ついつい愚痴の方が先に口を突いて出る

 樋口毅宏氏の『タモリ論』の中には、私の胸に突き刺さってくるような言葉が幾つも出てくる。
 昨日の記事でも取り上げたが、「笑いについて知るものは賢者だが、笑いについて語るものは馬鹿だ」もそうだし、ピカソの名言「優れた芸術家は真似る。偉大な芸術家は盗む」も考えさせられる。
 先だってもこのブログに記事を載せたが、私はプロレスが大好きである。上述の文章の「笑い」を「プロレス」に、芸術家を「プロレスラー」に置き換えてみて、「まさにその通り」と自分だけ悦に入っている。
 さらに夏目漱石の『吾輩は猫である』の中に出てくる「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする」という文章にもなるほどと頷いている。
 樋口氏はこの文章を思い起こすとき、明石家さんまさんを想起せずにはいられないと語っている。
 実は私も樋口氏と同じように、漱石の言葉で明石家さんまさんを思い起こしている。
 そして、この30年間、私は明石家さんまんのファンであり続けているが、さんまさんほど、打てばきっと悲しい音が幾つもするはずなのに、そのことを表に出さず、ひた隠しにしている人を私は知らない。私も無意味なから騒ぎをして、その生き方にあやかろうとしているが、ついつい愚痴の方が先に口を突いて出る。凡人の凡人たる所以である。
 30年ほど前、さんまさんは弟さんを火事でなくしたとき、どれだけ悲しかったか計り知れないはずなのに、さんまさんは弟さんの死を逆手に取って、「オレが火事で死ねば、さしずめ新聞の見出しは“さんま焼け死ぬ”って書かれるはずや!」というギャグで人を笑わせる。
 大竹しのぶさんと出会い、結婚する前に妊娠した子どもが流産し、その後、次に娘ができるとその名前を「生きてるだけで丸儲け」という意味を込めて、「いまる」と名付けた話は、事情を知れば切なくなってくる。
 さらに、大竹しのぶさんとの離婚の際では、マジックでおでこに×印を書いて記者団の前に出て、その後に自分からその×印について言及して、バツ○とかという言葉を流行らせて、世間が抱いていた離婚というマイナーなイメージを柔らかいものにしていったのは、誰もが認めるところだ。また「セックスする」というストレートな表現も「エッチする」という言葉に置き換えることで、誰もが口にできるように和らげたのも明石家さんまさんであった。
 樋口毅宏氏の『タモリ論』には「BIG3」論も語られている。
 今さらながら「BIG3」とは、ビートたけしさん、タモリさんと明石家さんまさんのことである。
 樋口氏の「BIG3」の視点を少しずらして、私なりに「BIG3」の共通点を拾い出してみると、それは3人とも自分の不幸自慢を語ろうとしないところだ。お涙頂戴は、いとも簡単なことだと知っているからこそ、敢えて3人とも避けているように私には思えてならない。
 これを言うとたちまち反論の声が聞こえてきそうだが、いつの間にか、私は3人の出ている番組は、何かのっぴきならない用事を抱えていれば、別に今日は見なくてもいいと思えるし、自分の贔屓のプロ野球チームの試合があれば、そちらにチャンネルを変えてもいいし、さしあたってDVD録画をしておく必要もないと思えてしまっている。
 「BIG3」の出演番組は、見逃すと後々まで悔いが残るという重々しさがないのがいい。それはその番組が面白くないと言っているわけではなく、別の日に「BIG3」の番組をいくらでも観ることできるという絶対的な安心感を持っているからである。
 テレビの日常性を考えると、何事もないような安心感を持たせることは、エンターテーメント番組にテレビ出演する人たちの必須条件ではなかろうか。
 最近、そんな思いで「お笑い」番組を観ている。

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