少しは大人になった証拠であろうか

画像 男と女の知り合うキッカケは神様の気まぐれとしか言いようのない偶然の場合が多い。
 今さら、人生の「たら」「れば」を考えても仕方がないとこれまでは考えてきたが、最近になって齢も67を過ぎて、自分の来し方に後悔することもなくなり、たまには男と女の知り合うキッカケとなった出来事に思いを馳せてもいいのではないかと思うようになった。
 このブログの記事の中でも、多少のアレンジメントを加えながらも、どこかに自分の体験を交えながら、幾つも男と女の関係を書いてきた。どんなに齢を重ねてきても、恋愛に関しては、いつも夢見るユメオでありたいとの思いが自分の中に渦巻いていたからに他ならない。
 そんな折、誰もいなくなって家で三田誠広氏のエッセイ集 『十七歳で考えたこと』を読んでいたら、氏が高校生となり生きる目標が見つからずに1年間休学したあと、1年下のクラスに編入されてまで復学するかどうかを迷っているときに、自分に一通の手紙が送られてきた。そのときのことを三田氏は次のように書いている。

 そのぼくが、最終的に復学を決意したのは、一通の手紙だった。
 いや、手紙ではなく、それはバーズデーカードだった。
 ぼくの通っていた高校は、伝統ある学校で、戦災にも遭わなかったため、校舎も古かった。その古びたコンクリートの校舎の壁面に、蔦が延びていた。
 その蔦の葉が一枚、封筒の中に入っていた。それがバースデーカードだった。 
   帰ってきてください。
 蔦の葉のカードには、フェルトペンで、そう書いてあった。
 差出人は、一年生の時の、同級生の女の子だった。というよりも、入学式でほとんど一目惚れして以来、ずっと憧れていた女の子だった。
 彼女がなぜ、ぼくにバースデーカードをくれたのか、いまとなっても、よくわからない。何しろそれ以前に、直接、言葉を交わしたことは、一度もなかったのだ。それでも間接的に、ぼくが学年文集や学校新聞に発表した童話を読んで、彼女がよかったといっていた、といった話は、伝え聞いていた。
 それでも、一度も言葉を交わしたことのない女の子から、感動的なバースデーカードが届いたので、ぼくは単純に、学校に戻ろう、と思ったのだった。
 この蔦の葉のバースデーカードが届かなかったら、大学に行くこともなかっただろう。そうすると、大学で体験したこと、その後、就職(大卒の資格があったから就職できた職場だ)したあとで体験したことなど、さまざまな体験が得られないことになる。
 何よりも、バースデーカードを送ってくれた、その女の子は、のちにぼくの妻となった。
 そして二人の息子が生まれた。中学生になった長男をモデルにして『いちご同盟』という、ぼくにとっては大切な作品を書くことができたし、次男との関わりについては、『パパは塾長さん』というエッセーを書いた。この二冊の本は、ぼくの著作の中では、芥川賞を受賞した『僕って何』に次いでポピュラーなものになったので、読者も多い。
 そういう意味でも、この蔦の葉のバースデーカードは、ぼくの人生を左右する、一大転機だったといえるだろう。

 どうも引用文が長くなってしまったようだ。
 最近、こうした男と女の出会いに関する文章を読むと、突然、私の心の中にある自分でも気付かないどこかのスイッチが入って、どうにもならない習性のように胸の奥の方から熱いものが込み上げてくる。
 高校時代や大学生時代、こんな野暮ったい私にも相手側から思いの丈を秘めたキッカケという名のボールが幾つか投げられたことがあったのに、私は意識的に相手のボールを受け取らずにやり過ごしてきた。この40年間、私はそのことに対して自嘲と悔恨ばかりを繰り返してきたが、67歳になった今は、ただただ懐かしく思えてくるようになった。経験があるからこそ、今の自分があるのだと半世紀も立って自分の丸裸の精神が納得し始めたのだ。遅すぎる。
 少しは大人になった証拠であろうか。

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