私は小学3年生まで、左利きであった
私は小学3年生まで左利きで、今でもハサミを使うときやラケットを持つのは左手を使うことが多い。
だが、私が小学4年生のとき、通っていた小学校でソフトボール部が新設されたのを機に、父親から私を右利きに替えさせられた。
4年生から6年生の有志を集めて入部テストが行われたが、そのときのテストは遠投とキャッチボール、そしてバットの素振りで、私はすべて右利きで、そのテストを受けた。
そして、合格した。
私は父親から右利きに替えさせられて、本当によかったと思っている。
と言うのは、私は2011年11月にペースメーカー植え込み手術を受けた。
その手術というのは左胸を切り開いて鎖骨の上に人工のペースメーカーが挿入できる分だけの袋を作って植え込むものである。
ペースメーカーの植え込み部位が鎖骨に近いところということもあって、手術後でもペースメーカーの形状が分かるほど膨らんでしまっている。少し筋肉に力を入れると左胸のペースメーカーが動いて、そのたびにコリコリした感触が残る。
ところが普段、力を入れずにそっとしていれば、まったく違和感というものを感じないので、ついついこれまでと同じように重い物を持ったりすると、そのたびにコリコリ感があり自分の鎖骨の上にペースメーカーがあることを気付く。
先だって、公園の勤務のときに10kgほどのゴミ袋を左手で持ってしまい、そのコリコリ感がものすごく気になって仕方がなかった。両手でバーベキュー倉庫の窓ガラスを外したときも急にそのコリコリ感に襲われて、気持が悪かった。
その段階で、私は左手を使うことを避けて、右手だけでなんとかしようと試みる。そんなとき、私は自分が小学4年生のとき、右利きに矯正されてよかったと実感する。
考えてみれば、これまでに怪我をしたのは殆んど左半身だった。
左半身の怪我を検証してみると、まずは小学5年生のときに板の廊下からザラ板(学校の下駄箱の足元に敷いてあるスノコ)の上にジャンプして、ザラ板の隙間から飛び出ていた釘を踏んで、土踏まずを突き抜けるほどの大けがをしたことがあった。完治する3ヵ月の間、松葉杖で通ったことがあったが、その足というのが左足であった。
次に中学2年生のとき、ヤンチャだった私は無謀にも柔道部のキャップテンに柔道での勝負を挑んで、見事に内股で仕留められ、私は受け身を取れずに腕を脱臼してしまった。その腕が左腕であった。
さらに養父が胃癌となり、生活のために働いた鉄工所で自動旋盤の作業をしていて、からまった切り粉(工場生産における機械加工時に発生する切り屑)を取り除こうとして手を差し出してしまい、刃物状態の切り粉で怪我をしてしまったこともある。
10針も縫合するほどの怪我であったが、別の部所に配置換えをしてもらって会社だけは休まなかったが、その手も左手であった。
その左腕の脱臼と左手の傷が長引いてしまったこともあって、その後、私は完璧な右利きになってしまった。
今回、ペースメーカーを植え込んだあと、ペースメーカーの製造元から、携帯電話を使用するときは22cm以上の距離を保つようにと警告を受けているが、これ自体も右手で操作すれば、すべて22cmの距離を充分に保てることができる。
これがもし、私が左利きであれば所作や動作のスピードは極端に遅くなる。
それより何より、私はこのブログの記事の書き込みも右手一本で打ち込んでいる。私は改めて、小学4年生のときに父親から、右利きに替えさせられたことを感謝している。
だが、私が小学4年生のとき、通っていた小学校でソフトボール部が新設されたのを機に、父親から私を右利きに替えさせられた。
4年生から6年生の有志を集めて入部テストが行われたが、そのときのテストは遠投とキャッチボール、そしてバットの素振りで、私はすべて右利きで、そのテストを受けた。
そして、合格した。
私は父親から右利きに替えさせられて、本当によかったと思っている。
と言うのは、私は2011年11月にペースメーカー植え込み手術を受けた。
その手術というのは左胸を切り開いて鎖骨の上に人工のペースメーカーが挿入できる分だけの袋を作って植え込むものである。
ペースメーカーの植え込み部位が鎖骨に近いところということもあって、手術後でもペースメーカーの形状が分かるほど膨らんでしまっている。少し筋肉に力を入れると左胸のペースメーカーが動いて、そのたびにコリコリした感触が残る。
ところが普段、力を入れずにそっとしていれば、まったく違和感というものを感じないので、ついついこれまでと同じように重い物を持ったりすると、そのたびにコリコリ感があり自分の鎖骨の上にペースメーカーがあることを気付く。
先だって、公園の勤務のときに10kgほどのゴミ袋を左手で持ってしまい、そのコリコリ感がものすごく気になって仕方がなかった。両手でバーベキュー倉庫の窓ガラスを外したときも急にそのコリコリ感に襲われて、気持が悪かった。
その段階で、私は左手を使うことを避けて、右手だけでなんとかしようと試みる。そんなとき、私は自分が小学4年生のとき、右利きに矯正されてよかったと実感する。
考えてみれば、これまでに怪我をしたのは殆んど左半身だった。
左半身の怪我を検証してみると、まずは小学5年生のときに板の廊下からザラ板(学校の下駄箱の足元に敷いてあるスノコ)の上にジャンプして、ザラ板の隙間から飛び出ていた釘を踏んで、土踏まずを突き抜けるほどの大けがをしたことがあった。完治する3ヵ月の間、松葉杖で通ったことがあったが、その足というのが左足であった。
次に中学2年生のとき、ヤンチャだった私は無謀にも柔道部のキャップテンに柔道での勝負を挑んで、見事に内股で仕留められ、私は受け身を取れずに腕を脱臼してしまった。その腕が左腕であった。
さらに養父が胃癌となり、生活のために働いた鉄工所で自動旋盤の作業をしていて、からまった切り粉(工場生産における機械加工時に発生する切り屑)を取り除こうとして手を差し出してしまい、刃物状態の切り粉で怪我をしてしまったこともある。
10針も縫合するほどの怪我であったが、別の部所に配置換えをしてもらって会社だけは休まなかったが、その手も左手であった。
その左腕の脱臼と左手の傷が長引いてしまったこともあって、その後、私は完璧な右利きになってしまった。
今回、ペースメーカーを植え込んだあと、ペースメーカーの製造元から、携帯電話を使用するときは22cm以上の距離を保つようにと警告を受けているが、これ自体も右手で操作すれば、すべて22cmの距離を充分に保てることができる。
これがもし、私が左利きであれば所作や動作のスピードは極端に遅くなる。
それより何より、私はこのブログの記事の書き込みも右手一本で打ち込んでいる。私は改めて、小学4年生のときに父親から、右利きに替えさせられたことを感謝している。
この記事へのコメント