納屋橋は今でも名古屋らしい景色、情緒、雰囲気を持った街である

 6月27日付の中日新聞に次のような記事が載っていた。
 <NHK連続テレビ小説「エール」の主人公、古関裕而。愛知県刈谷市で「刈谷小唄」の作曲も手掛けた。
 その刈谷小唄のテスト盤とみられるレコードが、刈谷市内の個人宅で見つかった。昭和20年代の古いレコードからは、当時の音がはっきりと聞こえた。>
 その作詞は詩人のサトウハチローさんだということである。
 今日、ネットで「刈谷小唄の動画」と入力して、検索してみると、すでに1日前にこの刈谷小唄のテスト盤の音声がレコードプレイヤーから聞こえてくる動画がUPされていた。
 何ともいいテンポの盆踊り歌である。刈谷市民としては有名な作曲家と作詞家がタッグを組んで完成させたのが、刈谷小唄だと知ると、嬉しい気持になるのではなかろうか。

 私の若い頃から、愛知県の地名の入った歌はもとより、「名古屋の歌はヒットしない」というジンクスがあった。
 余り知られていないが、昭和の大作曲家古賀政男氏の作品で「納屋橋ブルース」という曲がある。
 さらに愛知県出身の夫婦デュオで知られるチェリッシュの「セピア色・納屋橋」という歌があり、平成に入ってからも辰巳彰さんの「納屋橋ワルツ」などの曲が生まれている。
 また野村直樹さんの「名古屋ブルース」という歌がある。
 残念ながら、歌詞には納屋橋という名前はなく、その代わり柳橋が出てくる。
 明らかに地元の人には納屋橋の方が馴染み深く、活気のある地域なのに柳橋という歌詞になったのは、3文字でも4文字でもなく、5文字の方が作り勝手がよかったからだと思われる。
 ほかにも名古屋の繁華街として知られている今池も4文字のために5文字の東新町に置き換えられている。
 なお、石原裕次郎さんの「白い街」は名古屋を歌った曲の中で最もヒットしたが、上述の歌とは、いかにも曲想が異なっている。
 YouTubeの「名古屋ブルース」と「白い街」は今でもお気に入りに保存してあり、懐かしさに駆られると、ときどき聴いたりしている。

 私にとって、納屋橋は思い出の多い場所である。
 そう言えば、私は2007年にこのブログに次のように書いている。
 <名古屋駅を南に向けて歩くと、笹島の交差点に出る。その交差点を東方面に曲がる。その広小路通りを栄方面に向かって、5分ほど歩くと今度は柳橋の交差点に出る。その交差点の上を名古屋高速の高架が見える。
 55年前は、柳橋はただ広いだけの交差点で、当然、その時代には名古屋高速の高架もなく、人もまばらであり、午後5時を過ぎるとその通りは癒しを求めるサラリーマン目当ての屋台がひしめき合っていた。サラリーマンのなりたての頃、終電の時間を計りながら、名古屋駅に最も近い屋台に立ち寄ったこともある。
 その高架の下を抜けると、納屋橋に出る。55年前には、納屋橋を渡る前の河岸沿いにストリップ劇場があり、夏の暑い時期には、まだクーラーのない時代で涼を求めるために劇場の中川運河側のカーテンが開けられていた。納屋橋の上に立つとそのカーテンの隙間から、舞台の上のストリップショーが垣間見えていた。
 今はその劇場も創作料理のレストランに変わっている。また中川運河に沿って、遊歩道も造られている。
 納屋橋を渡り終えると、右側には映画館が数件立ち並んでいた。そして、私たちは、その映画館のうちの名宝スカラ座で、ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」とか「太陽がいっぱい」など、フランス映画の傑作を見たものである。
 今はもう、その名宝スカラ座もない。そのあとには、ヒルトンホテルが建っている。>
 納屋橋は今でも名古屋らしい景色、情緒、雰囲気を持った街である。

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