今は頭の中にしか存在しない影絵のような風景である

 私は満69歳のときに同級生の地域自治区の区長に広報部長になってほしいと頼まれて自治区の広報誌「自治区だより」の編集責任者となった。
 広報部長と言ってもアシスタントはおらず、私1人だったので、各種行事やイベントの取材や写真撮りも、そして叩き台となる記事も書き、編集もすべて自分がやっていた。
 代々、引き継がれてきた「自治区だより」のテンプレートはあったので、Wordで書いた記事と写真を挿入すれば、区長や区長代理、そして自治区内から招集された3人の会員で構成された編集会議の資料を作成していた。
 だが、サラリーマン現役時代は表やグラフの作成は女性課員に任せ、私は文字の入力しかやっていなかった。
 広報誌の資料は当然、それだけでは済まない。
 フォントのサイズや字体の種類、行や列の間隔のバランスなど、誰に相談することもできず、Windows7に対応するWordの解説書を買ってきて、真剣に読んだりした。
 やっと文字の折り返しやテキストボックスも使えるようになり、何とか2年間の広報部長の役目を果たすことができた。

 その後、地域コミュニティ推進協議会の広報副部長を仰せつかり、同じように広報誌の編集に携わってきた。
 自治区のときもコミュニティ推進協議会のときも、広報誌の編集会議は地元の大府公民館に会議室を借りて行っていた。
 その大府公民館は私の家から25分ほどのところにあるが、編集会議のほかに何の予定も入っていないときは、私は徒歩で公民館まで行くことが多かった。
 公民館までの道のりは、私が子供の頃よく遊んだ町並みで、小さな住宅が引き締め合っている。他の地域は開発が進んでいるのに、JR駅前に近いエリアなのに未開拓状態で、今でも多くの空き家が点在している。
 今になっても裏道や路地が昔のまま残っており、私は迷路のような道を戸惑うことなく通り抜け、公民館に到着することができる。
 また公民館への道筋には、今も古い町並みが残っている。
 寿司屋、花屋、薬屋、大衆食堂、洋品店や駄菓子屋など、家屋はそのまま残っているが、店はすべて閉まっている。
 活気のあった時代を知っている私には、言葉は悪いが、その光景はゴーストタウンのように見えてくる。
 私の小学生の頃、養母の甥が訪ねてくると必ず、私をこの近辺の食堂に連れて来てくれ、カレーライスや長崎チャンポンを食べさせてくれた。また父親の兄である伯父さんが長野県から出てきて、私の家に泊まっていく夜には、必ずと言っていいほど、私を連れ出し、すし店のにぎり寿司を食べさせてくれた。
 昭和29年にプロ野球の中日ドラゴンズが天知監督のもとでリーグ優勝し、西鉄ライオンズと日本シリーズを戦い、4勝3敗で日本一になったときには、現在の公民館前にある集会所で、近所の大人たちと一緒にテレビ観戦をして、狂喜乱舞したものである。
 今は公民館となっているが、私の中学生時代、そこは映画館で小遣いを貯めてはチャンバラ映画を観に行っていた。その帰り、映画館の裏にあった食堂で、なけなしの小遣いをはたいて、焼きそばやお好み焼きを食べていた。
 なぜだろうか、そのときに食べたメニューはどれも美味しかった。
 細い路地も裏道も、家屋の半分近くも中学時代と変わりなくあるが、あの頃、狭い路地裏でビー玉やメンコをやっていた子供たちの姿は、当然ながら、今は見ることはできない。
 今は頭の中にしか存在しない影絵のような風景である。それは【まぼろし】だと言っても、あながち、間違いではないように思える。

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