私が営業担当として最も脂が乗っていたとき
昨日、午後からフラリと豊橋に行こうと思って、駅に向かって家を出た。
午前中は霧雨であったものが、午後に入ると本降りになってきた。私は一瞬、豊橋に行こうかどうか迷ったが、思い立ったが吉日とばかりに行こうと決心した。
私が豊橋という街を懐かしむのには理由があった。
今から30年ほど前の年明け早々、営業担当を命ぜられて間もない頃だったと思うが、ある客先に年始の挨拶に行ったとき、当時アルミメーカーとしては日本で5本の指に入る会社の常務と客先の所長室で一緒になった。所長への挨拶も終わり、その常務と資材部のロビーで歓談していると客先の技術部の課長が、Confidential (機密)と朱で書かれた封筒を携えて私のところにやって来た。その封筒には、その年に大々的に売り出そうとしている新規部品の鋳造品の図面が幾つも入っている。
客先の技術課長からは年末に電話で新しい鋳造部品の図面を出図する予定をしているが、その図面に齟齬がないかどうかを見てほしいと頼まれていた。そして、やっと図面ができたので私に連絡を取ったら、私が所長室に年始の挨拶に来ていると聞かされたので、私が資材部に寄るのを待っていたらしいのだ。年末に電話で打ち合わせ済みなので、「できたら、15日までに」と声を掛けられただけで、あとは阿吽の呼吸で目と素振りで私は相手の意向を汲み取った。
そのやりとりを見ていたアルミメーカーの常務は私に向かい、「Issaさんは客先に本当に信頼されているんですね。封筒にConfidentialと押してあるじゃないですか!」と大仰に驚いて見せた。そんなことは今までにしょっちゅうあったことなので、私はその常務の言ってることの重大さがピンとこなかった。
その後、1年ほどが経って、そのアルミメーカーの常務から私に電話が入り、どうしても豊橋まで出てきて、相談に乗ってほしいと言う。なぜ豊橋なのかと言うと、豊橋にはそのアルミメーカーの本社と工場があったからである。私は失礼ながら、そのことを始めて知った。
私は客先のロビーで常務の部下からJR新幹線の切符とタクシーチケットをもらって、要望された日にそのアルミメーカーを訪れた。
案内嬢に連れられて、応接室に入ると、もうすでに営業担当部長や課長、係長まで応接室に呼ばれていて、私が椅子に座ると常務の口から、おもむろに今日の相談の趣旨が語られた。つまり、同じ客先ではあるが、今まで付き合ってきた部門とは違って、これまで付き合いのなかった別の部門から見積もりの引き合いが来たと言い、その見積もり依頼の製品が、将来どこまで伸びる商品なのかが分らないので、技術部課長から、Confidential印が押された封筒を渡されるぐらい信用されているあなたの意見、見通しが聞きたいと言うのである。
私は今引き合いのある製品は、技術面で今の客先を凌駕できないと判断して、競合相手の大手2社が撤退する方針が決定されたと聞いているので、今後、間違いなく成長が見込める製品だと説明すると、みるみる常務の目の色が変わってきた。売上を上げるチャンスだと考えたのであろう。
常務はポンと膝を叩くと、活きがよくてネタも大きいことでその名が知られていた鮨屋に私を連れていってくれた。
その後、そのアルミメーカーの常務は全身全霊を掛けて、その新しい製品の受注に邁進していき、多くの受注に成功した。最高で年間20億の売上を上げたと聞いている。
その功績に寄り、その常務は副社長となり、東京へ栄転していった。
その常務の後を継いだ営業部長も意見交換を口実に年に何回か、私を豊橋に招いてくれ、割烹料理旅館やナイトラウンジに連れて行ってくれた。恥ずかしながら、適当なストレス解消になったのは事実である。
そのアルミメーカーの常務との出会いは、私にさまざまなことを教えてくれた。一番大きな教訓は、客先から次第に信頼され、いろいろな部所への出入りを許されて何気なく入ってきた情報の中には、実は幾つもConfidentialな情報が含まれていることを思い知らしめてくれたことだ。
私は生来おしゃべりだが、Confidentialと押された情報はたとえ自分の会社の上層部と言えども漏洩することはなかった。いまいち、私が上層部の信頼を獲得できなかった理由は、ひょっとするとそんなとこにあったのかも知れない。
だが、皮肉なことにアルミメーカーの常務と付き合っていた数年が、営業担当して、私が最も脂が乗っていたときでもある。
そんな時代を今更懐かしんで何になるんだ、俯瞰しているもう一人の自分が声を荒げて、叫んでいる。だが、私がJR東海道線の豊橋行きに無言で乗り込んでいった。
【蛇足】
2月6日付の中日新聞の朝刊コラムに次のような文が載っていた。
<米国の行政の文書には四段階あると、手元の辞書には書いてある。リストリクテッド、コンフィデンシャル(Confidential)、シークレット、トップシークレットの順に機密度が高くなるらしい。意訳すれば、取扱注意、機密、極秘、最高機密とでもなろうか>
