あれから14年、2社の社長はとうに50歳を超えている

 2月4日の中日新聞の夕刊コラム「夕歩道」に次のような文章が載っていた。
 <二十四節気は季節を先取りしすぎるようで、立春の日のコラムといえば「春は名のみの…」の「早春賦」を引いたりするのがお約束としたもの。今年は、むしろ「冬は名のみの…」だったようで。
   (中略)
 では、暦通り、このまま春が来るのかといえば、さにあらず。遅ればせながら今週後半、冬将軍がやってくると聞く。人間社会ほどではないにせよ、季節もあれこれ辻褄(つじつま)合わせをしているらしい。>
 遅ればせながら、私が住んでいる大府市にもとうとう冬がやってきそうである。
 私は公園のバーベキュー場でアルバイトをしているが、1月31日から4連続勤務であった。その間、確かに「冬は名のみの…」の温かさで、私が生来、汗っかきのせいもあるが、公園の巡回や清掃で動き続けると汗が滲み出してくるほどだった。
 今日の昼間は最高気温が11℃となっていたので、私はこの1週間と同じ仕事着で出かけていった。
 だが、風が強いこともあって、体感温度は8℃ほどであった。
 大府市の明日の最高気温を調べると5℃となっている。
 なるほど、遅ればせながら今週後半、冬将軍がやってきそうである。

 今日仕事を終えてから、改めて今年の元旦に届いた年賀状とドキュメントに保存してある12年前からの住所録と突き合わせをしていた。
 友人知人を含めて、5人が亡くなっていた。その人たちのことを思い出しながら、住所録から、その名を消去していった。
 さすがに10年も経つとサラリーマン時代に縁の深かった会社名の年賀状はすべて途絶えてしまったが、その会社の社長からの年賀状は今年も届いている。
 私が55歳の頃にバブルがはじけ、協力会社にも影響が出だして、経営が苦しくなりつつあった。私の担当する得意先の部品を優先的に生産してもらっていた3社も売上が減少して、経営状態が厳しくなっていた。
 当時、私の勤めていた会社は60歳定年制を敷いていたが、その3社の売上を上げ、通常の経営に戻すために、私は定年後も契約社員として会社にとどまる決心をした。
 自分なりに、厚生年金が満額支給される満62歳を区切りにすることを目指していた。
 私は営業担当を専務が抜擢した営業部長に譲り、私が主として担当した得意先に専従させてもらい、3社の機械設備に適した製品を受注すべく、これまで以上の熱意を秘めて奔走した。
 ときとして自分の会社に不釣り合いな金属加工の製品に関しては、親しかった商社の担当者に頼み込んで、その商社経由で、その3社に発注してもらっていた。
 私の要望を受け入れてくれたのは、その商社にとっても3社は取引する価値があると判断されたようである。
 得意先での28年間の付き合いが功を奏してか、徐々に3社の売上が伸びていった。
 そして、私が62歳を迎える年度には3社の経営はともに黒字に転じた。
 私は心置きなく、満62歳を迎えた年に会社をRetireした。
 10年も経つと3社のうちの1社は社長が代替わりをしてしまい、年賀状も途絶えてしまった。
 だが、あとの2社からは未だに年賀状が届き、14年経った今でも中元や歳暮が送られてくる。
 その2社はまた、ナゴヤドームの「サファイヤシート」のシーズンチケットを接待用に購入していたが、対戦相手が人気のないチームのときには、チケットが余るようで「行きませんか」とメールが送られてきた。私が行くよと返事をすると、その都度、封筒で送られてきていた。
 だが、それも私が会社をRetireして2年後には、余りにも甘えていると感じたので、心遣いはありがたいが、ナゴヤドームのチケットは送らないようにと懇願した。
 中元や歳暮、年賀状も送られてくるのであるから、会社は存続しているはずなのに、私は未だに思い付くと、2社がある春日井市と東海市に出かけていくことがある。
 あれから14年、2社の社長はとうに50歳を超えている。

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