今もって川端康成の新文章読本の単行本を手に入れないままになっている

 古本屋の店主には変わった人が多いようである。
 10年ほど前、私は女房と一緒に名古屋の大須観音に行った帰りに上前津の交差点の角にある古書店に立ち寄った。
 実は、私は50年ほど前には家庭教師代が入ると月に何度か、大学の帰りにこの古書店に立ち寄って、川端康成、吉行淳之介、大江健三郎、北杜夫氏などの小説を買い求めたことがある。
 残念ながら、その時代に買った単行本の多くは、引越しの際に廃却してしまい、今はわずかしか残っていない。
 店主は替わっているだろうが、店内の雰囲気は50年前と変わっていない。
 古書店の多くは、うなぎの寝床のように入り口が狭くて、真っ直ぐに突き進んだ奥深いところが店番の座る場所になっている。
 これも多くの古書店に共通したことだが、二束三文の値札の付いた古本が、店の入口の引き戸から道路ぎりぎりのところまで展示してある。通路も人ひとりが歩くにも斜に構えながら歩いて行くほど狭くなっている。
 これもまた、多くの古書店に共通していることだが、高額な古本は、店番の人がよく監視でき、客層をチェックできる位置に置いてある。
 私がそのとき立ち寄った上前津の古書店もよく似たようなレイアウトになっていた。

 私は脇目も触れずに店番の人の近くの本棚に行き、どんな本があるのか、調べてみた。私は店番で座っている女性の方に、「文章読本は、この棚に置いてあるだけですか?」と尋ねた。
 すると、昼食を摂っていたのであろう、店主がそそくさと出てきて、不機嫌な顔で「どんな文章読本を探しているんですか。そこの棚にしかありませんよ」と投げやりに言ってきた。
 私が、「文章読本の五大名著の中で、川端康成の新文章読本だけが文庫版なので、あかね書房から昭和25年に発行された単行本を探しているのです」と答えると、店主は「何ですか、その文章読本の五大名著って。誰がそんなこと言っているんですか。それと川端康成の新文章読本の単行本なんか、世の中には一杯出回っていますよ。あなたの探し方が悪いいんじゃないですか」と取り付く島のないほどの言い様である。
 さすがの私もカッと頭に血が上ってしまった。その後の会話をそのまま書いてみる。

 「驚いたなあ、こういう店をやっていて、文章読本の五大名著を知らないのですか。谷崎、川端、三島由紀夫、丸谷才一、中村真一郎が書いた文章読本が有名なので、そう呼ばれているようですね」
 「誰が五大名著なんて、言っているのですか。私も長いことこういう商売をしてきましたけど、そんなことは聞いたことがないよ」
 「紀行作家の岡田喜秋が<私の文章作法>という本の中で、そう書いていますし、五大名著は読書好きには重要な手引書ですよ」
 「いずれにしても、そんな本は世の中に一杯ありますから、よそで探してみてくださいよ」

 これが、私が店を出るまでに店主と交わしたやりとりである。
 私を冷やかしの客だとハナッから思い込んでの対応なのであろうか。川端康成の新文章読本の単行本が店の蔵書リストに載っているかどうかも調べようともしない。
 さすがに、私が五大名著をすらすらと上げてみせ、岡田喜秋氏の<私の文章作法>の中で、その言葉を使って言及していることを告げると、相手も一瞬たじろいだ表情を見せたが、その後の対応は相も変わらず、横柄な物言い、面倒そうな物腰のままであった。
 おそらく、私が言った「驚いたなあ、こういう店をやっていて、文章読本の五大名著を知らないのですか」という言葉が店主には気に入らなかったのかも知れない。
 どう考えても風変わりな古書店主であった。
 古書店主と私のやり取りを聞いていた女房が、これ以上に話は進まないと感じたのか、私の裾を強く引っ張った。仕方なく、古書店をあとにしたが、もう2度と行くことはなかった。
 残念ながら、今もって川端康成の新文章読本の単行本を手に入れないままになっている。

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