思い出さないのは、多くの年月が流れてしまったからかも知れない

 私は女房が買い物に出掛けるとき、シャンプーとリンスを買って来てくれるように頼むのだが、いつも買うのを忘れて帰ってくる。
 私たち夫婦は、歯ブラシや髭剃り用のカミソリ、シェービング・クリームなどを除き、日常用品は共通で使っているものがほとんどである。だが、余り理由は定かではないが、シャンプーとリンスも共通のものでよさそうなものなのに、別々なメーカーのものを使っている。
 女房が量販店に出掛けるときに、少なくなった私専用の日常用品をたびたび頼むことがあるが、これまで依頼したものを買ってきたためしがない。
 逆に女房から買い物を頼まれることがあるが、私もかなりの確率で買うのを忘れることが多い。買い物忘れでがっかりするのは、お互いさまということになる。
 最近では、人の名前が土地の呼び名などを忘れて思い出せないのは日常茶飯事のこととなり、同年代の私たちにはもはや話題にも上がらず、取り立てて驚くことでもなくなった。
 それでも明るくあっさりと「忘れた!」と言われると、さすがに落胆する。
 2日間続けて買い忘れたのだから、今日は女房専用のシャンプーとリンスを使わせてくれよというほどの勇気を私は持っていない。
 今日もまた、シャンプーとリンスのボトルに水道水を入れ、薄めてから使うしか手立てはないようである。

 最近では、女房と食べものの好みも違ってきている。
 会社をRetireする前までは、女房が用意してくれた料理は何でも食べていたが、ここ15、6年で私は肉料理が苦手となり、すき焼きなどのときには肉はもっぱら女房が食べて、私はと言えば、主に野菜や豆腐、こんにゃくを食べる。
 ときどき、私の知らないうちに取り皿に肉を入っていることがあるが、女房が横を向いている隙に、私はまたそっと女房の取り皿にお返しすることにしている。
 さらに、今では焼き肉はもっとも苦手な料理となってしまったので、ここ20年ほど焼き肉店には行っていない。ところが女房は未だに肉料理が好きで、最近になり、我が家の夕食のメインが焼き肉のときには、私には豆腐料理があてがわれる。
 私は豆腐なら、木綿豆腐や絹ごし豆腐の上に、最近流行りの麻婆タレを載せた冷奴も、高野豆腐の含め煮も大好きで、私にとってはそれだけで御馳走なのである。

 私の子供の頃には、自転車に乗って豆腐屋さんが週に何回か、「とーふー」という掛け声とピーポーと鳴るラッパを吹きながら、町内にやって来たものである。
 豆腐屋の大きな水槽には白い豆腐が沈んでいて、母親がラッパの音が聞こえると同時に鍋を持って駆け出していく。豆腐屋さんは包丁で四角くて大きな豆腐を必要な大きさに切り分けて、水の入った鍋に入れてくれる。
 その豆腐屋さんは、ときどき粉豆腐(高野豆腐を粉末状にしたもの)も積んでいて、母親は私のためにそれを全部購入してくる。母親がそうするのは、私の大好きな料理を作るためだ。
 その料理とは、小さい鍋の中に粉豆腐と一緒に少量の水を加える。それに生卵を一つ割って入れる。それから弱火でじっくりとかき混ぜながら、煮詰めていく。煮詰まったかどうかのタイミングがむつかしいが、母親はその辺のタイミングで心得ていて、適当な色合いになると、こん炉から煮詰まった鍋を下ろす。
 これが実に美味しかった。
 それは私が結婚するまで、1週間に1度は、朝食か夕食かの食卓に上っていた。
 ところが、女房の作るレシピの中には高野豆腐を素材にした料理がなく、それから45年の間、一度もその料理を口にしたことがなかった。
 何がきっかけになったのだろうか、70歳過ぎたころから、その料理がときどき夢の中に出てくるようになった。だが、出てはくるのだが、私はその味をすっかり忘れてしまっている。そんな自分に失望してしまい、もう一度食べたいと思い詰めているところで、必ず目が覚める。
 そんなことを女房に漏らすと、あちこちのスーパーマーケットで捜してみると出掛けて行くが、結局のところ、粉末高野豆腐は見つからなかったという報告ばかりであった。
 1度、女房は普通の高野豆腐をおろし金で粉末にして、母親と同じ要領で作ってみると言って、今日、その料理を再現してくれた。
 私は昔の味を思い出したと女房には告げていた。
 だが、私は子供の頃の味をはっきりとは思い出すことはできなかった。余りに多くの年月が流れてしまったからかも知れない。

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