営業担当がもっとも面白かった時代も、バブル崩壊とともに終結してしまった

 私は28年間にわたり、三菱重工の営業担当をやってきた。
 新規製品の見積照会をもらうと、即刻、技術部に図面を渡して工法検討をしてもらうのが通例である。
 具体的には材料の歩留まりや塑性、溶接、塗装、組立など、各工程の工数を出してもらい、私独自で作ったマシンレートとマンレートを基準に製造原価を算出し、それに管理費を掛ける。そうしてはじき出した標準原価をもとに売価を設定したのち、三菱重工の様式に従って見積書を作成し、提出していた。
 他社との競合見積の結果、運よく新規製品を受注すると、私は材料メーカとの交渉でキロ単価が決まるとまず材料費を計算して、技術部から提出された工数をもとにマシンレートとマンレートからはじき出した標準レートをもとにして、製造原価を算出する。
 その製造原価が一目で分かるように、自らの形式で標準原簿を作成する。
 私が営業担当以前の受注品も約2年間かけて、同じ基準で標準原簿を作成した。この標準原簿は損益分岐点を確認するための私の切り札であり、誰にも見せることはなかった。
 これが三菱重工との半期ごとの単価改訂(値引き)の拠り所となった。
 単価改訂時に新規受注で黒字幅の大きい単価の値引きの一部を従来の赤字の製品単価に上乗せすることで、赤字部品の解消をしようと試みた。すべての製品単価を黒字に転換するのに4年間もかかってしまった。
 つまり、赤字の製品をゼロにすることは、売上が増えれば利益もそれにつれて増えることを意味している。

 そう言えば、赤字の製品がゼロになったころ、年間の売上高が5億を超える予測の新規受注品の見積書の認可をもらいに社長室に行ったことがある。
 どうも私の直属の上司である常務取締役から、その情報を聞いたからのようである。
 おそらく、常務はこれほど大きな商談を私に一切合切、任せたことを報告したものと思われる。
 社長はどういう根拠で見積書を作成したかを念入りに尋ねてきた。
 私は材料費には5%、社内加工費にはフルレートチャージ、外注費には15%を掛けて標準原価をはじき出し、その合計額に利益率5%を見込んで、見積書を作成したと説明する。
 社長から、もっと上乗せした見積書を作れと命令された。
 競合相手が安かったら、そのときに応じて見積書をもう一度、提出し直せばいいと詰め寄ってくる。
 私はそんな見積書は作れないと、三菱重工の営業担当を外されるのを覚悟で断った。
 一度社印を押し、客先に提出したものは簡単に引き下げて、再提出できない。
 見積書の価格で譲れるのは利益率の5%を下げるか、社内加工から外注加工に変更して下げるか、明らかにVA VE提案の採用の見込みがあって下げるかという場合のみで、安易に見積書は訂正すべきでない。
 それでも合意できないときは、ご縁がなかったものとして、潔く引き下がるのが営業担当として守らなければならないルールだと常日頃から、私は思っていた。
 私の頑固さに手こずったのか、今回はお前の見積通り提出しても構わないとの認可をもらった。ただ利益率3%だけはキープするようにと念を押され、客先に見積書を提出した。
 5日後、私の見積通りの単価で新規部品を受注することが出来た。再び、社長室に赴き、その旨を報告した。
 そこで私は自分の頭の中にあるコストダウン案を詳細に説明をし、完全実施できれば、利益率10%は確保も可能だと追加報告した。
 何故、最初にコストダウン案を説明しなかったかを詰問されたが、私がコストダウン案を説明しなかったのは、半年後の値引きの原資を確保しておきたかったからである。

 それ以来、見積書は自分の判断で提出しても構わないと社長からお墨付きをもらった。営業担当がもっとも面白かった時代のことである。
 だが、バブル崩壊後は、そのお墨付きは反故にされた。

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