標軸のようなものが存在しているのは確かなようである。
私は一人っ子で育っているが、小学生の高学年の頃に同じ町内に住んでいたお年寄りの女性にとても可愛がられたが、その記憶が未だに消えない。
その人の息子は司法書士をやっていて、当時、その女性は70歳を超えていた。
その女性はもうずいぶん前に90歳で亡くなったが、今はその家は洋風に建て替えられたが、変わりなく豪邸がそこにある。
確か、昭和20年代の後半か、昭和30年の初めだったように思うが、近所で真っ先に司法書士の事務所と居間にテレビを買ったほどだったから、町内では指折りの裕福な家庭だったに違いない。
その70歳を超えたおばあちゃんは広い家屋の離れで、一人で住んでいて、夕食が終わると「カズちゃん、一緒にテレビを観ましょう」と私の家にやって来て、両親の許可を取って、私をテレビのある居間に連れてやって来る。
おぼろげながら、そのおばあちゃんと一緒に「私の秘密」とか「お笑い三人組」とかの番組を観た記憶が残っている。
それよりも私の記憶に鮮明に残っているのは、そのおばあちゃんが、「御一新」とか「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」とか、私に語った言葉であり、天地をひっくり返したような恐怖だったと話してくれたのは、関東大震災のときの様子であった。
ただ、私の記憶に鮮明に残っているのは、おばあちゃんの言葉の響きだけで、小学校の高学年の私にはイメージとして、まったく頭に浮かんでこなかった。
昭和19年生まれの私が辛うじて映像として記憶に残っているのは、名古屋の繁華街の四つ角に立ち、行き交う人に頭を下げて、首から義援金の箱を下げた傷病兵の姿であり、同級生の父親が復員してきたときの兵隊姿であった。
今、そんな話を自分の娘や息子にしても、心には届かないと思われる。
何を言いたいかと言えば、エンドレスで流れる時間の中では、人は生まれた年代、もっと極端に言えば自分の誕生日がいつの年だったかで、それぞれ異なった時間の座標軸を持っていると言いたかったのである。
上述のおばあちゃんの時間の座標軸は関東大震災が起きた年であり、私の娘や息子はせいぜい平成に入った年代に起きた出来事が座標軸になっているのではなかろうか。
私の場合は、やはりオリンピックの年が時間の座標軸の中心にあるような気がする。
テレビのカラー放送が始まり、東海道新幹線が走り、そしてオリンピックが開催された。そのオリンピックをさかいにして、世の中が急激に高度成長期に突入していった。
やがて、麦ご飯が消えて、銀シャリとなった。
哀しいかな、私はどんな歴史の転換期よりも、実際に自分の生きてきた70年の方が重く印象付けられており、その分、時間が経過した今でも、おぼろげながらもイメージとして残っている。
それこそ、私の生きた証しとなっている。
だが、自分の生きた証しとは、自分の座標軸だけにひっそりと記されるものなのかも知れない。
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