それにしても、私は【コード】の意味を把握できていない

 私は本を読むとき、気になる個所に付箋を貼ることにしている。
 今日も読み終えた根本昌夫氏の『[実践]小説教室』を本棚に片づけようと思い、ひょいと手に取ると15枚ほどの付箋が貼ってあるのが目に入ってきた。
 自分では読み終えたあとに、再び読み返そうという気持から付箋を貼ったものだが、最近は一度も読み返したことがない。今日はその15枚の付箋の個所を読んでみた。
 その半分は、私には意味が曖昧な言葉に貼られている。
 【糖衣】:薬を飲みやすくするために薬の回りを覆う甘い膜のこと。【アプリオリな小説】:超越的小説。【フェティッシュ】:呪物。【メタファー】:暗喩、隠喩、言い換え。【コード】:符号、役割。
 ただ、この単行本の中に多く登場する【コード】を「符号、役割」と解釈したが、私には最も理解しがたい言葉であった。
 例えば、綿矢りささんの『蹴りたい背中』の登場人物について、根本氏は「消費社会のコードの中で、大人として生き始めた絹代と、実質にしがみつき、コードに背いて生きようとする初美」と語っている。
 はたして、「コード」を「符号、役割」と置き換えてもいいのだろうか。上述の文章の「コード」は別の意味がありそうに思えてくる。
 「コード」という言葉は、小説家を目指す人たちには、あえて解説がなくても、共通の認識で捉えられる必須の言葉なのであろうか。
 私はまだまだ強不足のようである。

 その15枚の付箋が最後に貼ってある箇所は次のような文章が書かれてある。
 【みんながみんな、プロの小説家になれるわけではありません。厳しい現実をいえば、プロの小説家になれる人はほんの一握りですし、まして小説だけで一生暮らしていける人など、かぞえるほどしかいません。
 でも、小説を書きたい人の全員がプロになる必要がないのです。大事なのは、自分で手を動かし、心を自由に羽ばたかせて、小説を書いてみること。すると書けば書くほど面白くなってきますし、読むときも、より深く小説を味わえるようになります。
 それだけではありません。ものの見方、考え方に深みが出てきて、生きていること自体が楽しくなってくるのです。】
 まったくその通りだと共鳴できる。
 私は雑誌「文芸」に載った『Mの世界』を読んでから、三田誠広氏の作品が好きになった。
 その三田氏が1988年から、早稲田大学文学部で「小説創作」の演習担当した講座をまとめた「天気の好い日は小説を書こうW大学文芸科創作教室」「深くておいしい小説の書き方W大学文芸科創作教室」『書く前に読もう超明解文学史 W大学文芸科創作教室』を読んで、このブログにも読後感を書いた。だが、今はその内容はすっかり忘れてしまっている。
 その後も三田氏の『プロを目指す文章術 大人のための小説教室』や『こころに効く小説の書き方』という単行本を購入したが、未読のままになっている。
 若い頃には心のどこかで、小説まがいの作品を書いてやろうという大それた気持があり、何冊か、こうしたハウツー本を読んだのかもしれない。
 だが、2006年にこのブログを立ち上げ、多くの文字を費やして、小説まがいの作品を書いたこともあった。だが、自分にはだらだらとした意味のない文章を綴ることはできても、人を惹きつけるような文章を構築する能力はないことを思い知らされた。
 それでも「継続は力なり」と言われるように、ブログの文章を13年以上も綴ってくると【心を自由に羽ばたかせ】、徒然なるままに文章を書けば書くほど、最近ではそれが面白くなってきた。
 それにしても、私は【コード】の意味をまだ把握できていない。

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