途端に涙がとめどなく流れてきた

 私はこのブログに恋愛というジャンルで、322の記事を書いてきた。
 友だちに「恋愛ごっこ」のような、甘っちょろい記事は読むに堪えないとの批評も受けたが、私は高校時代から恋愛に関しては、人一倍、憧れを抱いてきたこともあり、その甘っちょろい記事を書き続けてきた。
 恋人と思われるカップルを見ると、その2人の素振り言動から、勝手にショートストーリーが頭に浮かんでくる。
 私は62歳で会社をRetireしてから、JRで幾度となく名古屋に行っていた。
 その日も名古屋駅ホームで、一組のカップルを見掛けた。東京行きの新幹線にうきうきした表情で乗り込む男性に向けた女性の表情が、私には妙に寂しそうに映った。今から15年も前のことである。
 その2人の光景を見ていたら、自然とストーリーが浮かんできた。女性を大学時代の唯一の女友だちの苑子、男性を自分に設定して、ブログに記事を書いた。
 だが、友だちの感想は手厳しかった。

 5月に入り、午後3時ともなると新幹線の名古屋駅ホームは遮るものがない分、強い風が吹き抜けるようになる。
 苑子はホームへの階段を上がりながら、風でプリーツスカートが舞い上がるのを気にしながら、和夫の手と自分の手を重ねていた。
 それは何度も練習を重ねたリレー走者がバトンを渡すときのようなスムーズな動作であった。
 定刻通り、ひかり号がホームに滑り込んだ。和夫は苑子に一瞥を投げかけ、無言で列車に乗り込んで、振り向きざま右手を少し挙げて、サヨナラの仕草をした。
 そして、苑子には窓際の指定席に座った和夫の唇の動きが、「来年はもう帰らない。元気で!」と言っているように思えてきた。
 苑子はこれまでの年と違った今回の和夫の素振りから、ひょっとすると彼を見送るのはこれが最後になるかも知れないと予感を抱いていた。
 苑子と和夫は昭和43年に名古屋にある外国語大を卒業した。
 2人は大学3年のゼミのコンパで知り合い、それから結婚を前提に付き合うようになった。キャンパスで腕を組んだり手を結んだりし、人目を忍んで口づけをするようになったが、それ以上の関係になることはなかった。
 共に28歳になったとき、結婚しようと暗黙の約束を交わしていた。
 苑子は卒業するとそのまま名古屋のデパートに就職し、和夫は地元の商事会社に就職したが、半年後に英語の会話力を認められて東京本社の外商部に転勤となり、それから4年の月日が流れた。
 和夫は盆休みや正月休みには実家には帰らず、わずかに1年のうちでゴールデン・ウィーク期間に帰省するのが習慣となっていた。
 以来、二人は1年に1度の逢瀬となったが、苑子はずっと心の中で和夫が東京に呼び寄せてくれるのを待ち続けていた。
 ところが、1年が過ぎ、2年が経過すると2人の間に少しずつ距離ができていった。
 一般的に女と男の歩幅には身長差があれば、その分の差は生じてくる。だが、それでも近くにいていつも会ってさえいれば、どちらかがその歩幅の差に気付き、相手を思い遣ってその差を縮めようと試みる。
 相性の合った恋人同士なら、何の躊躇もなく行っている軌道修正である。
 だが、名古屋と東京と離れて暮らしていて、年に1度の逢瀬だけでは、会わなかった時間が障害となって、2人の歩幅は修正されることなく、心の距離もなかなか縮まらなかった。
 会えない時間が愛を育てるとは、歌謡曲の歌詞の世界だけで、現実はもっとシビアだ。まして、苑子は勿体ぶった言い方を嫌う方だったし、思いの丈をそのままぶつけるような性格ではなかった。
 確実に会えない時間は2人の気持を蝕んでいき、互いの思いやりにズレを生じさせた。
 その気持のズレは、和夫のファッションや髪形にも現れてきた。また必死で訓練したと思われる和夫の標準語にも、苑子は何故か、冷たさを感じるようになった。
 <わたしは学生のときと同じ気持をずっと持ち続けてきたのよ。でも、あなたの気持は、知らないうちに変わってしまった。そうよね。>
 苑子は手を振りながら、「体に気を付けてね」と呟いていた。途端に涙がとめどなく流れてきた。
 苑子の頭の中を「木綿のハンカチーフ」のメロディーが5月の風のように通り過ぎていった。

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