喜寿を迎える齢になるが、私は心のどこかでほっとしていた
最近テレビでお笑い番組をあまり観なくなった私も、明石家さんまさんがMCをしている『痛快!明石家電視台』と『踊る!さんま御殿!!』は毎週、DVD録画をして、体が開いたときに再生して観ている。
私が録画を再生して観ていると、女房はすっと姿を消し、2階の部屋で別の番組を観ている
私はなぜ、明石家さんまさんに関心があるのかは、自分でもうまく説明できない。
だが、チャラチャラしているように見える話しぶりの中に、時折グサッと私の胸に突き刺さるような言い回しが会話の中に出現してくるのが、その原因のようである。
中でも、その言い回しがグサッときたのが、「花鳥風月を愛でるようになったら、歳を取った証拠」という言葉であった。
ほんまかいなと、つい最近まで、私はこの言い回しに納得していなかった。そうとばかりは言い切れないのではないか、そんなふうにも思っていた。
ところが、昨日と今日、暇に任せて会社をRetireしてからの7年間で方々に旅行したり、ドライブに行ったりしたときにデジタルカメラで撮って、マイピクチャに保存してあった何千枚という写真を整理していたら、明石家さんまさんの「花鳥風月を愛でるようになったら、歳を取った証拠」という言葉が気持の隙間に忍び込んできた。
つまり、人物写真はと言えば、孫たちの写真が多く、集合写真はと言えば、I.C.NAGOYAのグローバルビジネス科のクラスメートの結婚式や忘年会、新年会のときの写真であり、定年退職後に4回ほど開催された中学のクラス会のときの写真だけで、あとはすべて花、もしくは風景写真、中でもいちばん枚数が多かったのは紅葉の時期の写真である。
紅葉写真だけでも2000枚近くある。
そう言えば、四季の中で陽気がいいせいもあるが、紅葉の時期にはあちこちに行った覚えがある。
岐阜県の「横蔵寺」「大矢田もみじ谷」「白山スーパー林道」「白川合掌村」、奈良県は「長谷寺」「室生寺」、三重県は「御在所岳」「赤目四十八滝」、長野県は「ヘブンス園原」、京都府は「御所」「嵐山」、愛知県では「香嵐渓」「岩屋堂公園」「茶臼山高原」など、保存されているフォルダの名前だけでもこれだけある。
しかも、これまでに複数回行っている場所の写真にはⅠ~Ⅵまでの符号が付いている。
娘が時折、私の部屋に来て、暇つぶしでパソコンのマイピクチャを開いているが、「お父さんの保存してある写真は、ちっとも面白くない。暇つぶしにもならない」と私の顔を見るなり、文句を言ってくる。
娘は、花の写真や紅葉の写真などとんと興味がなく、やはり、動きや表情のある人物写真の方に興味があるようである。
だが、最近の私は、自分でも理由は判らないが、人物写真よりも「花鳥風月」の写真の方が面白いと思うようになった。
図らずも、今の私は明石家さんまさんが言っている「花鳥風月を愛でるようになったら、歳を取った証拠」という恰好のサンプルになってしまっている。
ちなみに「花鳥風月」を三省堂の大辞林で引いてみると次のように載っていた。
(1)自然の美しい風景。 「―を友とする」
(2)自然を相手に詩・絵画などをつくる風雅な遊び。風流。
ありがたいことに、私は(2)の自然を相手に詩・絵画を創作する風雅な遊びには今のところ、興味を持っていない。
さらに言えば、「花鳥風月」を下敷きにした詩や絵画の創作よりも、私はまだ生身の人間を扱った作品の方に興味を惹かれている。
と言うことは、歳を取ったのは間違いないが、まだ生き代(しろ)が、今少し残っているということを示唆しているようにも思えてくる。
喜寿を迎える齢になるが、私は心のどこかでほっとしていた。
私が録画を再生して観ていると、女房はすっと姿を消し、2階の部屋で別の番組を観ている
私はなぜ、明石家さんまさんに関心があるのかは、自分でもうまく説明できない。
だが、チャラチャラしているように見える話しぶりの中に、時折グサッと私の胸に突き刺さるような言い回しが会話の中に出現してくるのが、その原因のようである。
中でも、その言い回しがグサッときたのが、「花鳥風月を愛でるようになったら、歳を取った証拠」という言葉であった。
ほんまかいなと、つい最近まで、私はこの言い回しに納得していなかった。そうとばかりは言い切れないのではないか、そんなふうにも思っていた。
ところが、昨日と今日、暇に任せて会社をRetireしてからの7年間で方々に旅行したり、ドライブに行ったりしたときにデジタルカメラで撮って、マイピクチャに保存してあった何千枚という写真を整理していたら、明石家さんまさんの「花鳥風月を愛でるようになったら、歳を取った証拠」という言葉が気持の隙間に忍び込んできた。
つまり、人物写真はと言えば、孫たちの写真が多く、集合写真はと言えば、I.C.NAGOYAのグローバルビジネス科のクラスメートの結婚式や忘年会、新年会のときの写真であり、定年退職後に4回ほど開催された中学のクラス会のときの写真だけで、あとはすべて花、もしくは風景写真、中でもいちばん枚数が多かったのは紅葉の時期の写真である。
紅葉写真だけでも2000枚近くある。
そう言えば、四季の中で陽気がいいせいもあるが、紅葉の時期にはあちこちに行った覚えがある。
岐阜県の「横蔵寺」「大矢田もみじ谷」「白山スーパー林道」「白川合掌村」、奈良県は「長谷寺」「室生寺」、三重県は「御在所岳」「赤目四十八滝」、長野県は「ヘブンス園原」、京都府は「御所」「嵐山」、愛知県では「香嵐渓」「岩屋堂公園」「茶臼山高原」など、保存されているフォルダの名前だけでもこれだけある。
しかも、これまでに複数回行っている場所の写真にはⅠ~Ⅵまでの符号が付いている。
娘が時折、私の部屋に来て、暇つぶしでパソコンのマイピクチャを開いているが、「お父さんの保存してある写真は、ちっとも面白くない。暇つぶしにもならない」と私の顔を見るなり、文句を言ってくる。
娘は、花の写真や紅葉の写真などとんと興味がなく、やはり、動きや表情のある人物写真の方に興味があるようである。
だが、最近の私は、自分でも理由は判らないが、人物写真よりも「花鳥風月」の写真の方が面白いと思うようになった。
図らずも、今の私は明石家さんまさんが言っている「花鳥風月を愛でるようになったら、歳を取った証拠」という恰好のサンプルになってしまっている。
ちなみに「花鳥風月」を三省堂の大辞林で引いてみると次のように載っていた。
(1)自然の美しい風景。 「―を友とする」
(2)自然を相手に詩・絵画などをつくる風雅な遊び。風流。
ありがたいことに、私は(2)の自然を相手に詩・絵画を創作する風雅な遊びには今のところ、興味を持っていない。
さらに言えば、「花鳥風月」を下敷きにした詩や絵画の創作よりも、私はまだ生身の人間を扱った作品の方に興味を惹かれている。
と言うことは、歳を取ったのは間違いないが、まだ生き代(しろ)が、今少し残っているということを示唆しているようにも思えてくる。
喜寿を迎える齢になるが、私は心のどこかでほっとしていた。
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