駅のホームを吹き抜ける風は、気のせいか、冷たく感じられた
村上卓史氏の『感動競馬場 本当にあった馬いい話』を読み終えた。
この本は先だって、中京競馬場の場外に行ったとき、第一観覧席の2階にある競馬専門店で購入したものである。
Amazonの内容紹介には次のように載っている。
<勝った馬も、負けた馬も、みんな誰かの想いを背負って走っている─
誰よりも速く駆け抜けるために生まれる競走馬。その一瞬のきらめきの陰には、奇跡の物語が溢れています。馬と人の絆が生んだ実話だけを集めた、涙が止まらないエッセイ集。
心があたたかくなるエピソード29本を収録しました。>
その29のうちで、私が余り知らないエピソードは「福山競馬最後の勝ち馬 ビーボタンダッシュ×藤田菜七子」「京美人が名付けた女の子の運命 ハンナリト×安田美沙子」「子供たちの笑顔の中心にポニーがいる風景 ハッピーポニーショー×吉田勝己」「31年ぶりの歓声 福永洋一×福永祐一」「引退馬の聖母たち ナイスネイチャ×沼田恭子」の5つだけで、あとの24の逸話はまだ私の記憶にはっきりと残っている。
私がJRAの競馬にかかわるようになったのは25歳のときで、客先の外注担当者に頼まれて、中京競馬場に馬券を買いに行ったときからである。今から50年以上も前のことである。
従って、JRAに関する逸話であれば、ほとんど記憶にある。
「31年ぶりの歓声 福永洋一×福永祐一」にしても、この本の内容からは逸れるけれど、タイトルにある福永洋一氏については、私はいくつもの強烈な思い出がある。
その一つが1979年の毎日杯でマリージョーイに騎乗して、落馬してしまい、引退に追い込まれてしまったという記憶である。
実はマリージョーイは中京競馬場巧者で通算5勝を挙げている。
確かマリージョーイは500kgを超える大型牝馬で、私は何度も中京競馬場での勝利を目の当たりにしており、パドックでは何やらかわいらしい表情をすることがあったので、ずっと応援していたサラブレッドである。
その応援していたマリージョーイに福永洋一が騎乗するというので、1979年の毎日杯はマリージョーイを軸に枠連を数点、流していた。
その後の何十年かで、テレビの画像を通してであるが、何度も落馬シーンを観たが、あのときの落馬シーンほど壮絶なシーンを観たことがなかった。
ちなみに福永洋一氏は、今や一流の人気ジョッキーである福永祐一騎手の父親で、レジェンドと言われる武豊騎手にも優るとも劣らない天才ジョッキーで、また武豊騎手の父親の武邦彦氏とはG1競争でしのぎを削った間柄でもある。
また「引退馬の聖母たち ナイスネイチャ×沼田恭子」のエピソードの中のナイスネイチャも印象に残っている。
ナイスネイチャはGIレースで3着が多く「ブロンズコレクター」と呼ばれるほどで、その代表とも言えるのが、1991年から1993年の有馬記念では3年連続3着という記録である。
私は常に善戦するナイスネイチャの走りの中に、新規受注の見積金額で常に競合相手に善戦するのだが、なかなか受注できない自分の姿を重ねて、ナイスネイチャの出走するレースを観戦していた。
私の最も記憶に残っているナイスネイチャの出走したG1レースは菊花賞である。直にこのG1レースを観戦したからかも知れない。
私はすでに営業担当をしていたが、菊花賞の前の週に客先の担当者とともに京都競馬場に行き、列の並んで指定席のチェットを手に入れたあと、入場口で抽選券を渡され、列の流れに沿って籤を引いてみると、菊花賞当日の指定席のチケットが当たった。
私は翌週、一人でその菊花賞の指定席のチケットを持ち、再び京都競馬場に出かけていった。
菊花賞レースは帰りの交通費を残して、ナイスネイチャを軸に枠連5点を購入したが、ナイスネイチャはまた善戦の末にレオダーバンの4着に敗れた。
ナイスネイチャが善戦したことには満足していたが、その日の淀の駅のホームを吹き抜ける風は、気のせいか、冷たかった。
