久しぶりに刈谷市の古本屋を訪れてみたは、店は閉められていた

 最近、女房に本の整理をしてくれとやかましく言われている。
 残しておくべき本と、もう廃却していい本を分別してほしいと言うのである。
 私は物心付いてから、この60年の間に、自分で買った本をなかなか手放すことができないでいる。自分が生きてきた証しだとの思いが強いからであある。
 本の整理をし出すと、時流に乗せられ衝動的に買った本や荒唐無稽な本も随分あることに気付き、暇を見つけては、ここのところ、片付けようとしている。
 だが、作家別に本を整理することはできても、なかなか廃却する気になれない。
 私の本棚は奥と手前、2列に並べられており、その上の隙間にも本がぎっしり置かれている。本を詰め込むための苦肉の策だが、この整理の仕方だと、急に読み返したくなる本が出現してもなかなか見つけることができない。
 先だっても2018年に翻訳部門で「全米図書賞」を受賞した『献灯使』を再読しようと心当たりのところを捜したが、まったく見つからなかった。
 今日も本棚を整理していると、大江健三郎の本が15冊ほど出てきた。
 その中に1960年から1962年に「新潮」に連載された『遅れてきた青年』の単行本も出てきた。
 私はこの本を買った頃、大学を中退し、サラリーマンになっていた。だが、私はこの本をどうしても手に入れたくて、方々の古本屋を歩き回り、やっと愛知県刈谷市の「西村書房」という古本屋で見つけ、2,000円で手に入れた。
 私の記憶では、この「西村書房」というのは、よそでは手に入らないような文学書を多く集めており、私はたびたび絶版になっている本を捜しに行っていた。
 そんな私はあるとき、店主に声を掛けられた。自分たちが作っている同人誌の同人にならないかと誘われたのである。
 ほかの人が余り興味を示さない文学書を探している私に店主は興味を持ち、いかにも小説でも書いていそうな人間だと思ったのかも知れない。3人の同人の名前を告げられたが、私は1人も知らなかった。
 大学入学と同時に文芸部を立ち上げたこともあり、多少書きためていた作品もあったが、未熟過ぎて、人様に読んでもらうような作品ではないと思っていた。
 店主の熱い誘いに心動かされたが、以前、自分の書いたものを人目に晒すだけの勇気がなく、言葉を濁したまま、気恥ずかしさのためにその古本屋に行くことを避けてしまった。
 今日、改めて「西村書房」で購入した大江健三郎氏の『遅れてきた青年』を開いてみると、本の中から一通の葉書が出てきた。
 まだ若かったノーベル作家大江健三郎が、西村書房の店主が所属する『ざんさん会』に宛てた葉書である。住所と大江健三郎という名前が朱のゴム印で押されており、日付は昭和43年2月23日となっている。
 葉書の内容は、西村書房の古書目録を送ってほしいということと渡辺一夫著作の本4冊購入したい旨を記した内容であった。
 そして、この『遅れてきた青年』の表紙の裏には、「1966年夏 大江健三郎」と毛筆で書かれた大江健三郎自筆のサインがある。
 私は、「西村書房」の店主が何故、この本を手放したのか、その真意を計りかねている。私がこの本を手に入れたのは確か、1968年であった。そのときには、まさか、大江健三郎が、後にノーベル賞作家になるとは思わなかったということなのであろうか。真相は分からずじまいである。
 それとも一風変わった本ばかりを捜しに来ている私が、いつになく真剣に購入したいと申し出た気持を察して、譲ってくれたのかも知れない。
 だが、同じ本棚にあった庄野潤三氏の「静物」は、私がどんなに頼んでも、店主は売ってくれなかった。いずれにしても、風変わりな店主であったことだけは間違いない。
 30代の後半、久しぶりに刈谷市の「西村書房」に訪れてみたは、すでに店は閉められていた。

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