○○へ、午後3時まで待ちました!さようなら!

 私の20代の頃は「連絡する」という手段は少なく、殆んど手紙・ハガキや固定電話に限られていた。
 恋に芽生えたころ、切羽詰まった最後の手段として、相手の家を訪問するということもあるにはあったが、私などはなかなかそこまでの決心が付かなかった。臆病だった。
 そんな時代の一つの連絡方法に「駅の伝言板」があった。
 またまた、槇野修氏の『涙あふれる「昭和のことば」50選』からの引用で気が引けるが、この本の50選の最後に井上ひさし氏の「ニホン語日記」の一文から、伝言板に書かれた次のような文を掲載している。
 <父さん さようなら>
 井上ひさし氏も「もっとも胸にずしんときた」といい、「いまだに心のどこかに引っ掛かったまま」という。私にしても自分の娘に、もしこんな言葉を告げられたらと思うとたちまち胸がぎゅっと締め付けられるような気になってくる。
 確かに「父さん さようなら」からはさまざまな想像が可能で、若い人か、それとも中年の人か、女性か、男性か、人それぞれに思いを巡らせればいいが、私には父親に向かって、今生の別れを告げているように思われて仕方がない。うなだれて何処かへ立ち去って行く若い女性の姿が私の脳裏を横切っていく。
 伝言板というのは、何処の誰とも分からない人が、備え付けられた白いチョークで自分の思いを相手に伝えようとしたもので、ちょっぴりだが何がしかの感情の表われが見てとれる。いわば、そこに書かれた文字の癖や乱れの中に人生の縮図を思わせるような趣きが漂っている気がする。
 私も21歳のとき、1度だけだが名古屋駅の伝言板を利用したことがあった。
 好意を持っていた女性がお盆の帰省で故郷の新宮市に帰るというので、名古屋駅に隣接するホテルの1階にあるカフェで待ち合わせをしたが、彼女は約束の午後1時になっても来なくて、私は思い余って駅の伝言板に「○○へ、午後3時まで待ちました!さようなら!」とだけ書いて、充たされない気持を引きずったまま、鬱々とした気分で家に帰ったことがある。
 彼女と2度と逢うことはなっかたが、哀しむべきは私は未だにそのことが気持のどこかに引っ掛かったままでいる。私が始めてキスした人だったからである。
 そう言えば、2009年に名古屋の地下鉄の駅で、昔懐かしい伝言板を見たことがあった。
 私はそのときのことを「嬉し懐かし地下鉄の伝言板」というタイトルでこのブログに次のようにUPしたことがあった。
 【愛知県美術館の帰りに、地下鉄栄駅の④番入り口の階段を降りきってみると、そこに意外なものを見つけた。
 伝言板である。しかもそれは緑色の黒板で、数本の白いチョークが入ったボックスがあり、その側には黒板消しも添えられている。
 私は懐かしかった。伝言板を最後に見たのは、いつのことだろう。携帯電話が普及してからは、皆無ではないだろうか。
 伝言板には、三つのメーッセージが書かれてあった。すべて、女性から男性に向けての伝言であった。
 「○○君、早く来て。10時半まで待ったよ。帰るね。」「△△ちゃん、どこにいるのよ。待ちきれないのでもう帰るよ。」「××さん、どこどこ、13時まで待ったけど、来ないので帰る。」
 今の世の中で、ケイタイも持たずにデートの約束をするなんてことがあるんだ、お金がないんだろうか、何だかチョークでの走り書きが切なく見えてきた。】
 上の伝言の内容を読んでいると、けなげな若い女性のイメージが膨らんでくる。
 ふと46年前、悲しみで打ちひしがれて書いた伝言板の乱れた文字が鮮やかに甦ってきた。

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