サラリーマンとして生きるための儀式を終えて
昨夜は、アキレス腱断裂で固定されていたギブスを全面的に交換してもらったお陰であろうか、ベッドに入ってテレビを観ていたら、いつの間にか夜10頃から寝入ってしまい、朝起きたら、もうすでに午前7時53分であった。アキレス腱を断裂した右足の甲の鈍痛が、自分でも気が付かない間に引いていき、寝不足が解消されるまで、久々に心地よく眠れたからなのであろう。
ただ、朝起きる前に私は変な夢を見ていた。大学生時代の夢である。
私は大学時代のことは殆んどと言っていいほど、思い出すことはない。大学生3年のときに養父が胃癌に罹り、それ以後は、養父の病院費と養母との生計を立てるために、深く考えることを拒否するかのように昼夜を問わず、いろんなアルバイトをして、何とか食いつないでいた時代のことは、でき得ることならば、二度と振り返りたくない過去だという思いがあったからである。
どんな夢かというと、私が通っていた名古屋の私立大学の学生自治会の副会長から、「プチブル的アナーキストは学園を去れ」と名指しで罵られている夢であった。プチブルとはあの頃の流行りの言葉で「小市民」、アナーキストもよく使った言葉で「無政府主義者」と訳されていた。
ただ、副会長が私に「プチブル的アナーキスト」と言ったのは、いわゆる、ノンポリ学生でどんなグループとも交わらない何事にも無関心な奴という侮蔑的な意味で言っていたのである。
私も負けずに声を荒げて叫ぶ。
「授業料の値上げごときで、どうして皆こんなに必死になってるの?」
「どうしてパイプや角材やヘルメットやバリケードを持ち出してまで、必死に戦おうとするの?」
「どうしてこんなヘンな派閥を作ろうとするの?どうして派閥どうしで必死に争ったりしてるの?」
「そんなに必死になって、何かメリットがあるの?そんなことやっても、無駄だとは思わないの?」
その時代の背景は、まず、東京の大学で授業料の値上げ反対の声が上がり、その波はやがて、名古屋の大学にも波及してきて、私の通っていた私立大学でも、500人は収容できる大教室で、授業料反対の始めての集会があると告知板に貼られ、そのとき、文芸部の部長をしていた私にも集会に参加するように要請があったが、私は参加しなかった。
私はそれより以前に、文芸部、落語研究会、映画研究会などの部室によく出入りして、先に上げた疑問について、自分なりの納得できる答えが出ない限り、授業料反対の動きには同調しないと公言していた。現に、私が通っていた私立大学は、他の私立大学に比べて、授業料はそんなに高くはなく、国立大学の3倍程度であり、週に3日、家庭教師をやれば、簡単にクリアできる金額であった。
授業料反対の集会に学生は集まらず、運動が不調に終わった腹いせであろうか。学生自治会の副会長は、私に「プチブル的アナーキスト」とうレッテルを貼り、多くの人の前で罵ったあとは、とことん私を無視し続けたのである。
43年も経った今、何でそんな夢を見たのであろう。
私は恥ずかしい話であるが、サラリーマンになってからも、世が世であれば、自分は社会のエリートになり得たのに、ちょっとした運の悪さで、しがないサラリーマンになってしまったという自嘲にも似た悔恨をずっと繰り返していた。大学生への憧憬がいつまでも自分の心の中にあったのである。
ところが、私は1980年の36歳のとき、もう私は結婚し子どもも二人いたが、自分の働いている会社の社長に抜擢され、一挙に裁量権のある営業担当を任された。一か八か、私は、このチャンスを活かすには、大学生への憧憬をいつまでも持っていたのでは、これからの自分の人生は、決して楽しく充実した生活を生きられないと思い、負の部分を引き摺るかのような自分の大学生時代を、この際、きっぱりと抹消しようと思ったのである。
今から思えば、何でそんな気になったのかは計りかねるが、屈折した大学時代を自分の経歴から抹消するためのケジメとして、四つの小説をじっくり読んで、営業担当に没頭するための一区切りにしようと思っていた。
その四つの小説とは、1977発行の星野光徳氏の「おれたちの熱い季節」、高城修三氏の「闇を抱いて戦士たちよ」、1979年発行の立松和平氏の「匂い光満ちてよ」、そして、三田誠広氏の「僕って何?」である。
1977年から1980年に掛けて、私たちの時代の大学闘争をどう捉えていたか、いわば、自分なりに大学闘争をどう総括するかという自嘲的で懺悔的な小説が幾つか発表されていたが、私にとっては、上記に挙げた四つの作品が、その典型的な作品のように思っていて、どの小説の主人公の将来にも、自分のこれからの生き方を示唆してくれる羅針盤にはなり得ないことを悟りたかったのである。
ある作品の主人公は、大学闘争は一種の熱病のようなものとして、きれいに捨て去り、ある主人公は闘争に関して理論武装が出来ず、挫折を繰り返しつつ、自分の未来の姿を描き切れず、ある主人公はセクト闘争に明け暮れて、無為な殺人を幾度も繰り返すまでに至り、最後には自らの命を絶ってしまい、ある主人公は流れのままに周りの友人に引き摺られて、理論理屈もなくアタフタし、本当の自分の生き方を見失う。
いずれにしても、自分の理想的な人生とはとても思えない。サラリーマンとして生きるための自分なりの儀式を終えてから、私は大学時代の過去を抹消した。
昨日見た夢は、あの大学時代も紛れもない自分だけの時間で、このブログが「自分探しの旅」を標榜するのであれば、避けては通れない時間だと暗示しているのであろうか。だが、休学期間も含めれば、6年間の大学生活の輪郭を思い起こそうとしても、大学時代の唯一の女友だちT.M.の顔しか、思い浮かんでこないのはなぜだろう。