この本は先だって、中京競馬場の場外に行ったとき、第一観覧席の2階にある競馬専門店で購入したものである。Amazonの内容紹介には次のように載っている。
<勝った馬も、負けた馬も、みんな誰かの想いを背負って走っている─
誰よりも速く駆け抜けるために生まれる競走馬。その一瞬のきらめきの陰には、奇跡の物語が溢れています。馬と人の絆が生んだ実話だけを集めた、涙が止まらないエッセイ集。
心があたたかくなるエピソード29本を収録しました。>
その29のうちで、私が余り知らないエピソードは「福山競馬最後の勝ち馬 ビーボタンダッシュ×藤田菜七子」「京美人が名付けた女の子の運命 ハンナリト×安田美沙子」「子供たちの笑顔の中心にポニーがいる風景 ハッピーポニーショー×吉田勝己」「31年ぶりの歓声 福永洋一×福永祐一」「引退馬の聖母たち ナイスネイチャ×沼田恭子」の5つだけで、あとの24の逸話はまだ私の記憶にはっきりと残っている。
私がJRAの競馬にかかわるようになったのは25歳のときで、客先の外注担当者に頼まれて、中京競馬場に馬券を買いに行ったときからである。今から50年以上も前のことである。
従って、JRAに関する逸話であれば、ほとんど記憶にある。
「31年ぶりの歓声 福永洋一×福永祐一」にしても、この本の内容からは逸れるけれど、タイトルにある福永洋一氏については、私はいくつもの強烈な思い出がある。
その一つが1979年の毎日杯でマリージョーイに騎乗して、落馬してしまい、引退に追い込まれてしまったという記憶である。
実はマリージョーイは中京競馬場巧者で通算5勝を挙げている。
確かマリージョーイは500kgを超える大型牝馬で、私は何度も中京競馬場での勝利を目の当たりにしており、パドックでは何やらかわいらしい表情をすることがあったので、ずっと応援していたサラブレッドである。
その応援していたマリージョーイに福永洋一が騎乗するというので、1979年の毎日杯はマリージョーイを軸に枠連を数点、流していた。
その後の何十年かで、テレビの画像を通してであるが、何度も落馬シーンを観たが、あのときの落馬シーンほど壮絶なシーンを観たことがなかった。
ちなみに福永洋一氏は、今や一流の人気ジョッキーである福永祐一騎手の父親で、レジェンドと言われる武豊騎手にも優るとも劣らない天才ジョッキーで、また武豊騎手の父親の武邦彦氏とはG1競争でしのぎを削った間柄でもある。
また「引退馬の聖母たち ナイスネイチャ×沼田恭子」のエピソードの中のナイスネイチャも印象に残っている。
ナイスネイチャはGIレースで3着が多く「ブロンズコレクター」と呼ばれるほどで、その代表とも言えるのが、1991年から1993年の有馬記念では3年連続3着という記録である。
私は常に善戦するナイスネイチャの走りの中に、新規受注の見積金額で常に競合相手に善戦するのだが、なかなか受注できない自分の姿を重ねて、ナイスネイチャの出走するレースを観戦していた。
私の最も記憶に残っているナイスネイチャの出走したG1レースは菊花賞である。直にこのG1レースを観戦したからかも知れない。
私はすでに営業担当をしていたが、菊花賞の前の週に客先の担当者とともに京都競馬場に行き、列の並んで指定席のチェットを手に入れたあと、入場口で抽選券を渡され、列の流れに沿って籤を引いてみると、菊花賞当日の指定席のチケットが当たった。
私は翌週、一人でその菊花賞の指定席のチケットを持ち、再び京都競馬場に出かけていった。
菊花賞レースは帰りの交通費を残して、ナイスネイチャを軸に枠連5点を購入したが、ナイスネイチャはまた善戦の末にレオダーバンの4着に敗れた。
ナイスネイチャが善戦したことには満足していたが、その日の淀の駅のホームを吹き抜ける風は、気のせいか、冷たかった。
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