人間、そう簡単には老いを認めたくないものだ
最近の私は気になる番組はDVD録画をして、気ままな時間に観ることが多くなり、リアルタイムでテレビを余り観なくなった。自分の生活のリズムを崩さないようにするには、この方がいいと思ったからだ。
とは言っても、3度の食事を女房と一緒に食べるときにはお付き合いで、1時間半ほど女房の観る番組を観ることがある。
女房の観る番組はおよそ決まっていて、朝食のときは朝のワイドショー、昼もまた昼のワイドショー、そして夕食のときは概ね料理番組と医療関係も含めた健康番組かクイズ番組を観ていることが多い。
私は食物と健康を関連付けた番組は若干ながら関心を示すことがあるが、医療に関連した健康番組はどうしても好きになれない。歳を重ねれば次第に体力は衰え、自分の体の異変に気付くことが多くなる。私はどうしても、そうした生命に対する不安を殊更にあおるような番組が好きになれないのだ。
先だっても夕食が終わったころ、【みんなの家庭の医学】なる番組をやり出したので、私は早々に自分の部屋に閉じこもってしまった。
ただ、大分以前になるが、女房に薦められて一度だけ、そうした番組を観たことがある。
幾つかの徴候を列挙して、その中の何項目かに該当すれば、あなたの体はこれこれの危機を抱え込んでいる。しかも病気になる限界点すれすれで、限りなく危険水域に近づいているなどと回答者を追い詰めていく。
従って、そうした危険水域から逃れるためにはこれこれに留意して、毎日のライフスタイルを変化させることが重要だと診断する。
おそらく、番組制作者の意図はこうした番組を通じて、健康上の問題点に対する注意を喚起し、病気の早期発見や医療機関に出向いて適切な対処を促すという目的だと思われる。だとしたら、私もそれなりに意義があると思う。
考えてみればすぐに分かると思うが、こうした番組を観ている人は数えきれないほどの不特定多数の人たちである。と言うことは、その不特定多数の人に通用する平均的な項目を挙げざるを得ない。いわば、投網で打って魚を獲るようなもので、普段はさほど気に掛けずに過ごせてきたことまでも拾い上げ、掬いあげてしまうことにもなりかねない。つまり、その人の個別性や体質の幅もあって、決して病んでいないと思われる症状さえも表に引っ張りだして、結果的に不安をあおる危険性も孕んでいると思われるのだ。
実は私は毎年、成人病検査をするようになった37歳のころから、尿酸値が8.5から9の値を示しており、確立的には限りなく痛風になってもおかしくない値だから、総合病院で診てもらいなさいと忠告を受けてきたが、病院に行くことをしなかった。しかし、一度も痛風になることはなかった。
さすがに去年の11月にペースメーカー植え込み手術を受ける前の検査では、尿酸値が9.1もあって、血管に悪影響があるとのことで、尿酸値を下げる薬を毎日服用するようになった。
さらに40歳のころの成人病検査の心電図で、脈波数が少ない上に不整脈が出たので、当時の国立中部病院の循環器科を受診して、24時間モニターで経過観察をして異常なしの診断が出たが、その折に判明したことは私の通常の脈拍数は45前後だと少なく、血圧も肥満体型にも拘わらず、低かったことが分かった。
つまり、私の場合、診断結果だけを観ると一般的に通用する平均的な水準から外れた危険水域にあると判断されてしまうのである。従って、私が医療番組を観るということはただ単に自分の健康に対する不安や危惧を与えるだけの番組となってしまうのである。
その点、各種の健康診断や人間ドックなどは個人を対象としているし、医師との一対一の問診で過去何年かのレントゲンやCTの診断結果の履歴と照合した上で、危険水域の指摘を受けたならば、誰のものでもない我が事のことなので、素直を受け止めざるを得ない。
このところの私は、理想を言えば半年、できなければ1年ごとの健康診断をすることが大切だという結論を勝手に出してしまっている。
だが、事実は事実として、そうした個人の診断結果は受け止めなければならないと覚悟はしていても、心のもう一方では充分に歳を重ねてきて、いずれ人間の幕引きはやってくるのだから、自分の勝手に生きさせてと言いたい気分も残っている。
やれやれ、老いを認めるか否か、振り子に例えればその振れ幅は年々小さくなりつつあるものの、私の今の振り子の位置は、そう簡単には老いてたまるかという所で止まっている。