午前中は霧雨であったものが、午後に入ると本降りになってきた。私は一瞬、豊橋に行こうかどうか迷ったが、思い立ったが吉日とばかりに行こうと決心した。
私が豊橋という街を懐かしむのには理由があった。
今から30年ほど前の年明け早々、営業担当を命ぜられて間もない頃だったと思うが、ある客先に年始の挨拶に行ったとき、当時アルミメーカーとしては日本で5本の指に入る会社の常務と客先の所長室で一緒になった。所長への挨拶も終わり、その常務と資材部のロビーで歓談していると客先の技術部の課長が、Confidential (機密)と朱で書かれた封筒を携えて私のところにやって来た。その封筒には、その年に大々的に売り出そうとしている新規部品の鋳造品の図面が幾つも入っている。
客先の技術課長からは年末に電話で新しい鋳造部品の図面を出図する予定をしているが、その図面に齟齬がないかどうかを見てほしいと頼まれていた。そして、やっと図面ができたので私に連絡を取ったら、私が所長室に年始の挨拶に来ていると聞かされたので、私が資材部に寄るのを待っていたらしいのだ。年末に電話で打ち合わせ済みなので、「できたら、15日までに」と声を掛けられただけで、あとは阿吽の呼吸で目と素振りで私は相手の意向を汲み取った。
そのやりとりを見ていたアルミメーカーの常務は私に向かい、「Issaさんは客先に本当に信頼されているんですね。封筒にConfidentialと押してあるじゃないですか!」と大仰に驚いて見せた。そんなことは今までにしょっちゅうあったことなので、私はその常務の言ってることの重大さがピンとこなかった。
その後、1年ほどが経って、そのアルミメーカーの常務から私に電話が入り、どうしても豊橋まで出てきて、相談に乗ってほしいと言う。なぜ豊橋なのかと言うと、豊橋にはそのアルミメーカーの本社と工場があったからである。私は失礼ながら、そのことを始めて知った。
私は客先のロビーで常務の部下からJR新幹線の切符とタクシーチケットをもらって、要望された日にそのアルミメーカーを訪れた。
案内嬢に連れられて、応接室に入ると、もうすでに営業担当部長や課長、係長まで応接室に呼ばれていて、私が椅子に座ると常務の口から、おもむろに今日の相談の趣旨が語られた。つまり、同じ客先ではあるが、今まで付き合ってきた部門とは違って、これまで付き合いのなかった別の部門から見積もりの引き合いが来たと言い、その見積もり依頼の製品が、将来どこまで伸びる商品なのかが分らないので、技術部課長から、Confidential印が押された封筒を渡されるぐらい信用されているあなたの意見、見通しが聞きたいと言うのである。
私は今引き合いのある製品は、技術面で今の客先を凌駕できないと判断して、競合相手の大手2社が撤退する方針が決定されたと聞いているので、今後、間違いなく成長が見込める製品だと説明すると、みるみる常務の目の色が変わってきた。売上を上げるチャンスだと考えたのであろう。
常務はポンと膝を叩くと、活きがよくてネタも大きいことでその名が知られていた鮨屋に私を連れていってくれた。
その後、そのアルミメーカーの常務は全身全霊を掛けて、その新しい製品の受注に邁進していき、多くの受注に成功した。最高で年間20億の売上を上げたと聞いている。
その功績に寄り、その常務は副社長となり、東京へ栄転していった。
その常務の後を継いだ営業部長も意見交換を口実に年に何回か、私を豊橋に招いてくれ、割烹料理旅館やナイトラウンジに連れて行ってくれた。恥ずかしながら、適当なストレス解消になったのは事実である。
そのアルミメーカーの常務との出会いは、私にさまざまなことを教えてくれた。一番大きな教訓は、客先から次第に信頼され、いろいろな部所への出入りを許されて何気なく入ってきた情報の中には、実は幾つもConfidentialな情報が含まれていることを思い知らしめてくれたことだ。
私は生来おしゃべりだが、Confidentialと押された情報はたとえ自分の会社の上層部と言えども漏洩することはなかった。いまいち、私が上層部の信頼を獲得できなかった理由は、ひょっとするとそんなとこにあったのかも知れない。
だが、皮肉なことにアルミメーカーの常務と付き合っていた数年が、営業担当して、私が最も脂が乗っていたときでもある。
そんな時代を今更懐かしんで何になるんだ、俯瞰しているもう一人の自分が声を荒げて、叫んでいる。だが、私がJR東海道線の豊橋行きに無言で乗り込んでいった。
【蛇足】
2月6日付の中日新聞の朝刊コラムに次のような文が載っていた。
<米国の行政の文書には四段階あると、手元の辞書には書いてある。リストリクテッド、コンフィデンシャル(Confidential)、シークレット、トップシークレットの順に機密度が高くなるらしい。意訳すれば、取扱注意、機密、極秘、最高機密とでもなろうか>
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