私は心のどこかで、ほっとしていた
私は最近、自分の部屋が狭苦しく感じるようになったので、片隅に積み上げられている複数の箱の中を整理しようと思い立った。
その中で最も場所を取っているのは、会社をRetireしてから、名古屋の外国語学校I.C.NAGOYAで足かけ2年にわたり、ビジネス英語を学んだときの思い出が詰まった箱である。
その箱には数冊の教科書があり、英会話講師に提出したレポートやクラスメートとの写真や交換した手紙類である。箱を開けてはみたが、どれも現役サラリーマン時代には到底、味わうことができなかったクラスメートとの思い出が染みついている。何一つ捨てる気にならない。
ついつい、時間を忘れて懐かしがっている私がいる。
その箱の中にきちんと折り畳まれた2枚のハンカチがあった。クラスメートのメグミさんからのプレゼントである。
私がメグミさんに出会ったのは、I.C.名古屋に通い出してから、2年目の夏で、私が63歳で、メグミさんが24歳のときだった。
I.C.NAGOYAでは、英会話の能力により、5つのクラスに分かれている。私たちはレベル3のIntermediateのクラスであった。
私たちは親子ほど齢の差があったが、相性がよかったのか、それとも英会話の能力のレベルが一緒だったことが幸いしたのか、私たちは曜日を合わせて、いつも一緒に授業を受けていた。
初めての出会いの年のクリスマスの日にメグミさんから、思いもかけず、クリスマスプレゼントをもらった。
私は礼儀知らずにも、差し出された包み紙を見て「これって何?」と尋ねると、メグミさんは「ハンカチです」と答えてくれた。
私は家に帰ってから、包み紙を開けてみるとワインカラーとブラウン色のハンカチが2枚入っている。2枚のハンカチを取り出してみると、さらに包み紙の奥から、クリスマスカードが出てきて、何か文字が書かれている。
<ISSAさんへ;
Merry Christmas and Happy New Year. 来年もよろしくおねがいします。
そして、来年、オーストラリアに留学してからも Please keep in touch with me!
追伸; 来年、最初の土曜日の授業は、ISSAさんと一緒に授業を受けたいと思っています。午前中2コマ目のSteveの授業です。>
この手紙を見たとき、実はとても嬉しかった。
だが、私はメグミさんに連絡もせず、年明けの土曜日、英会話の授業を受けに行かなかった。
心のどこかで、私では若い彼女の英会話の相手としては役不足だと勝手に思っていたからである。
半ば道楽のような軽い気持で英会話を学んでいる私が、これから自分の人生に向かって、英語を武器にしてキャリア・アップを図ろうとするメグミさんには、私よりももっとふさわしいクラスメートがいるはずである。
現にSteveの授業を受けるのは何も私ひとりではない。他にもメグミさんが仲良くしている若い男性のクラスメートも出席するはずで、私ひとりが行かなくても彼女は充分に勉強ができると思い、クリスマスカードに書かれた土曜日の英会話の授業にはあえて受けに行かなかった。
その日の夜、自分のPCを開いてみるとメグミさんからのメールが入っていて、その文面から落胆の気持がありありと読み取れた。自分の勝手な解釈を悔いた。
現役サラリーマン時代には、客先の担当者と交わす「また今度」とか「また、いつか」とかいう上っ面の約束は、厳密に言えば約束には当たらず、社交辞令のようなものだった。
まだRetireしたばかりの私にとっては、「来年の土曜日、一緒に授業を受けましょうよ」というメグミさんが求めてきた約束も、営業担当時代の延長上としか認識していなかった。
肝心なことは、「あなたにはもっとふさわしいクラスメートがいるはずで、来年早々の土曜日の授業には行けないよ」とはっきり言うべきだった。黙ってその約束を果たさなかったのは、私の悔いても悔やみきれない約束破りと言ってよかった。
約束は相手がなければできない。そして、その約束を破るということは、相手と結ばれていた糸を相手のことも考えずに断ち切ってしまうことでもある。
その覚悟があって、その糸を断ち切ったかどうかと自分に問い質してみると、悲しいが、私はそれほどの覚悟をしていなかった。覆水は二度と盆には戻らない、その後のメグミさんは私を避けるようになった。
だが、年が明けた4月の初め、成田空港からアーストラリアに旅立つとき、メグミさんは空港ロビーからラップタップで、「I.C.NAGOYAで、ISSAさんと一緒に英会話を勉強したことは一生忘れません」とメールを打ってきてくれた。
私は「体に気を付けて、頑張れ!」とメールを打ち返した。最後の最後で、仲直りができた。
