その後、女将さんの浮いた話は一度も聞くことはなかった

 私は30歳から45歳ぐらいまで、隣の市の刈谷市の土日市場の居酒屋に飲みに行っていた。
 今は規模が縮小されているようだが、当時の土日市場は、月の土日曜日に肉、野菜、魚などの市が立ち、近隣の市町村から、かなりの人が集まり、市場として盛況を呈し、どの週も人出で賑わっていた。
 市場の敷地の片隅にプレハブで建てられた居酒屋が6軒並んでいて、ほとんどの店が休日なしで店を開けていた。
 私は週末になると必ずと言っていいほど、JR刈谷駅近くの桜町にある居酒屋に出掛けて行き、その店の帰りには、その6軒のうちの一軒に顔を出していた。
 桜町の居酒屋も土日市場の店も女将さんで、馴染みの客が多かった。
 私の住んでいる大府市は尾張で、刈谷市は三河である。尾張と三河と聞くと遠く離れているように聞こえるが、私の家と土日市場はそんなに離れてはいない。尾張と三河の境に文字通り、境川と呼ばれている川が流れているが、私の家は大府市の境川沿いにあり、土日市場は刈谷市の境川沿いにあるので、金がなくなり歩いて帰っても、1時間ほどで家に着くことができる。
 タクシーで帰っても700円前後であるが、ポケットに千円札がなくなれば、歩いて帰ればいい。そんな気安さから、その女将さんの店には、会社の営業部門を任され、接待の主戦場が名古屋に移るまで15年間、毎週通っていた。
 土日市場の女将さんは、私より5歳ほど年上であったが、子供が成人してから離別して店を開いたので、私が最初に行った頃は、素人同然の危うい店の切り盛りでずいぶん馴染みの客に手助けしてもらっているが多かった。
 2、3年後だったろうか。馴染みの客から、どうも女将さんに新しい恋人ができたという噂を聞いた。
 相手は刈谷市に本社がある海外も含めて従業員55,000人という大手自動車部品メーカーに勤める課長さんで、私も2,3度、店で会ったことがあるはずだということだった。
 私はその男性の察しが付いた。少々小太りで酒が強く、私より三つか四つ年下のいかにも管理職のサラリーマンという風貌の人であった。
 女将さんは、外見上はいわゆる男好きのするタイプで、普段から女将さんを目当てにやってくるお客は多かった。だが、そんな噂がたった後も客は減ることはなかった。それは値段の安さと桜町のバーやクラブがハネてから、お客を連れてくるホステスたちで、依然として、店は賑わっていた。

 私は子供たちが中学生になった頃、盆休みに一週間、家族連れで北海道旅行に行ったことがある。
 函館、洞爺湖、小樽、札幌、定山渓と泊まったが、小樽に泊まったとき、オプションで余市にあるニッカの工場を見学したことがあった。
 ホテルにやってきた工場見学オプションのバスに家族で乗り込んでいくと、何処か見覚えのある男性が後部座席にいるのが視界に入った。
 誰なのか、私はしばらく考えていたが、髪を手で掻き揚げる仕種で、土日市場の女将さんの新しい恋人と噂された大手自動車部品メーカー課長だと気づいた。私は男の一人旅かと思い、声も掛けずにいたが、そのあとはすっかりその課長のことを忘れていた。
 30分ほど経って、何気なくバスの後ろに目を遣ると。その男性の隣の席に誰か女性が座っている。その洋装の女性を見て、私はしばらく茫然として、目を離すことができなかった。その女性は土日市場の店の女将さんであった。
 ニッカの工場に着いてからも、私は知らぬ素振りを決め込んでいたが、工場見学が終わり、自由時間も過ぎ、バスの出発時間がきても、とうとう二人は姿を現れなかった。
 バスガイドに聞くと二人は別ルートで帰って行ったそうである。バツがわるかったようである。

 お盆休みが終わってしばらくしてから、土日市場の店に行って、私は女将さんに、「意外なところで会いましたね」と皮肉交じりに告げると、女将さんは、「帰ってきてからが大変だったのよ」とその後の経緯を聞かしてくれた。
 北海道旅行から帰って二日後、店に課長さんの奥さんが怒鳴り込んできて、店は修羅場と化したそうである。
 時間が早かったので、それほどお客さんに迷惑はかけなかったようだが、そうした噂がすぐ広がってしまい、商売にも差し障るので、もう課長さんとは遭わないと決めたとのことである。意外にも女将さんはさっぱりした表情であった。
 そんなことがあってからも、私は営業を任されるまでの10年間、土日市場に通ったが、その後は一度も女将さんの浮いた話は聞くことはなかった。

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