スマホ画面のハートマークが鮮やかだった

 私は国立長寿医療研究センターの循環器内科、呼吸器内科、耳鼻咽喉科、そして消化器内科の定期検診を受けている。
 その定期検診の間隔は循環器内科と呼吸器内科が2ヶ月半、耳鼻咽喉科が3ヶ月で消化器内科は6ヶ月である。
 先だっての7月16日は呼吸器内科の2ヶ月半の定期検診であった。いつものように肺機能の生理検査が行われたが、2018年6月から肺機能の低下はなく、担当医は上機嫌であった。

 私も「やれやれ」とほっとした気持になりながら、エレベーターで1階まで下りて行くと、エレベーターのドアが開いた途端、私の真正面に懐かしい顔があった。
 25年ほど前に同じ職場で、3年間ほど一緒に働いていた女性だった。
 「やあ、お久しぶり!」「ほんとに!」
 私の上司である50代の男性取締役は、入社間近のその女性を飲みに誘い、帰り掛けに「せめてキスだけでもさせてくれ!」としつこく迫ってきたようである。
 彼女がそれを拒否すると、その取締役は手のひらを返すように彼女にパワハラやセクハラを繰り返すようになり、彼女はとうとう我慢しきれずに会社を辞めていった。
 彼女からその相談役にセクハラを受けるたびに、私は彼女の相談に乗り、会社に留まるように説得したが、彼女はとうとう我慢の限界を超えてしまった。
 彼女はそれまでの経緯を便せん3枚に綴った手紙と自分のケイタイ番号とメルアドを私の抽斗に入れて、私が九州に出張に行っている間に、ひっそりと姿を消してしまった。
 私はたびたび彼女から相談を受けていたことで、その取締役からにらまれて、得意先との交渉に支障を来たしたこともあったが、いっさい、後悔したことはなかった。

 私は当時より10キロほど肥えてしまったが、彼女は相変わらず細身で、顔のパーツが今もくっきりしていて、美しさは未だに衰えていなかった。
 「ねえ、ねえ、もうすぐあなたの誕生日でしょ?」
 「そう、もう何回目の誕生日かは忘れたけどね」
 「わたし、会社を辞めて以来、誕生日にはずっとおめでとうメールを打ってきたけど、8年前から返信メールをしてくれなくなったから、何かあったのではないかと心配していたのよ」
 「ごめん、ごめん、せっかくの心遣いを無にして。それほど気を遣ってもらうほど、オレはあなたの役に立つことは1つもしていないから、なまじ返信メールを送らない方がいいと思ったんだよ」
 「だって、わたしのためを思って、あなたはあの取締役にタテついてくれたじゃない!離婚したばかりのわたしには、それがとても嬉しかったの。だからね、せめてあなたの誕生日にはおめでとうメールを送ろうと決めて、送り続けてきたの」
 「もう、あのときのことは忘れてかまわないよ」
 「ねえ、ねえ、聞いて。あのとき乳呑児だった2人の息子も結婚して、今は孫が3人もいるのよ」
 「よかったね。女手一つで頑張ってきたんだ。あなたはすごいよ」
 私は当時のことを思い出して、胸の奥から、急に懐かしさが込み上げてきた。そして、彼女は今、幸せなのであろうか、そんなことも思っていた。
 「もう、誕生日メールなんて、送らなくてもいいから」 
 人目もあって、私と彼女は25年前と同じように、互いの掌を胸の前で合わせ、パチンと音を立てて、その場を離れた。
 確か、彼女はまだ50代のはずであり、私はその若さに圧倒されそうであった。
 午後8時半ごろ、スマホの画面に受信メールありのマークが出現していたので、開いてみると「お誕生日、おめでとうございます。久しぶりに会えて、とっても嬉しかった」とメールが入っていた。
 スマホ画面のハートマークが鮮やかだった。

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