はるか彼方に過ぎ去った自分の幼い頃を思い出していた
私の気まぐれには自分でも飽きれるばかりだ。
先月まで、NTT西日本の中年の男性勧誘員が我が家に再三やって来て、インターネットの接続をADSLから光フレッツに変更しませんかと言われたが、詳しい説明を受けることもなくすべて断っていた。
ところが今日、娘と同じ年恰好で関西弁をしゃべる女性勧誘員が来たら、私はたちまちその気になって、7月5日に工事をすることになった。女房に言わせると、「お父さんは娘と同じ年頃の女性に弱いんだから」ということになるらしい。
私のパソコンの置いてある場所は、嫁に行くまで娘が使っていた机の上で、その上は常日頃から乱雑極まりない。NTT西日本の工事部の人やBIGLOBEの人がセッ・アップに来たときに、余りのだらしなさにビックリさせてもまずいと思い、今日の午後から片付け出した。やたら書類が多くて、読みかけの単行本が無造作に積み上げてある。まず、それらを片付ける。次に、余り使うことのない電気エンピツ削り機を隣りの部屋に移動させた。
机の抽斗を開けてみると10数本の鉛筆とボールペン、数本のシャープペンと数個の消しゴムが出てきた。どうして、親子というのは嫌なところばかりが似るのであろうか。言うのも癪だが、私も子どもの頃、幾つも同じような筆記用具を持っていた。
これまで深く考えることもなかったが、エンピツ削り機はいつ頃から出現したのであろうか。私たちの小学校時代は筆箱にエンピツを削るための小刀を入れて学校へ通った。そして芯が坊主になって、書きにくくなると授業中でもその小刀を取り出して、素早くエンピツの芯を削ったものだ。たぶん、先生からの指示なのであろうが、筆箱に入ってる硬さはHBが殆んどだった。また、小学生が使う硬さの種類もせいぜい、H、HB、2Bの3種類程度だったように思う。
エンピツを小刀で削るのには、ある程度の経験とコツがいる。
と言うのは、エンピツを形作っている木材に削りやすい材質のものと固さにバラツキのある材質のものがあり、小刀がエンピツに食い込む角度の調整と小刀を手の親指で押し込む力の調整がうまく取れないとバランスのいい削り方ができない。従って、私たちの年代はうまくエンピツをうまく削る技術を体で会得していて、その技術は果物ナイフでリンゴや柿の皮をむくワザに引き継がれていく。
娘や息子が私のやることに感心することは余りなかったが、唯一、彼らが感心するのは、私のナイフでの果物の皮むきであった。今では何の自慢にもならない。
余分な話になるが、私は娘が中学生の頃、何度か果物の皮を最後まで繋いでむくという競争をしたが、私は一度も娘に負けたことがなかった。
自動エンピツ削り機も、私の中学生の頃は電動ではなく、手動だったような気がするし、ボールペンやシャープペンは外国製の高価なものしかなかったような気がする。確か、高校の入学祝いには養父母から替え芯付きの当時何千円もするボールペンを贈ってもらった記憶があるし、実姉からはモンブランのシャープペンを贈られたような気がする。
今のようにプラスチックで作られた使い捨てのボールペンやシャープペンが出現してきたのは、いつごろからなのであろうか。
私は小学1年から3年まで、駅前商店街にあった洋品店の娘の泣き虫ヒロコちゃんと一緒の席で、彼女のためにいつも小刀でエンピツを削ってあげた。たぶん、そんな泣き虫のヒロコちゃんが好きだったのであろう。同じ大府市に住んでいながら、とんと噂話を聞かないが、元気でやっているだろうか。
今の時代のように便利になりすぎてしまうと、筆記用具や文房具が引き金となる幼い頃の思い出は、脳のどの片隅にもインプットされていないに違いない。
今日、娘の残した筆記用具や文房具を片付けながら、はるか彼方に過ぎ去った自分の幼い頃を思い出していた。
