公園で働く14人のメンバーで、生粋の大府っ子は6人しかいない

 私は大府市の公園で、男性10人、女性4人のメンバーとともに働いているが、生粋の大府っ子は6人しかいない。
 他のメンバーは北海道、東北地方、山陰地方、九州地方から大府市民となった人たちである。2月末の大府市の人口は92,937人(男性47,446人、女性45,491人)となっている。
 私は来期も大府コミュニティ推進協議会の役員をすることになったが、その大府コミュニティ推進協議会が結成されたのが昭和59年(1984年)だが、その年の大府市の人口はやっと4万人を超えたところであった。その昭和59年は、名古屋の東山動物園に2頭の雄コアラ「モクモク」と「コロコロ」が日本に初めて来園した年でもある。
 あれから、今年で27年になるが、大府市の人口は2.3倍になっている。14人の中で、8人が他県の出身と言っても、それほど驚くほどの数字ではない。
 先だって、午前10時の休憩の時に、北海道出身の女性メンバーが、「聞いていると名古屋市の河村市長は方言がきついが、あれは本当の名古屋弁ですか?」と聞いてきた。
 悲しいかな、私には河村市長が話す名古屋弁が昔から連綿と引き継がれてきた伝統の名古屋弁かどうかは、はっきり断定はできない。
 だが、少なくても私が名古屋の大学に通っていた55年前の名古屋弁とは少し違うような気がする。
 私は愛知県大府市で育って、中学高校は隣の市の刈谷市に通っていた。
 大学のときには尾張一ノ宮や岐阜から大学に通っていた数人の友だちと仲がよかった。
 何を言いたいかというと、私は中学高校では三河弁の中で勉強していて、大学時代は、尾張弁や岐阜弁が私の周囲を飛び交っていたことになる。
 尾張と三河の境を流れる<境川>を渡ると方言が少しずつ変わり、名古屋を抜けて<木曽川>を渡るとまた、方言が徐々に変わる。
 喜寿になるまで、尾張と三河の地域に住んでいると、私には純粋な名古屋弁と尾張弁、美濃弁、三河弁との区別が付かなくなっている。現代の若者が使う名古屋弁も、私たちの学生時代とは少し異なっている。
 標準語で「ダメですよ」は、名古屋弁で河村市長の年代に言わせれば「いかんぎゃあ」となるだろうし、最近の若者では「いかんがー」となる。そして、私が子どもの頃に聞いた旧名古屋弁だと「いかんなも」となる。
 しかも、もっとややこしいのは、名古屋には京都の「京言葉」と大阪の「船場言葉」と並んで、日本三大美方言の一つと言われる「名古屋上町(うわまち)言葉」がある。
 その上町言葉で言えば「いかんわなも」ということになる。
 この上町言葉は、私のこどもの頃には、名古屋城近辺に住んでいるお年寄りの中には、おっとりと穏やかな表情で、美しく使う人もいた。
 果たして、現在でも上町言葉を話す人はいるだろうか。
 従って、北海道出身の女性メンバーの質問に対する私の答えは、年代によって多少言葉のニュアンスが違っていても、このところ河村名古屋市長がしゃべっている名古屋弁は限定された下町の商店街で話されている言葉であり、おそらくマイノリティーではないかというものであった。

 私が38年間勤めた会社の創業者は、私たち従業員の前では、河村市長と同じように「ぎゃあ」という語尾を使い、客先の前では人当たりのいい上町言葉の語尾「なも」を付けて、器用に使い分けていた。
 創業者が客先に出向くとき、よく私は運転手を務めたが、目の前でその使い分けを見事にされたときには、さすがの私も舌を巻いてしまった。
 おそらく、東京で柔らかくて珍しい名古屋弁を駆使することで、自分の存在をアピールできることを充分計算していたと思われる。さすがに名古屋の商売人である。
 その様子を見ていて、私はとても創業者のように器用に立ち回れない。むしろ方言や訛りを出さず、きれいな標準語で客先と応対しようと思い立った。
 私はそのことが功を奏したのか、札幌出身ではないかと、東京や福岡に出張するとよく客先の人に聞かれたものである。
 付け焼刃の標準語は、あくまでも付け焼刃で、気を付けて標準語を真似しているつもりでも、それは東京人が話す純粋な標準語には程遠いことを意味している。
 それも【自分らしさ】の1つだと思い込むことで、いつしか自分を正当化していた。

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