家の車庫を作るきっかけは 意外な出会いからであった

 私の家の車庫は家を新築したあと、5年後に改めてこしらえたものだ。
 そんな中途半端なことをしたのは、新築と同時に駐車場を作る費用がなかったためで、5年後と言っても、今から33年も前のことである。
 車庫を作るきっかけは、意外な出会いからであった。
 大学時代の3年間、私は3人の中学生の家庭教師をしていて、その中の一人がたまたま高校卒業後、親の建築会社を継いでいた。その彼と偶然、私の家の前でばったり出会ったとき、玄関まで傾斜がつき、しかも草がむき出しなままのところに車が停めてあるのを見て、「車庫は作らないの?」と私に訊いてきたことがあった。
 「お金の工面ができてからとは思っているんだが!」と言うと、彼はどんなような車庫を考えているのかを頻りに訊いてきた。
 私は彼に訊かれるがまま、家が前の道路よりも80センチほど高いところに建てられて傾斜になっているので、車庫入れのときにはその段差がない方がいいから、道路と並行にまるまで土を削り取って、セダンが一台と軽自動車は一台が収容できるスペースがほしい、また車庫から家の玄関までの階段がほしいとか、そんな勝手な希望を彼に向かって話していた。
 現役サラリーマン時代、私は土日の休日も仕事をしていることが多く、ある土曜日、午後6時ごろ帰宅すると、玄関前の土が掘り返されているので、何事かと思い、柄にもなく慌ててしまった。
 女房にそのことを訊ねると、彼がわざわざ自分の会社のショベルカーを持って来て、整地してくれたというのである。
 女房は「センセイも、このことは了承済みですから」と告げてくる。彼は50年以上も経っても、私のことを当時のまま、センセイと呼んでくれていた。
 次の週の土曜日も彼はショベルカーを持って来て、さらに丁寧に整地して、その抉り取ったスペースの縁に沿って、コの字形にブロックを積み上げ、コンクリートで固めてくれていた。さらにその次の週には車庫の駐車スペースの舗装をしてくれていた。
 その日、女房が私の帰りを待っていて、彼が車庫から玄関までの階段は3段がいいか、4段がいいかを私に訊いておいてほしいと言っていたと、報告してくる。私は3段でいいと女房に伝える。
 翌週、休日出勤から帰ると、車庫は完成していた。
 その日のうちに彼の会社に出向いて、車庫作りの金額を訊ねると、彼は「会社の休みに自分が勝手にやったことだから、別にいいですよ」と軽く言って、請求書を書こうとしない。
 ただ、車庫の屋根の設置はほかの業者に頼まなければならないので、その費用は一人前にきっちり頂きますからと告げてくる。
 確かに55年前、私は彼ら3人を週5日、教えてはいたが、大学の初任給が3万円を切る時代に一人当たり6000円も家庭教師代をもらっていたので、それほど恩義に感じることはないはずである。
 私が19歳から22歳、彼らが12歳から15歳だから、それほど年齢のギャップも感じることなく、気心が知れてくると真剣に教えることで、むしろこちらの方が癒されていた。
 あれから、半世紀以上の月日が流れている。
 その車庫は今、ほとんど毎日のように洗濯物が干されている。そして、両隅には木製の棚が置かれ、女房の趣味の植木鉢が幾つも載っている。ときどき、その棚には女房が自家菜園から採取してきた野菜が詰められた籠が置かれている。
 つまり、車庫の半分は女房の趣味のスペースとなっているのである。
 必然的に私の車は押し出されて、今は私の家にはす向かいにあるJA駐車場に移動させられている。この駐車料金の月額6000円は、私に悪いと思ってか、女房が支払っている。
 私は去年の8月と9月、朝の8時ごろにアルバイトに出勤するときに、車庫を作ってくれた彼とは本通りでよく出会ったものだが、このところ、ついぞ見かけなくなった。気に掛けていたが、どうも病気で療養中らしいと、彼の同級生から私の耳に入った。
 女房が彼の会社の事務員と親しいというので、それとなく様子を聞いてくるように言ってあったが、つい昨日のこと、彼は脳梗塞で、もう半年も入院中だとのことである。
 彼が作ってくれた階段を下り、車庫の中を通って外出するたびに、私は彼のことを思い出している。
 今はただ、彼の一日も早い復帰を願うばかりである。

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