私はしばらく涙が止まらなかった

 今日、私が乗っている大衆車が車検となり、刈谷市の整備会社に車を持ち込んだ。
 新車で購入してから、丸7年になるので整備する個所が多くて、整備担当者によれば、車検代が25万円もかかるということである。
 25万円のうち、重量税、自賠責保険、印紙代、車検代行料の合計金額100,504円は現金で支払ってほしいとのことで、現金を引き出しにJR大府駅前の銀行に出かけていった。
 私の家から、表の本通りに出れば、駅まで一本道で1.8Kmの距離である。徒歩で25分ほどかかる。
 私はある男を思い出していた。
 私は大学に入学した年の4月から3年間、男の子2人、女の子1人を私の家に集めて、家庭教師をしていた。不思議なことに、3人の家は、全てこの本通り沿いにあった。
 その中の1人は高校卒業後、父親の仕事を手伝い、40歳の頃に父親から譲り受けて、市から認定を受けた水道関係の工業所の社長に就いた。
 私は会社をRetireしてから、足かけ2年にわたり、名古屋にある外国語学校でビジネス英語を学んでいたが、そのころ、私がJR大府駅に向かって歩いている頃は、彼が工事先から帰ってくる時間らしく、いつもトラックを運転していて、会社の事務所下の車庫に入れようとしていることが多かった。
 目が合うと必ず、運転席から両手を振って、私に合図を送ってくる。中学1年生のイガグリ坊主時代の彼とそのときの彼の態度は、少しも変わっていない。
 変わったのは私の方で、行き交う通りの人に気を使い、軽く片手を上げて、ささやかな合図を送り返すだけだった。
 私は35歳のとき、借金をして家を建てたが、そのとき、浄化槽や水道の配管工事は、彼の両親が費用の半額でやってくれた。都市ガスから天然ガスの切り替え工事のときも、彼は体が空いている土曜日と日曜日に、自らショベルカーを持って来てくれ、私の知らない間に工事を完了させてくれた。
 費用も未だに未払いのままになっている。
 女房が彼の会社の事務所に行って、支払いを済まそうとすると、女性の事務員が「そんな工事は請け負っていません」と言われたそうである。すべて彼の手弁当だったのだ。
 その頃の私は仕事が忙しく、土曜日も日曜日もなく働いて、その工事中に彼と会うことがなかった。
 会うこともなく、お礼も言わない亭主を見かねたのか、女房が彼に「主のくせに、挨拶もせず、ほったらかしたままで、申しわけありません」と言うと、彼は女房に「気心は通じ合っていますから」と言ったそうである。
 3年間、週に4日、4時間だけの付き合いだったが、どう見ても、人間として彼の方が大人だったような気がする。
 彼は中学卒業後、私と同じ刈谷市にある普通高校に入学したが、彼の高校1年生のときの担任が、私が高校3年生のときの担任と一緒で、教えられた教科は共に英語であった。あるとき、刈谷市駅の待合室でその担任の先生と出会い、私の教え子である彼のことを聞いてみた。担任の先生は、彼のことをよく覚えていて、中間試験も期末試験も学年で50位以内に入っていたとのことである。
 私が家庭教師をしていた子だと言うと、「君が英語を教えていた子か。英語の成績だけはずば抜けているが、国語や数学では余り目立たない生徒だったな。どうしてか、今日、その理由が納得できたよ。君が教えていたからだな」と笑いながら語っていた。
 私は国語も数学も得手ではない。それは担任だった先生が一番よく知っている。それは自分の家庭教師の能力不足を知らされた一瞬でもあった。
 そう言えば、彼の家庭教師をしていたのは、私が18歳から21歳、彼が13歳から15歳、共に青春時代であった。
 日曜日にはあちこちにサイクリングに行ったし、魚釣りにも行った。近くの保育園の広場で左利きの彼とキャッチボールを何度もやった。
 だが、彼は5年前に心筋梗塞で亡くなった。彼は私より6歳年下だった。まだ60代であった。
 そのことをもう1人の教え子から聞かされて、私はしばらく涙が止まらなかった。

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