演歌歌手の下積み時代に話に耳を傾ける

 私はこのごろ、BS朝日の「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~」という番組をDVD録画しておいて、時間が空くとよく観ている。
 今日の仕事はAシフトで12時半に終わったので、昼食後に5月8日にDVD録画してあったものを再生して観ていた。ゲストは演歌歌手の水森かおりさんであった。
 水森かおりさんは、NHK紅白歌合戦13年連続出場で、今や女性演歌歌手の顔となっているそうだ。私はここ5、6年、NHK紅白歌合戦を観ていないので、水森さんが「女性演歌歌手の顔」となっているとはまったく知らなかった。
 ただ、小林幸子さんの跡をついで、このところ派手な衣装で出場しているということは、ネットのニュースなどで知っていた。
 小さい頃から演歌が上手かった水森さんは、父に連れていかれたスナックで、周囲の大人たちがくれるジュースを目当てに演歌を歌っていた。また、数々の子ども向け歌合戦に出場し優勝を重ねたそうだが、歌手になろうとは思わなかったそうである。
 歌手になろうという気持になったのは、当時短期留学をしたアメリカで、ホストファミリーとの間で起きたある出来事がきっかけだとのことである。
 それは、ホストファミリーの前で、「赤鼻のトナカイ」を日本語で歌ったところ、家族全員が涙を流して喜んでくれたことだった。
 その後、歌手として歩み始めた水森さんは、オリコン初登場3位という華々しいデビューを飾ったが、そのあと6年間も大スランプに陥る。
 水森さんはいわゆる、ドサ回りをしていた時代のエピソードを語る。
 それは、歌い終わった水森さんの前に、あるお客が小さく折りたたんだ千円札を投げて、それを拾えと言われて唖然とする。それでもありがとうございますと言いながら拾ったときの哀しい気持が忘れられないと言うのである。
 演歌歌手というのは下積み時代が長い。それでも日の目が出る歌手はいい方で、ほとんどの歌手は消え去って行く。
 そうした演歌歌手と言えば、私には忘れられない思い出がある。
 私は28歳から8年間、勤務先の会社の労働組合で、書記長をやっていたことがある。
 上部団体は、今世間を騒がせている三菱自動車の組合で、その組合はまだ三菱重工の子会社という立場であったために、同盟にはオブザーバー加入という位置づけであった。
 また、今は解散してしまったが、三菱グループに部品や資材を供給する協力会社で組織する「三菱柏会」という団体があった。さらにその「三菱柏会」に所属する会社の労働組合は親睦会という名目で、さまざまな会議や勉強会、定期的なイベントを行っていた。今から40年も前のことである。
 それに出席した組合員は、いわゆる「アゴ足つき」で、食事と交通費は組合負担であり、ほとんどの組合は委員長交際費という名目で、上限は決められていたが、それなりの金額がプールしてあり、こうした親睦会の行事のあと、文字通り、組合幹部の親睦に使われていた。
 行事が終了すると、30人ほどで、よく出掛けて行ったのが、伏見か栄にあるキャバレーであった。
 キャバレーの時間帯割引のきく午後8時ごろであったので、客も少なくフロアの前列を占領して、組合の幹部たちは馬鹿騒ぎをしたものであった。
 そんな喧噪の中でも、ある若い演歌歌手は、円形の舞台で1974年に発売された西崎みどりさんの「旅愁」を歌っていた。暗い感じの歌だったのがいけなかったのか、酔いの回った仲間たちがその演歌歌手に大声を掛けて、からかっていた。
 からかいの声に気分を害したのだろうか、ぷいとソッポを向いた途端、その若い歌手はヘマをやらかした。音を外したのである。
 まだ書記長になって1年目ということもあり、お酒も飲まず、いちばん前のテーブルでじっと聞いていた私は、両手をメガホン代わりにして、余計なことだと思いながらも、「音を外しちゃダメだよ。どんな状況でも真剣に歌わなきゃ」とその若い歌手に声を掛けていた。
 曲が終わったとき、その若い女性歌手は私にプライドを傷つけられたと思ったのか、舞台のそでに寄ってきて、膝をつかんばかりに屈みながら、小声で「音を外したのはどこですか?」と訊いてきた。
 私は「恋は今も今も燃えているのに ああ……」というサビの部分だと言うと、急に横を向いて黙ってしまった。そして一度も顔を上げずに舞台から去っていった。
 しばらくして、私の横についたホステスが囁くように「お客さん、あの子に何を言ったんですか。あの子、舞台を下りた途端に、わっと泣き出しましたよ」と言ってくる。おそらく、彼女は自分が音を外したことを知られたくなかったに違いない。
 私は「あの子のためにちょっとアドバイスをしただけだよ」と無表情を装い、そのホステスに囁いていた。
 その後、はたしてあの若い演歌歌手は日の目が出たのであろうか。
 香西かおりさんに背格好が似ていたので、テレビで香西かおりさんを観るたびに、そのときのキャバレーでの出来事を思い出している。

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