長生きすれば、幾つか心に爪跡があるものだ

 私は朝、目を覚ますと真っ先にテレビのスイッチを入れて、まず時間を確認する。今朝はいつもより遅くて、6時半の起床であった。
 昨日、ビデオ収録していた番組を、病院から帰ってきた女房と一緒に夜遅くまで観ていたせいだ。
 朝のテレビ番組はそんなに真剣に観る方ではないが、私にとって少し気になる話題が取り上げられていて、思わず見入ってしまった。ロス・プリモスのリーダー兼ボーカリストの森聖二氏と元ザ・フォーク・クルセダーズのメンバー加藤和彦氏が亡くなったという話題である。
 自分の人生に幾つか心に爪跡があるとすれば、その爪跡が一つ一つ消滅していくような気に私はなっていた。
 というのは、私はロス・プリモスの「ラブユー東京」とザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」とには青春時代の苦い思い出がある。青春の蹉跌といってもいい。
 確か、「ラブユー東京」は1965年、「帰ってきたヨッパライ」は1967年の発売だったような気がする。そして、ともにすぐにはヒットせず、1968年になってから、ミリオン・セラーとなった。
 今のように、リリースと同時にすぐには結果は出ず、二曲とも大ヒットするまで、1年以上は掛ったような気がする。私がこの二曲の歌をよく聞いたのは1967年ごろからで、まだこの二曲がそんなに世の中に知られていない時期であった。
 私は22歳の頃、大黒柱である養父が胃癌だと聞かされて、その事実から逃れるように生活がみるみる荒れていった。そんな中で高校の先輩に薦められて、4日間家庭教師をする傍ら、刈谷市にある雀荘で雀ボーイをやっていたことがある。そのときの雀荘で絶えずラジオから流れていたのが、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」で、テープを早送りをしたような歌い方で、しかも天国でやりたいことをやって、こわい神様から叱られて、再びこの世に戻ってくるなどという歌詞で、自分の将来に対して、振り払おうとしてもし得ない不安を持っていた私には、何とふざけた歌かとイライラしながら聞いたものだった。
 養父の治療費で蓄えのすべてをなくしてしまった今、養母を養うためには、好きでもないことや時間の経過だけを待つ仕事にも付かなければ、生きていけないかも知れないという焦燥感で、そのとき私は体も心も打ちひしがれていた。
 不思議なもので、雀ボーイをやっていて、そこそこの麻雀の腕を持っていると客に代打ちを頼まれることが多くなる。そこそこに大きな粗相もせず、代打ちを済ませたあとには、客の多くは自分の馴染みの居酒屋やバーに連れて行ってくれて、思わぬタダ酒を飲ませてくれる。客にすれば、大きな負けもせず、よくぞ時間を繋いでくれたという気持の表れなのかも知れない。
 その時代にはカラオケなどはなく、ちらほら有線を入れている店が出だした頃で、私が連れて行ってもらったバーでも、有線が設置されていて、その有線からいつも流れていた曲が「ラブユー東京」という歌であった。確か、その頃は黒沢明とロス・プリモスと言うグループ名だったと思う。
 不思議にも、「帰ってきたヨッパライ」は、テープを早送りをしたような歌い方だったし、ロス・プリモスのボーカル森聖二氏はそれまでになかったハイ・トーンの歌い方で、40数年経った今でも、青春時代の捨て去りたい思い出とともに私の心に刻まれている。
 なぜか、それは遠くに聞こえる耳鳴りのようでもある。

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