私は心のどこかで、ほっとしていた。
その中で最も場所を取っているのは、会社をRetireしてから、名古屋の外国語学校I.C.NAGOYAで足かけ2年にわたり、ビジネス英語を学んだときの思い出が詰まった箱である。
その箱には数冊の教科書があり、英会話講師に提出したレポートやクラスメートとの写真や交換した手紙類である。箱を開けてはみたが、どれも現役サラリーマン時代には到底、味わうことができなかったクラスメートとの思い出が染みついている。何一つ捨てる気にならない。
ついつい、時間を忘れて懐かしがっている私がいる。
その箱の中にきちんと折り畳まれた2枚のハンカチがあった。クラスメートのメグミさんからのプレゼントである。
私がメグミさんに出会ったのは、I.C.名古屋に通い出してから、2年目の夏で、私が63歳で、メグミさんが24歳のときだった。
I.C.NAGOYAでは、英会話の能力により、5つのクラスに分かれている。私たちはレベル3のIntermediateのクラスであった。
私たちは親子ほど齢の差があったが、相性がよかったのか、それとも英会話の能力のレベルが一緒だったことが幸いしたのか、私たちは曜日を合わせて、いつも一緒に授業を受けていた。
初めての出会いの年のクリスマスの日にメグミさんから、思いもかけず、クリスマスプレゼントをもらった。
私は礼儀知らずにも、差し出された包み紙を見て「これって何?」と尋ねると、メグミさんは「ハンカチです」と答えてくれた。
私は家に帰ってから、包み紙を開けてみるとワインカラーとブラウン色のハンカチが2枚入っている。2枚のハンカチを取り出してみると、さらに包み紙の奥から、クリスマスカードが出てきて、何か文字が書かれている。
<ISSAさんへ;
Merry Christmas and Happy New Year. 来年もよろしくおねがいします。
そして、来年、オーストラリアに留学してからも Please keep in touch with me!
追伸; 来年、最初の土曜日の授業は、ISSAさんと一緒に授業を受けたいと思っています。午前中2コマ目のSteveの授業です。>
この手紙を見たとき、実はとても嬉しかった。
だが、私はメグミさんに連絡もせず、年明けの土曜日、英会話の授業を受けに行かなかった。
心のどこかで、私では若い彼女の英会話の相手としては役不足だと勝手に思っていたからである。
半ば道楽のような軽い気持で英会話を学んでいる私が、これから自分の人生に向かって、英語を武器にしてキャリア・アップを図ろうとするメグミさんには、私よりももっとふさわしいクラスメートがいるはずである。
現にSteveの授業を受けるのは何も私ひとりではない。他にもメグミさんが仲良くしている若い男性のクラスメートも出席するはずで、私ひとりが行かなくても彼女は充分に勉強ができると思い、クリスマスカードに書かれた土曜日の英会話の授業にはあえて受けに行かなかった。
その日の夜、自分のPCを開いてみるとメグミさんからのメールが入っていて、その文面から落胆の気持がありありと読み取れた。自分の勝手な解釈を悔いた。
現役サラリーマン時代には、客先の担当者と交わす「また今度」とか「また、いつか」とかいう上っ面の約束は、厳密に言えば約束には当たらず、社交辞令のようなものだった。
まだRetireしたばかりの私にとっては、「来年の土曜日、一緒に授業を受けましょうよ」というメグミさんが求めてきた約束も、営業担当時代の延長上としか認識していなかった。
肝心なことは、「あなたにはもっとふさわしいクラスメートがいるはずで、来年早々の土曜日の授業には行けないよ」とはっきり言うべきだった。黙ってその約束を果たさなかったのは、私の悔いても悔やみきれない約束破りと言ってよかった。
約束は相手がなければできない。そして、その約束を破るということは、相手と結ばれていた糸を相手のことも考えずに断ち切ってしまうことでもある。
その覚悟があって、その糸を断ち切ったかどうかと自分に問い質してみると、悲しいが、私はそれほどの覚悟をしていなかった。覆水は二度と盆には戻らない、その後のメグミさんは私を避けるようになった。
だが、年が明けた4月の初め、成田空港からアーストラリアに旅立つとき、メグミさんは空港ロビーからラップタップで、「I.C.NAGOYAで、ISSAさんと一緒に英会話を勉強したことは一生忘れません」とメールを打ってきてくれた。
私は「体に気を付けて、頑張れ!」とメールを打ち返した。最後の最後で、仲直りができた。
私は心のどこかで、ほっとしていた。
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