私にもっと人を動かす説得力が備わっていたなら、成り行きはもう少し違っていたのかも知れない

 33年間、働いた会社にある日突然、親会社の三菱自動車の購買部長だった人が、副社長として出向してくることとなった。
 肩書きは副社長でも、最高業務責任者(COO)として乗り込んでくるのである。
 プロパーの幹部たちは色めきたった。どのような業務執行をするのか、皆目検討も付かず、幹部たちは自分のミスが会議の俎上にのらないよう汲々としていた。
 何事もなく1年が過ぎ、2年目に入ると副社長は徐々に自分が思いついた改革の実行に乗り出してきた。まず、自分の意に沿わない幹部は3ヶ月タームで配置転換したり、降格したり、現状の部や課を統廃合していった。その時点で幹部たちはCOOとしての副社長の顔色を伺うことが多くなり、なかなか反対意見を上申できない環境が作り上げられてしまった。
 それでも、私は営業部の部長代理(次長と同格)として色々な会議に出席し、自分が20年かけて築き上げてきた信念に基づいて意見具申をしてきていた。
 他の幹部たちの報告はいつの間にか、自分の部署のマイナス情報は秘匿され、会議の俎上に上がらなくなってしまった。
 私の担当する三菱重工の売上は、その当時、会社全体の30%を占めていたが、バブルの崩壊とともに、5年で20%までに落ち込んでいた。
 その後、私がどんなにあがいても自分が計画した売上が年度目標に達せず、年度末の会議で吊るし上げを食うこととなった。
 私にしても、なぜ売上が目標どおり上がらなかったかを報告するのは辛いものであった。
 三菱自動車の営業担当が報告する売上はどうかというと、きっちり8%UPの売上高を上げていた。
 市場がデフレスパイラルに入り込んだ時期でもあり、私は三菱自動車の売上がいとも簡単に上がるのが不思議でならなかった。
 同業他社も売上が減り、今までであれば、決して手を出さなかった製品にも信じられない価格で仕事を取りに行くという行儀の悪さが横行するようになった。自社の三菱自動車の営業担当も同じ事をしているのではないかという疑念が私の頭から離れず、再三、部品の製造原価を把握するプロジェクトチームを発足し、原価管理をするよう提案したが、副社長から、即座に却下された。
 私が営業担当する部品は、材料費、社内加工費、外注費を計算し、材料管理費5%、社内加工費に15%の管理費、外注費には管理費20%を掛けて標準原価をはじき出し、利益率3%を目標に客先と単価交渉し、折り合わないものは全て受注辞退をしてきていた。
 だからこそ、バブル崩壊後はそう簡単には売上を伸ばすことができなかった。
 半期毎に、私は担当する三菱重工の総売上高を出し、標準原価から名目上の利益を計算し、上司に報告していた。
 さらに、私は社内加工の製品は毎月、作業日報から時間当たりの加工数量を把握し、社内フルレートを掛けて、製造原価を把握していた。少なくても私の担当する三菱重工の部品で赤字を出すことはなかった。
 私のそうした極秘ともいうべき資料は直属の上司である部長のところで留まっており、副社長に報告されることはなかった。
 三菱自動車の製品は製造原価の計算をしている様子はなく、このままでは何が儲かり、何が損しているかが把握できない。私は最小限、製造原価の把握はやるべきだと、性懲りもなく営業会議で主張したが、売上偏重主義を脱する様子もなく、私の主張する施策が講じられることはなかった。
 私はそれともう一つ、製造のNow Howや固有技術をもう一度OJTに戻し、しっかりと次の世代に伝承させるべきだと提案した。そうした固有技術を活かした製品の受注に特化すべきときではないかとも提案した。
 だが、副社長から「OJTに要する時間が勿体無く、その分、作業に従事させた方が効率的で、そうした技術はOff JTでやるべきであり、製品特化への方針も時期尚早である」と一蹴されてしまった。
 相変わらず、三菱自動車の営業担当の定例会議での営業報告は、売上の上がったことだけを報告し、製造部の部長も合理化の計られた見栄えのいい事例だけを、副社長に報告していた。マイナス情報は決して会議の議題に載ることはなかった。
 私は売上を上げるだけなら、さして難しくはないが、問題は中味で、儲からない製品は受注すべきでないと私は主張していた。だが、売上偏重主義の中では、いつも私の意見は少数意見であった。

 5年後の或る日、経理担当重役が急に行方不明となった。
 内部留保金として経理担当重役が管理していた15億円もの金が、この5年間で会社の赤字補填として使われ、最終的に銀行からの借入金の返済が滞る事態となり、経理担当重役は行き詰まって蒸発してしまったのだ。
 私は本社の社長室からの呼び出しを受け、行ってみると、幹部重役たちが右往左往していた。急に何事が起きたかと私は戸惑っていた。
 社長は、私の担当する三菱重工の製品の原価計算は今も継続的にやっているかどうかを私に尋ね、「全ての製品の原価は掴んでいます」と答えるとほっと溜息をつき、お前のとこだけでも原価を掴んでいてくれて助かったと言い、おもむろに会社の現状を説明してくれた。
 私のこれまでの懸念が現実となって、迫ってきたのである。
 5年間、法人税として支払った税金の還付、政府系金融機関からの借り入れ、親会社からの資金提供など考えられるあらゆる手を打ち、どうにか困窮事態を乗り切ったけれど、その時点から、営業担当で管理者である私の給料は半額となり、退職金の60%カットとなってしまった。私のサラリーマン時代の結末は惨憺たるものであった。
 だが、結末はどうであっても、必死で営業担当をしていた28年間は満更でもない日々であった。
 会社の非常事態を引き起こした幹部たちは副社長を始め、この1、2年の間で退職しており、責任はうやむやのうちに処理されていた。
 私が今つくづく思うのは、部下を育て、会社の活性化を計るためには、勇気を持ってマイナス情報を公開し、打開策の優先順序を決め、社全体のベクトルを合わせ、着実に施策を実行していくことが大切だったということである。
 部下を統率するのに管理強化をし、必要以上に締め付けるのは、負の情報が闇に葬られ、うわべだけを繕い、組織の低下につながっていく。最終的には会社の繁栄を妨げることになる。
 あのとき、私にもっと人を動かす説得力が備わっていたなら、成り行きはもう少し違っていたのではないか、退職した今でも口惜しさが込み上げてくる。

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この記事へのコメント

monban
2020年10月27日 13:52
issa様。昨日と今日2日間の内容は、人生で一般の会社勤めの経験がない私にとって本当には分からない世界の話だということを差し引いても、大変読み応えがあり胸を打つものでした。若い営業マンの方たちの目に触れる場所に出て欲しいくらいです。そしてビジネスとか営業の話だけに留まらない深さを感じる内容でした。
issa
2020年10月27日 17:25
monbanさん、最初に勤めた自動車部品製造会社で5年、転職した会社もまた自動車部品製造会社でした。Retir後の2年間を含め、2つの会社で38年間、勤務しました。私には同じ自動車部品加工の会社だったことが幸いしました。
最近、年齢のせいでしょうか、その38年間のサラリーマン時代のことを思い返すことが多くなり、思い付いたまま、このブログに記事を書いて、人知れず自己満足に浸っています。