先月まで、NTT西日本の中年の男性勧誘員が我が家に再三やって来て、インターネットの接続をADSLから光フレッツに変更しませんかと言われたが、詳しい説明を受けることもなくすべて断っていた。
ところが今日、娘と同じ年恰好で関西弁をしゃべる女性勧誘員が来たら、私はたちまちその気になって、7月5日に工事をすることになった。女房に言わせると、「お父さんは娘と同じ年頃の女性に弱いんだから」ということになるらしい。
私のパソコンの置いてある場所は、嫁に行くまで娘が使っていた机の上で、その上は常日頃から乱雑極まりない。NTT西日本の工事部の人やBIGLOBEの人がセッ・アップに来たときに、余りのだらしなさにビックリさせてもまずいと思い、今日の午後から片付け出した。やたら書類が多くて、読みかけの単行本が無造作に積み上げてある。まず、それらを片付ける。次に、余り使うことのない電気エンピツ削り機を隣りの部屋に移動させた。
机の抽斗を開けてみると10数本の鉛筆とボールペン、数本のシャープペンと数個の消しゴムが出てきた。どうして、親子というのは嫌なところばかりが似るのであろうか。言うのも癪だが、私も子どもの頃、幾つも同じような筆記用具を持っていた。
これまで深く考えることもなかったが、エンピツ削り機はいつ頃から出現したのであろうか。私たちの小学校時代は筆箱にエンピツを削るための小刀を入れて学校へ通った。そして芯が坊主になって、書きにくくなると授業中でもその小刀を取り出して、素早くエンピツの芯を削ったものだ。たぶん、先生からの指示なのであろうが、筆箱に入ってる硬さはHBが殆んどだった。また、小学生が使う硬さの種類もせいぜい、H、HB、2Bの3種類程度だったように思う。
エンピツを小刀で削るのには、ある程度の経験とコツがいる。
と言うのは、エンピツを形作っている木材に削りやすい材質のものと固さにバラツキのある材質のものがあり、小刀がエンピツに食い込む角度の調整と小刀を手の親指で押し込む力の調整がうまく取れないとバランスのいい削り方ができない。従って、私たちの年代はうまくエンピツをうまく削る技術を体で会得していて、その技術は果物ナイフでリンゴや柿の皮をむくワザに引き継がれていく。
娘や息子が私のやることに感心することは余りなかったが、唯一、彼らが感心するのは、私のナイフでの果物の皮むきであった。今では何の自慢にもならない。
余分な話になるが、私は娘が中学生の頃、何度か果物の皮を最後まで繋いでむくという競争をしたが、私は一度も娘に負けたことがなかった。
自動エンピツ削り機も、私の中学生の頃は電動ではなく、手動だったような気がするし、ボールペンやシャープペンは外国製の高価なものしかなかったような気がする。確か、高校の入学祝いには養父母から替え芯付きの当時何千円もするボールペンを贈ってもらった記憶があるし、実姉からはモンブランのシャープペンを贈られたような気がする。
今のようにプラスチックで作られた使い捨てのボールペンやシャープペンが出現してきたのは、いつごろからなのであろうか。
私は小学1年から3年まで、駅前商店街にあった洋品店の娘の泣き虫ヒロコちゃんと一緒の席で、彼女のためにいつも小刀でエンピツを削ってあげた。たぶん、そんな泣き虫のヒロコちゃんが好きだったのであろう。同じ大府市に住んでいながら、とんと噂話を聞かないが、元気でやっているだろうか。
今の時代のように便利になりすぎてしまうと、筆記用具や文房具が引き金となる幼い頃の思い出は、脳のどの片隅にもインプットされていないに違いない。
今日、娘の残した筆記用具や文房具を片付けながら、はるか彼方に過ぎ去った自分の幼い頃を思い出していた。
"はるか彼方に過ぎ去った自分の幼い頃を思い出していた" へのコメントを書く