子どもとも大人とも、そのどちらにも属さない幻しのような季節だった

 昨日、大府市主催の「文章づくり講座」の最終講義に出席した。さすがに最終講義ということもあり、かなりの時間延長となった。
 どうも、この講座はここ3年間、毎年開催されていたようで、そのときの講師は現在、愛知淑徳大学文化創造学部の非常勤講師の梅田卓夫氏であったそうだ。だが、今年は開催直前に梅田氏が体調を崩されて、愛知県の小牧工業高校で同僚だった国語教師の服部左右一氏に変更されたとのことであった。服部左右一氏もまた愛知淑徳大学で文章表現の講義をしているとのことだ。
 中学・高校時代の友だちから、梅田卓夫氏と同じ高校で教鞭をとったことがあるので、顔を合わせたらよろしく言っておいてほしいと頼まれたが、実際は友だちの言葉を伝えることができなかった。
 昨日は最終講義ということもあって、服部左右一氏から梅田卓夫氏に友だちの伝言を頼もうと思って、講義終了と同時にその旨を服部左右一氏に伝えた。
 すると服部氏は「梅田先生とは25年間、ともに文章表現の実践と研究を共同でやってきた仲で、しかも小牧工業高校で梅田先生と一緒だったということは、私もあなたの友だちを知っているはずだ」と驚きの声を上げて、ぜひ名前を教えてほしいと逆に問い掛けられてしまった。 
 私が名前を告げると服部氏は「よく知ってますよ。美術の先生でしたよね」と訊ねられ、私が頷くと「元気でやっておられますか?」と近況を尋ねられた。私が即座に頷いた。どうも中学・高校時代の友だちが教師を辞めることになった経緯も知っているような口ぶりで、さらに服部氏は感慨深げな顔つきとなり、私の表情を伺いながら中学・高校からの友だちのことについて、「とても親しかったようですね」という言い方をしてきた。あえて親友という単刀直入の言葉を使わなかったのには意味があるのだろうか。
 よせばいいのに、調子に乗って私の浪人時代の1年間、他の仲間2人を含め4人で毎晩のように酒を飲んでいたという話をしてしまった。
 そこへ大府市の随筆同好会の主幹が部屋に入って来て、図書館の1階の部屋に懇親会の場を設けてあるので来てくださいと服部氏を迎えに来て、盛り上がりつつあった話が中断してしまった。
 随筆同好会の主幹が私にも参加を要請してきたが、私は用事があるからと断った。
 服部氏が改めて私の方を向き、中学・高校時代も友だちによろしく伝えて下さいと言い残して、急いで階下へ下りて行った。
 私は服部氏の中学・高校時代の友だちと「とても親しかったようですね」という言葉に触発されて、私の浪人時代の仲間たちのことを思い出していた。
 私の家は大府市にあり、他の3人の仲間の家は隣りの市の刈谷市にあった。私は2日と空けずにその刈谷市に出掛けて行き、強引にみんなを呼び寄せ酒を飲んだ。
 ときには夜中に刈谷市から私の家のある大府市まで歩いて帰り、家に着くとまた飽きずに酒を飲んだ。夜が明けると仲間3人は刈谷市に帰っていく。それでも愉しかった。
 無為に66年間も生きてくると、私は理屈でなく肌で感じることがある。
 最高の友だちや相棒という存在は、その関係が継続できなくなる直前にいちばん輝くんだということを。そして、そんなときにこそ「友情」という閃光は鮮やかに飛び交っていたことを。
 そして、この非生産的な行動は、私が名古屋の私立大学入学とともに再び盛り上がることはなかった。そして仲間たちは別のステージでいろんな体験を積み重ねて、いろんなものを得て、いろんなものを失ってきた。やがて、最高の友だちや相棒という存在はいつしか日々疎くなり、気に懸けつつも関係がうすくなっていった。
 私の浪人時代、それは子どもとも大人とも、そのどちらにも属さない幻しのような季節だった。

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