とは言っても、3度の食事を女房と一緒に食べるときにはお付き合いで、1時間半ほど女房の観る番組を観ることがある。
女房の観る番組はおよそ決まっていて、朝食のときは朝のワイドショー、昼もまた昼のワイドショー、そして夕食のときは概ね料理番組と医療関係も含めた健康番組かクイズ番組を観ていることが多い。
私は食物と健康を関連付けた番組は若干ながら関心を示すことがあるが、医療に関連した健康番組はどうしても好きになれない。歳を重ねれば次第に体力は衰え、自分の体の異変に気付くことが多くなる。私はどうしても、そうした生命に対する不安を殊更にあおるような番組が好きになれないのだ。
先だっても夕食が終わったころ、【みんなの家庭の医学】なる番組をやり出したので、私は早々に自分の部屋に閉じこもってしまった。
ただ、大分以前になるが、女房に薦められて一度だけ、そうした番組を観たことがある。
幾つかの徴候を列挙して、その中の何項目かに該当すれば、あなたの体はこれこれの危機を抱え込んでいる。しかも病気になる限界点すれすれで、限りなく危険水域に近づいているなどと回答者を追い詰めていく。
従って、そうした危険水域から逃れるためにはこれこれに留意して、毎日のライフスタイルを変化させることが重要だと診断する。
おそらく、番組制作者の意図はこうした番組を通じて、健康上の問題点に対する注意を喚起し、病気の早期発見や医療機関に出向いて適切な対処を促すという目的だと思われる。だとしたら、私もそれなりに意義があると思う。
考えてみればすぐに分かると思うが、こうした番組を観ている人は数えきれないほどの不特定多数の人たちである。と言うことは、その不特定多数の人に通用する平均的な項目を挙げざるを得ない。いわば、投網で打って魚を獲るようなもので、普段はさほど気に掛けずに過ごせてきたことまでも拾い上げ、掬いあげてしまうことにもなりかねない。つまり、その人の個別性や体質の幅もあって、決して病んでいないと思われる症状さえも表に引っ張りだして、結果的に不安をあおる危険性も孕んでいると思われるのだ。
実は私は毎年、成人病検査をするようになった37歳のころから、尿酸値が8.5から9の値を示しており、確立的には限りなく痛風になってもおかしくない値だから、総合病院で診てもらいなさいと忠告を受けてきたが、病院に行くことをしなかった。しかし、一度も痛風になることはなかった。
さすがに去年の11月にペースメーカー植え込み手術を受ける前の検査では、尿酸値が9.1もあって、血管に悪影響があるとのことで、尿酸値を下げる薬を毎日服用するようになった。
さらに40歳のころの成人病検査の心電図で、脈波数が少ない上に不整脈が出たので、当時の国立中部病院の循環器科を受診して、24時間モニターで経過観察をして異常なしの診断が出たが、その折に判明したことは私の通常の脈拍数は45前後だと少なく、血圧も肥満体型にも拘わらず、低かったことが分かった。
つまり、私の場合、診断結果だけを観ると一般的に通用する平均的な水準から外れた危険水域にあると判断されてしまうのである。従って、私が医療番組を観るということはただ単に自分の健康に対する不安や危惧を与えるだけの番組となってしまうのである。
その点、各種の健康診断や人間ドックなどは個人を対象としているし、医師との一対一の問診で過去何年かのレントゲンやCTの診断結果の履歴と照合した上で、危険水域の指摘を受けたならば、誰のものでもない我が事のことなので、素直を受け止めざるを得ない。
このところの私は、理想を言えば半年、できなければ1年ごとの健康診断をすることが大切だという結論を勝手に出してしまっている。
だが、事実は事実として、そうした個人の診断結果は受け止めなければならないと覚悟はしていても、心のもう一方では充分に歳を重ねてきて、いずれ人間の幕引きはやってくるのだから、自分の勝手に生きさせてと言いたい気分も残っている。
やれやれ、老いを認めるか否か、振り子に例えればその振れ幅は年々小さくなりつつあるものの、私の今の振り子の位置は、そう簡単には老いてたまるかという所で止まっている。
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