現実を超越した幻しの架け橋のように見えた

 男は、トヨタグループの企業の多くが本社を置く愛知県三河の地方都市・刈谷市の中学と高校を卒業して、現在は名古屋市にある総合商社に勤めて、今年で3年目になる。
 日本で売り上げでは5本の指に入る商社で、しかも地域がら鉄鋼部という花形部門に所属しているためか、男に近寄ってくる女性社員は意外に多いが、上品ぶった仕草の中に下心を隠し持っているようで、なかなか気持を許す女性に出会わない。
 朝夕の気温が20℃を下回って過ごし易くなった9月のある日、中学の3年と高校の1年、3年のときに同じクラスだったミサコから、昼の休憩中に男のケイタイに電話が入った。ミサコは地元にあるトヨタグループ会社の総務部に勤めていて、高校を卒業してからも一緒に食事をするほど、男とは仲がいい。男と女の友情は育たないと言われるが、男とミサコの関係は数少ない例外だと言える。
 男がケイタイに出るとミサコは一方的にしゃべり出した。
 「お願い、今度の日曜日、わたしと付き合って名古屋港まで行ってほしいの」
 「いいよ、何時にどこに行けばいい?」
 「午後7時にJR刈谷駅の北口まで来てくれる」
 「車じゃなくてもいいの?」
 「うん、JRで名古屋まで行って、名古屋駅であおなみ線に乗り換えて、名古屋港まで行きたいの。一度、名古屋港の夜景が見たいのよ」
 男はミサコがなぜ急に名古屋港の夜景が見たくなったか、その理由は聞かなかった。いちいち理由などは聞かなくても構わない。それは中学から8年間、隠し事もせず、言いたいことを言い合ってきた親友に対する礼儀のようなものだと男は考えていた。
 当日、男もミサコも定刻通り、午後7時きっかりに駅の北口にやってきた。
 JR東海道線の電車は学生時代を含めれば、10年近く乗り続けた通学・通勤電車で、今は切っても切れない生活圏となっている。
 だが、あおなみ線はこれまで一度も利用したこともなく、大げさに言えば、名古屋駅から名古屋港駅まで男にとっては小旅行をするようなものだ。
 地下から地上へエスカレーターで上がってみて、男はJRのプラットホームとはどことなく様相が違い、圧迫されたような感じがしていた。しばらくして、その理由が分かった。あおなみ線のプラットホームは全駅転落防止壁が設置されていたからだ。
 名古屋港駅まで30分も掛からず到着したが、すべての駅が地上より高い位置に作られているせいか、車窓から見える景色は見晴らしがよく、眺め馴染んできたいつもの名古屋の街並みと異なっていて、男はなぜか気持がワクワクしてくるのが分かった。
画像 さすがに9月の日曜日、名古屋港の臨海公園はさまざまな組み合わせのカップルで混んでいた。ミサコはそんなカップルに目もくれず、男を置いてきぼりにするほどのスピードで一直線に埠頭に向かって行った。潮風が強くなり、波が埠頭にぶつかる音が一定のリズムを刻んでいるように聞こえてくる。
 目を凝らすと等間隔に橙赤色に光る数個の街灯が見える。その街灯の灯りの下に鈍く映える木製のベンチがあり、カップルで殆んどのベンチが占有されていた。だが、男は運よく立ち上がって去ろうとしているカップルを見つけて、ミサコの手を引っ張り、ベンチへ誘導する。気温が20℃を切ってることもあり、ベンチに座ると一瞬ヒヤリとした感触が伝わってくる。
 闇にまぎれて、男にはミサコの様子がはっきりと確認できないが、名古屋港駅を降りてから、明るい性格の彼女が一言も口を利いていないのが、男には気になって仕方がなかった。
 ふたりの目の前にライトアップされた名港トリトンが見える。現実を超越した幻しの架け橋のように見える。
 名港トリトンとは東海インターと飛島インター間に架けられた3本の斜張橋(名港東大橋・名港中央大橋・名港西大橋)の総称で、一般公募で決められた愛称でもある。
 ミサコの右の肩が男の二の腕あたりに当たっていたが、その右肩が小刻みにふるえ出した。ミサコは泣いている、男はそう確信した。
 「ごめんネ」 ミサコが幽かな声で呟いた。男は黙したまま、ノースリーブの肩から伝わるミサコの鼓動を一つ二つと数えていた。
 「わたし、フラレちゃった。本当にごめんネ。本当は今日、そのカレとこの公園に来る約束していたのよ。わたし、楽しみにしてたのに他に好きな人ができたから、もうわたしと付き合えないって、カレに突然、言われたの」 ミサコは堰を切ったようにしゃくり上げた。
 泣くだけ泣けばいい、オマエのよさが分からないヤツなんて、忘れてしまえばいい。遠くで、男と女の友情が崩落していく音が聞こえてきた。

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