私の年甲斐もなく、もう一度大学へ行きたいと思う心の中には、あの頃に「帰りなんいざ」という気持があることだけは間違いない。
ただ、朝起きる前に私は変な夢を見ていた。大学生時代の夢である。
私は大学時代のことは殆んどと言っていいほど、思い出すことはない。大学生3年のときに養父が胃癌に罹り、それ以後は、養父の病院費と養母との生計を立てるために、深く考えることを拒否するかのように昼夜を問わず、いろんなアルバイトをして、何とか食いつないでいた時代のことは、でき得ることならば、二度と振り返りたくない過去だという思いがあったからである。
どんな夢かというと、私が通っていた名古屋の私立大学の学生自治会の副会長から、「プチブル的アナーキストは学園を去れ」と名指しで罵られている夢であった。プチブルとはあの頃の流行りの言葉で「小市民」、アナーキストもよく使った言葉で「無政府主義者」と訳されていた。
ただ、副会長が私に「プチブル的アナーキスト」と言ったのは、いわゆる、ノンポリ学生でどんなグループとも交わらない何事にも無関心な奴という侮蔑的な意味で言っていたのである。
私も負けずに声を荒げて叫ぶ。
「授業料の値上げごときで、どうして皆こんなに必死になってるの?」
「どうしてパイプや角材やヘルメットやバリケードを持ち出してまで、必死に戦おうとするの?」
「どうしてこんなヘンな派閥を作ろうとするの?どうして派閥どうしで必死に争ったりしてるの?」
「そんなに必死になって、何かメリットがあるの?そんなことやっても、無駄だとは思わないの?」
その時代の背景は、まず、東京の大学で授業料の値上げ反対の声が上がり、その波はやがて、名古屋の大学にも波及してきて、私の通っていた私立大学でも、500人は収容できる大教室で、授業料反対の始めての集会があると告知板に貼られ、そのとき、文芸部の部長をしていた私にも集会に参加するように要請があったが、私は参加しなかった。
私はそれより以前に、文芸部、落語研究会、映画研究会などの部室によく出入りして、先に上げた疑問について、自分なりの納得できる答えが出ない限り、授業料反対の動きには同調しないと公言していた。現に、私が通っていた私立大学は、他の私立大学に比べて、授業料はそんなに高くはなく、国立大学の3倍程度であり、週に3日、家庭教師をやれば、簡単にクリアできる金額であった。
授業料反対の集会に学生は集まらず、運動が不調に終わった腹いせであろうか。学生自治会の副会長は、私に「プチブル的アナーキスト」とうレッテルを貼り、多くの人の前で罵ったあとは、とことん私を無視し続けたのである。
43年も経った今、何でそんな夢を見たのであろう。
私は恥ずかしい話であるが、サラリーマンになってからも、世が世であれば、自分は社会のエリートになり得たのに、ちょっとした運の悪さで、しがないサラリーマンになってしまったという自嘲にも似た悔恨をずっと繰り返していた。大学生への憧憬がいつまでも自分の心の中にあったのである。
ところが、私は1980年の36歳のとき、もう私は結婚し子どもも二人いたが、自分の働いている会社の社長に抜擢され、一挙に裁量権のある営業担当を任された。一か八か、私は、このチャンスを活かすには、大学生への憧憬をいつまでも持っていたのでは、これからの自分の人生は、決して楽しく充実した生活を生きられないと思い、負の部分を引き摺るかのような自分の大学生時代を、この際、きっぱりと抹消しようと思ったのである。
今から思えば、何でそんな気になったのかは計りかねるが、屈折した大学時代を自分の経歴から抹消するためのケジメとして、四つの小説をじっくり読んで、営業担当に没頭するための一区切りにしようと思っていた。
その四つの小説とは、1977発行の星野光徳氏の「おれたちの熱い季節」、高城修三氏の「闇を抱いて戦士たちよ」、1979年発行の立松和平氏の「匂い光満ちてよ」、そして、三田誠広氏の「僕って何?」である。
1977年から1980年に掛けて、私たちの時代の大学闘争をどう捉えていたか、いわば、自分なりに大学闘争をどう総括するかという自嘲的で懺悔的な小説が幾つか発表されていたが、私にとっては、上記に挙げた四つの作品が、その典型的な作品のように思っていて、どの小説の主人公の将来にも、自分のこれからの生き方を示唆してくれる羅針盤にはなり得ないことを悟りたかったのである。
ある作品の主人公は、大学闘争は一種の熱病のようなものとして、きれいに捨て去り、ある主人公は闘争に関して理論武装が出来ず、挫折を繰り返しつつ、自分の未来の姿を描き切れず、ある主人公はセクト闘争に明け暮れて、無為な殺人を幾度も繰り返すまでに至り、最後には自らの命を絶ってしまい、ある主人公は流れのままに周りの友人に引き摺られて、理論理屈もなくアタフタし、本当の自分の生き方を見失う。
いずれにしても、自分の理想的な人生とはとても思えない。サラリーマンとして生きるための自分なりの儀式を終えてから、私は大学時代の過去を抹消した。
昨日見た夢は、あの大学時代も紛れもない自分だけの時間で、このブログが「自分探しの旅」を標榜するのであれば、避けては通れない時間だと暗示しているのであろうか。だが、休学期間も含めれば、6年間の大学生活の輪郭を思い起こそうとしても、大学時代の唯一の女友だちT.M.の顔しか、思い浮かんでこないのはなぜだろう。
私の年甲斐もなく、もう一度大学へ行きたいと思う心の中には、あの頃に「帰りなんいざ」という気持があることだけは間違いない。
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