入るを計り、出ずるを制す
最近、私は寝返りが打てないほどに腰が痛くなり、今日もそのために午前5時15分には目覚めていた。
ベッドの上に座って、しばらくじっとしていると次第に痛みは治まっていって、そのまま、コーヒーを飲みながら、テレビのスイッチをひねる。映し出されたのは8.30衆院選挙の特集番組で、各党のマニュフェストの項目を比較しながら、徹底討論しているらしい。いるらしいと言ったのは、一見すると各党批判合戦という様相にしか思えなかったからである。
丁々発止と意見が飛び交う中で、私がちょっと気になったのは、子育て支援に関することである。私も子育て世代の支援策は、娘に3人目の子どもができることもあって、必要かつ大切な政策であることは認めるが、その財源に具体性がないのが気になって仕方がない。つまり、いざとなれば、国債を発行すればいい、消費税を上げればいいという安易な考えが根底にあるように思えてならないのである。
普通の人間は、安易に借金を何度も繰り返しているうちに、最初に抱いていた後ろめたさはいつしか影を潜め、やがては何とかなるだろうぐらいの気持に陥っていくのが常である。
昔、ツー・ビートのギャグに『赤信号 みんなで渡れば 怖くない』というのがあった。『今、いい思いをするために みんなで借金すれば 怖くない』という無責任さを感じてしまうのである。
私は、34歳のとき、金もないのに借金をして土地を買い、2年後に家を建てた。その後の私の生活は、計画的借金返済の生活だったと言っていい。そして、運よく私は会社をRetireする年に借金を完済した。
苦しくなかったと言えば、嘘になるが、かと言って、借金完済までの30年近くの生活が楽しくなかったかと言えば、決してそんなことはない。自分なりに優先順序を決めて、不必要な出費をしなければいいだけのことだ。
商売の原理は、「入るを計り、出ずるを制す」と言われる。【入る】が減れば、【出ずる】の優先順序を決めて、計画的に出費しなければ、商売は成り立たない。ところが、国は国民が最低限の文化的な生活を確保するために、まず【出ずる】を予測し、【入る】、すなわち税収を計らなければならない。従って、【出ずる】には確固たる理由があり、ムダがあってはならないのだ。
マニュフェストに関する各紙の論調は、自民も民主も<バラマキ>というイメージが拭いきれないというものだ。おそらく、その論拠は財源の捻出がはっきりせず疑念を抱いているからなのであろうし、徹底的な【出ずる】の検証がなされて、何もましてムダの排除が先決だと考えているからなのであろう。
私たちの側にも、今の生活が維持できるならば、財源がはっきりしなくても、まあいいかと気持がどこかにありはしないだろうか。つまり、都合の悪いことは後回しにしても、『赤信号 みんなで渡れば 怖くない』と思ってはいないだろうか。
もう一つ、ツー・ビートの昔のギャグを思い出した。
『手をあげて 横断歩道で 死んでいた』
言うまでもないが、このギャグは『手をあげて 横断歩道を 渡ろうよ』という標語のパロディであるが、私にはこのギャグが、向こうから借金地獄という暴走車が来るのに気付いて、正規の横断報道で手をあげて、必死でブレーキを掛けさせようとしても、もはや、暴走車を止めることはできず、無残に轢き殺される破目になってしまうというブラック・ユーモアのように思えてくる。
私が妄想家で貧乏性のせいなのであろうか。
ベッドの上に座って、しばらくじっとしていると次第に痛みは治まっていって、そのまま、コーヒーを飲みながら、テレビのスイッチをひねる。映し出されたのは8.30衆院選挙の特集番組で、各党のマニュフェストの項目を比較しながら、徹底討論しているらしい。いるらしいと言ったのは、一見すると各党批判合戦という様相にしか思えなかったからである。
丁々発止と意見が飛び交う中で、私がちょっと気になったのは、子育て支援に関することである。私も子育て世代の支援策は、娘に3人目の子どもができることもあって、必要かつ大切な政策であることは認めるが、その財源に具体性がないのが気になって仕方がない。つまり、いざとなれば、国債を発行すればいい、消費税を上げればいいという安易な考えが根底にあるように思えてならないのである。
普通の人間は、安易に借金を何度も繰り返しているうちに、最初に抱いていた後ろめたさはいつしか影を潜め、やがては何とかなるだろうぐらいの気持に陥っていくのが常である。
昔、ツー・ビートのギャグに『赤信号 みんなで渡れば 怖くない』というのがあった。『今、いい思いをするために みんなで借金すれば 怖くない』という無責任さを感じてしまうのである。
私は、34歳のとき、金もないのに借金をして土地を買い、2年後に家を建てた。その後の私の生活は、計画的借金返済の生活だったと言っていい。そして、運よく私は会社をRetireする年に借金を完済した。
苦しくなかったと言えば、嘘になるが、かと言って、借金完済までの30年近くの生活が楽しくなかったかと言えば、決してそんなことはない。自分なりに優先順序を決めて、不必要な出費をしなければいいだけのことだ。
商売の原理は、「入るを計り、出ずるを制す」と言われる。【入る】が減れば、【出ずる】の優先順序を決めて、計画的に出費しなければ、商売は成り立たない。ところが、国は国民が最低限の文化的な生活を確保するために、まず【出ずる】を予測し、【入る】、すなわち税収を計らなければならない。従って、【出ずる】には確固たる理由があり、ムダがあってはならないのだ。
マニュフェストに関する各紙の論調は、自民も民主も<バラマキ>というイメージが拭いきれないというものだ。おそらく、その論拠は財源の捻出がはっきりせず疑念を抱いているからなのであろうし、徹底的な【出ずる】の検証がなされて、何もましてムダの排除が先決だと考えているからなのであろう。
私たちの側にも、今の生活が維持できるならば、財源がはっきりしなくても、まあいいかと気持がどこかにありはしないだろうか。つまり、都合の悪いことは後回しにしても、『赤信号 みんなで渡れば 怖くない』と思ってはいないだろうか。
もう一つ、ツー・ビートの昔のギャグを思い出した。
『手をあげて 横断歩道で 死んでいた』
言うまでもないが、このギャグは『手をあげて 横断歩道を 渡ろうよ』という標語のパロディであるが、私にはこのギャグが、向こうから借金地獄という暴走車が来るのに気付いて、正規の横断報道で手をあげて、必死でブレーキを掛けさせようとしても、もはや、暴走車を止めることはできず、無残に轢き殺される破目になってしまうというブラック・ユーモアのように思えてくる。
私が妄想家で貧乏性のせいなのであろうか。
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