そのシルエットは昔の佇まいのままである

 私がよく絵画鑑賞に行くようになったのは、現役サラリーマン時代、かつて一緒に働いていた女性から突然、絵画展の招待状を貰ったのがきっかけであった。
 封筒の中に絵葉書が入っていた。その絵葉書の絵は彼女の描いた絵で、右下に絵のタイトルと作者である彼女の名が印刷されていた。
 彼女が会社を辞めて5年も経って何故招待状が来たのか、私は少し戸惑いを感じていた。
 彼女は、私の得意先の製品と深い関係の職場で働いていたが、小集団活動で私がその職場の指導員になったことで、ときどき話をするようになったが、一対一で話したことはなかった。唯一、一対一になったのは慰安旅行の観光バスでは隣り合わせに座ったことや観光名所を巡るときも一緒に出かけて行ったぐらいで、絵画展の招待状をもらうほど、深い関係にはなっていなかった。
 慰安旅行での彼女とのわずか1日の行動で、私の直属の上司から独り占めするなとすごまれてしまった。そんなあからさまな上司の態度は彼女を自分のものにしたいという嫉妬心から生まれたものだということを、私はあとから気付かされた。
 会社に帰ってきてからも、上司は何度か彼女に関係を迫っていたらしい。
 2年後、彼女が持っているCAD/CAのスキルを活かすために転職すると告げにきた彼女を、私はむしろ応援するような気持で、会社から送り出した。

 そんな深いとは言えない関係なのに、彼女は私に招待状を送ってきた。
 私は、彼女が油絵を描くことなど思いも寄らなかった。描かれた絵はネパールの寺院で娘たちが祈りを捧げている風景であった。
 絵画展の招待状の絵葉書の絵に選ばれたということは、審査員の高い評価を得た証しなのであろうか。
 絵葉書に書かれた私宛の手書きの文章は、修正インクで何度も消されており、最終的に「ぜひ、展覧会には来てください」と書かれていた。
 私は早速、愛知県半田市にある電力会社の展示ホールに絵の鑑賞に出かけて行った。そのとき全くの偶然であるが、受付当番の彼女とバッタリ出会った。
 絵画展が開かれているフロアに休憩用の丸いテーブルが置かれ、お茶やコーヒーが振舞われていたので、そこで20分ほど世間話をしていた。
 そのとき、自分の絵のモチーフにしたいから岐阜県の根尾谷の「薄墨桜」を見に連れて行ってほしいと頼まれ、私の車で、根尾谷まで一緒に出掛けていった。
 名古屋から根尾谷への道はほとんど一本道に近かった。朝の早い時間の待ち合わせだったので、渋滞に巻き込まれることはなかった。だが、途中からあいにくの雨となり、現地の薄墨公園では一つの傘で雨と寒さをしのいで、淡墨桜の周囲を観て回り、根尾谷の駅前のカフェで遅い昼食を摂った。
 彼女が帰り掛けに「ISSAさんと思い出作りができてよかった」と消えゆくような声で呟いた。それ以来、会うことはなかった。

 それから何年経ったのであろうか。
 私が腸閉塞と大腸ポリープで2週間、国立長寿医療センターに入院したとき。私の入院を誰から聞いたのであろうか、缶ジュースの詰め合わせを持って、私の病室に見舞いに来てくれた。
 それからも私が退院するまでに、2度ほど私の家族のいない合間を縫うように見舞いに来てくれた。
 そして、毎年のように絵画展の招待状が届くようになった。その会場は半田市や名古屋市であったり、刈谷市の美術館であったりした。
 10年前から、絵画展の招待状が届かなくなったが、独り身の彼女に何か事情があったのであろうか。
 ときどき、絵画展で彼女と同じようなタッチの油絵に出会うと、たちまち彼女の薄墨公園でのシルエットが蘇ってくる。
 とうに60半ばになっているはずだが、そのシルエットは昔の佇まいのままである。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント