高校2年生のとき、私は紛れもなく彼女に恋心を抱いていた

 私は昨日、高校2年生のときに生徒会主催で開かれた写真展で、第2位になった私の作品をバーベキュー班の女性メンバーが見たいというので、その作品をあちこち捜しまくった。
 私はサラリーマンになり、社長からの指名で営業担当を任されたとき、過去にこだわるのは止めようと思い、古いアルバムはどこかにしまい込んでしまった。はたして、どこにしまったのか、どうしても思い出せない。
 当然、女房はそんな古いアルバムの在処など知る由もない。
 高校時代の参考書や同人誌などが放り込まれた本箱の中に、その古いアルバムを見っけた。
 そこには、高校2年の修学旅行のときの写真が40枚ほど貼ってあった。
 吃驚したのは、ある同級生の女子生徒が写った写真が5枚も貼ってあったことだ。

DSCN3497 (2).JPG その女子生徒とは高校の3年間、いつも同じ東海道線の上り電車に乗って通学していた。
 私たちが通っていた高校は刈谷市にあった。
 彼女は東海道線の大高駅から乗車し、私は大府駅から乗り込む。刈谷市の高校へは大高駅から同級生が2人、大府駅からは私を含めて3人が通っていた。女生徒は彼女1人であった。
 彼女は優しい目をした物静かな子で、はにかみ屋でもあった。朝の挨拶は互いに目と目を合わす程度で、一度も口を利いたことはなかった。
 高校1年のときは選択科目の違いで、彼女とは同じクラスにはならなかったが、2年生になり、図らずも同じクラスになった。
 同学年の330名が6クラスに分かれていたので、高校3年間で同じクラスになる確率はそれほど高くなかった。私はこれで彼女と話をするチャンスができたと心の中で喜んでいた。
 ただ、私は生徒会の手伝いをしたり、文芸部の部長をやったりして、放課後は忙しくしており、やっと同じクラスになっても口を利くチャンスはほとんどなかった。
 だが、相変わらず、朝の通学電車は同じで、乗り込む車両もまったく一緒であった。目が合い、彼女のはにかむ表情も変わることはなかった。
 同じ刈谷駅で降り、高校に行くコースは一緒だったはずなのに、私の中にその記憶がない。
 高校3年になると、また別のクラスとなり、話をするチャンスは遠のいてしまった。
 そして、文芸部に入部してきた下級生の女生徒に私は恋心を抱いてしまい、いつしか彼女のことを気にする気持は薄らいでいった。
 そんな移ろいやすい日々が続いたあと、明日は卒業式という日に、例によって文芸部の機関紙の校正をやっとの思いで終え、午後7時頃に刈谷駅の待合室に着いたとき、何処からともなく、私の行く手を遮るように彼女が現れた。
 私は驚いて、思わず「どうしたの!」と訊くと、か細い声で「Issaくんを待っていたの」と応える。
 今まで遠くからしか見たことがなかった彼女の瞳が潤んでいるようだった。
 彼女は今まで抱いていた印象と違い、はっきりした口調で私に告げる。
 「卒業する前に、これだけは言っておきたかったの。高校の3年間、わたしには心許せる仲のいい友だちが出来なかった。寂しかったけど、いつも朝の電車にIssaくんが乗っていて、いつも私を見ていてくれ、いつでもどんな時でもIssaくんは元気だったから、沈みがちな私はいつも救われてきたの。卒業して会えなくなる前に、どうしてもわたしの気持だけは、Issaくんに伝えておきたかったの」
 私はそのとき、始めて気がついた。
 2年生で同じクラスになったとき、靴箱の運動靴が、体育の時間が終わった翌日には必ずきれいになっていたこと、ロッカーの埃まみれのトレパンがいつも間にか、きれいになっていたこと、そして散らかしっ放しの自分の机がいつもきれいになっていたこと、みんな彼女がしてくれていたのだ。
 「高校を卒業したら、わたし就職するのよ。Issaくん、大学へ行くんでしょ、わたし、いつまでも忘れないから」
 沈みかけた夕日の中を定刻通り、ホームにやってきた電車に乗り、吊革につかまり「ありがとう」と言うと、彼女は頷いた。それ以上何も語らず、ただ俯いていた。

 高校2年の修学旅行で、邪魔な影や指先が写っていることから、おそらく隠し撮りだったと思われる5枚の写真を私は見つめていた。高校2年生のとき、私は紛れもなく彼女に恋心を抱いていたようである。

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