「今日で、会うのは止そう!」私はいつしか、彼女にそう告げていた

 私は63歳から5年間、JR大府駅の市営駐車場で週3日ほど働いていた。
 市営駐車場は私の家から徒歩で25分ほどのところにあったので、歩いて通勤していた。
 5年間の就業満期を迎えようとしていたころなので、今から8年ほど前のことだが、駅東口のロータリーを歩いていると、「ISSAさん、わたし、わたし、覚えている?」と声を掛けてきた女性がいた。
 私は運転しているその女性の顔を見て、一瞬戸惑ってしまった。
 その女性は、20年ほど前まで、私が夜遅くまで飲んでいても、まだ元気がよかった頃の飲み友だちだったからである。私より、4歳若かったから、今年で64歳になる筈である。
 相も変わらず若作りの髪型と服装で、見た目には50代後半に見えるが、よく見ると目尻に歳相応の皺が増えている。
 「元気?いま、どうしているの?」と車に乗っているせいであろうか、せわしなく尋ねてくる。
 私は定年になってから、週3日ほど働いていて、今、仕事を終えて家に帰る途中だと答えると、「わたしも元気で、娘たちも嫁に行って、今は隣町で旦那と二人でマンション暮らしをしているの。送ってあげる!」と告げてくる。
 私はもうそれ以上、話を拡げるつもりはなく、「元気で何より」と早々に話を切り上げた。
 相手は私と偶然、会ったことが随分懐かしいという素振りを見せ、しきりに話しかけてくるが、私は一刻も早く、その場を離れたい気持でいっぱいだった。
 私は「じゃあ、元気で」と言いながら、あえて車が進入できない高級マンションの路地裏に足を踏み入れた。

 私とその女性と馴染みのスナックで初めて会ったのは、40代の後半であった。
 私が生命保険の更新手続きをしたとき、保険会社から「前川清ショー」のペアー招待券をもらい、たまたま、その日に飲みに来ていたその女性が前川清の大のファンということだったので、私はそのペアチケットをその女性にプレゼントした。
 だが、ショーの前日になって、一緒に行く予定だった友だちが急にいけなくなったから、私に一緒に行ってくれないかと電話が入った。私は仕事の関係で若干、ショーの開演には遅れるかもしれないという条件付きで、名古屋栄の中日劇場前で待ち合わせをしてから、名古屋市公会堂で行われた「前川清ショー」に一緒に出掛けていった。
 それが、飲み友だちになったきっかけであった。
 ショーが終わってから、再び栄に戻り、会社が接待で使っていたふぐ料理店で食事をした。
 そのとき、彼女から聞いた身の上話によれば、親が決めた男性と22歳のときに結婚したが、5年後に離婚し、30歳のときに会社の社長に見初められて後妻に入ったが、それも5年程で離婚したと語る。「わたし、バツ2」と自嘲気味に言っていた。
 まだ、携帯電話のなかった時代であった。
 一緒にショーを観に行ってから、週に1度はその女性から、私が勤めていた会社に電話が入るようになり、あちこちのスナック、居酒屋、カラオケ喫茶などに一緒に行き、唄を歌い、酒を飲んだ。
 あちこちの店で、噂になったことはあったが、手を握ったこともなかった。
 私にはそうした女性の飲み友だちというのは、人生で始めての経験だったが、私の気持の中では、飽くまでも、楽しく一緒に飲める【飲み友だち】で、家族を裏切るような関係になるつもりは毛頭なかった。

 あるとき、私はその女性から、そっとメモを渡された。そこには、その日の日にちと30日という文字が書かれてあった。
 私はどうしてもその意味が分らず、私は思い切って、その女性に「この数字の意味が分らないよ」と尋ねた。
 一瞬、その女性は呆れた顔付きとなり、まじまじと私の顔を見つめながら、小さな声で、「今日、始まったの。」と囁いてくる。それでも、私は意味が解せない。するとその女性は、少し苛立った様子で、「わたしは、30日周期だから、計算しておいてほしいのよ」ときつい眼差しで説明してくれる。
 鈍感な私もやっと理解ができた。
 女性の特別な日が今日始まり、周期が30日だから、もし、わたしを口説くのなら、ちゃんと安全な日を計算してから口説きなさいという意味だとやっと理解した。
 これって、私に対する告白なのであろうか。そう言えば、いつの間にか、私をファーストネームで呼ぶようになっていた。気が付けば、人前でもタメ口で話し掛けることが多くなっていた。
 私は、血の気が下がっていくのが自分でも分った。
 もうこれ以上、踏み込まない方がいい。私は徐々にその女性と距離を置くようになっていった。
 距離を置くようになってから、しばらく経ったある日、いつも待ち合わせた喫茶店のテレビで、1993年10月28日、後年、ドーハの悲劇と呼ばれるようになったサッカーの試合を二人で観ていた。ロスタイムでイラクのゴールが決まった瞬間、その女性が私に言った。
 「わたし、来年早々、結婚するのよ。でも、あなたとの友だち付き合いは、これからも続けたいけど、了承してくれる?」
 なぜか、無性に腹が立ってきた。と同時に、区切りをつけるには丁度いい機会であるという気にもなっていた。
 「今日で、会うのは止そう!」いつしか、私は彼女にそう告げていた。

 今では消し去りたい気持が強くて、あれから、何年が経ったかも定かではなくなっている。

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